息子が朝早く、
部屋で雄叫びを上げているのを
夢見心地の寝床で聞いた。
後からわかったのだが
卒業単位を余裕のラインで取る目論み
が大きな誤算をしていたらしく
どうやらギリギリの線で取得し、
まさに間一髪の卒業決定となった。
もし単位を取得できなければ‥‥。
見切り発車で決めた東京の住まいや
採用が決まった会社全てを
失う事になる。
まぁ、
いいように転んだものの
親としてもドキッとした一瞬だった。
イメージです
正式に内定が決定し、
東京勤務を希望した息子は
3月の半ば妻と共に住み家を探しに
1泊2日の弾丸旅行へと出発した。
本来なら、
右も左も知ったる私を連れ出せば
一石二鳥なのだが
コロナ禍の人手不足で
有給さえ取れない悲しい結果となり、
2人だけの住まい探しとなった。
現地に降り立った2人は
早々に不動産屋に出向いたのだが
勤務先へのアクセスを考慮して
2日間で8つの物件を見て回る
強行スケジュール。
スマホが無かった過去に比べて
便利にはなったものの、
土地勘のない2人にとっては
全くのお登りさん状態。
当日の夜の2人は
屍の様に眠りに落ちたと聞いた。
その昔、私は
東京の江戸川区小岩に住んでいた。
冬は江戸川からの吹き荒む風が
窓ガラスを揺すり、
銭湯に行こうものなら
帰りはすっかり湯冷めしてしまい
唄・神田川の世界そのままだった。
だが、
人情味溢れるこの街の暮らしは
とても心地良かった。
コンビニの先駆けみたいな店では
ツケがきき、
パチンコやれば店長が内緒で
セーフ穴に玉を入れてくれる(注)
残りの食材でお任せ定食が飛び出し、
江戸川花火大会は
部屋の窓から観れる
超がつく位の特等席だった。
そこで付かず離れずいた猫と
3年もの月日を暮らした。
(注)当時羽根物と言われる機種が主流。