[Reborn]

学生の頃、
私はバドミントンの有名校で
日々シャトルを追っていた。
夏の陽射しが差し込む体育館内で
うだる暑さに耐えながら
各部活が負ける事なく
動き回っていた。
すえた汗の臭い、
キュッキュッと床を鳴らす
バドミントンシューズの音、
時折流れる涼やかな風。
そんな毎日が苦しくて
そして楽しかった。

水を飲むな!
ウサギ飛び10回!
腕立て伏せ10回!

今ならナンセンスな
コーチの檄も
当時は逆らうものなどいない。
空振りやラインアウト、
気持ちの入っていない部員には
すぐさまコーチに呼ばれ
ラケットで尻を叩かれた。

つしか毎日の練習が
私の膝の軟骨を異常に隆起させ
とても歩ける状態ではなくなった。
“手術をするか
痛み止めの注射をするか”
医師からは二者択一を迫られたが
私は決して
メスを選ぶ事はしなかった。
結果、
注射は膝の痛みを消し去り
骨が隆起したままの膝に
気休めの湿布材を巻いて
通学をした。
シャトルを追う事を忘れた私は
自然に帰宅部の中学生として
残りの時間を平凡に過ごした。
今を思うと、
あれは退部する為の
都合のいい病気だったのかも
しれない。


校に入学すると
明らかに逞しい先輩たちを見て、
自分もそうなりたいと思った。
ならばバドミントン!
懲りない気持ちが
何故か、
シャトルを思い出させた。
しかし、
部活は硬式テニスしかなく、
同じラケットスポーツだからと
軽い気持ちで入部したが
バドミントンよりも数倍きつい
屋外コートの赤い土が
私を待っていた。
しかし3年間、
赤で染まった沢山のソックスと
使い古されたラケット、
めくれた足の爪の数までもが
私の心や体を
逞しくしてくれていた。




クルート社が遥か昔、
就職情報という求人誌を
出していた頃
1ページを4分割した1コマに
求む、アルバイトコーチ
という求人に
気軽な気持ちで応募した。
面接当日には
多数の応募者がいたが
使い回した10円玉より
黒い肌の猛者たちに囲まれ
私の心は弱気になった。
面接と実技でほぼ1日が過ぎ、
帰りがけヘッドコーチに呼ばれ
私を含め4人の合格者が
選出された。
“話術とボレーだけが上手い”と
なんだか皮一枚で受かった試験も
今思い返せば
奇跡に近かったと言える。

3.4年が過ぎて
球だしやレッスンメニュー、
松岡修造氏の師匠にあたる
中嶋康博氏のレクチャーを受け
テニスの奥深さを知った。
そしてわずか9年間で
多くの生徒さんと知り合い
テニスの楽しさを共に味わった。



は流れ
60歳を過ぎても右足が痛む。
そして、
グルコサミンコンドロイチン
を摂取しても尚、
テニスを続ける自分がいる。
未だ腐らないのは、
バドミントンやテニスで鍛えた
私の中のタマシイが
コートに立つたびに
秘かに喜んでいるからだ。

隆起したままの膝と共に。

隆起したままの膝の現在