カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

エックハルトは異端か ー 仏教概論(12)(学び合いの会)

2023-01-27 11:23:15 | 神学


Ⅱ 神秘主義

1 神秘主義とは何か

 ここでは、キリスト教神秘主義の歴史、その定義、論争などが紹介された。議論の焦点はドイツ神秘主義であり、エックハルトの評価であった。

 キリスト教神秘主義の定義はトマス・アクイナスを持ち出すのが常道らしいが(神の体験的認識 cognito experimentalis)、要は、神秘主義では、信仰を前提として、神を、分析的にではなく直観的に、認識することを意味するようだ。信仰が前提であること、直観的であること、が強調される。
 このように神秘主義とは本来はキリスト教に固有の概念なのだが、実際には、他宗教にも神秘主義が見いだされるというのが今日の我々の理解だ。キリスト教の独占物ではない。なぜか。なぜ他宗教にも神秘主義が見いだせると考えるようになったのか。
 それは、キリスト教では神秘主義は神からの賜物、与えられるもの、という意味が常にあったが、今日では、それは人間が努力によって手に入れることができる、いわば下からも神秘主義に至ることができると考えるようになったからだという。意味の範囲が広がったのだ。したがって、現在、仏教や禅の神秘主義を論じても違和感はなくなっているのだろう。賜物としての神秘体験と、努力による神秘体験と言い直してもよいのかもしれない。

 ここで、中世および近世のカトリックの神秘家の紹介が簡単になされた。つぎのような表が配られた。

 

【中世神秘主義の歴史】

 なじみのある名前で特に追加の説明は必要ないだろうが、念のために、2点補足しておこう。

①キリスト教の神秘主義思想は14世紀が最も大事だ。14世紀はよかれあしかれ神秘主義のエネルギーが満ちあふれていた時代だったようだ。
 ここにある「デヴィチオ・モデルナ運動」(Devotio moderna)とは聞き慣れない言葉だろうが、主にラインラント一帯で盛んであった「新しき信心」運動のことらしい。いわゆる「共同生活兄弟会」でさまざまな集まりがあったようだ。トマス・アケンピス(1379-1471)の『キリストに倣いて』を知らぬ人はいないだろう。また、イギリスではジョンストン師も訳した『不可知の雲』も生まれている。
②この時代の中心物はやはりマイスター・エックハルト(1260-1327)であり、弟子のヨハネス・タウラーとハインリヒ・ゾイゼだという。14世紀は論争の時代だった。エックハルトの神秘主義論を巡る論争は現在でも決着がついていない。エックハルトが異端とされたのである(1)。

2 ドイツ神秘主義 Deutsche Mystik

 12世紀から15世紀くらいまでドイツの修道会で支配的であった思想をさすようだ。様々の修道会で影響力を持っていたようだが、中心はやはりドミニコ会であり、エックハルトであった。観想による神との一致を求めるいわばエリート的な、知識人的な神秘主義思想だったようだ(2)。ドミニコ会は観想修道会から托鉢修道会に変わるが、現在でも観想が中心で、霊性神学の担い手といってもよいであろう。
 ドイツ神秘主義は宗教改革以前の思想的潮流なので、現在でもカトリック神学だけではなく、プロテスタント神学においてもその影響力が残っていると言われる。

3 エックハルト Johannes Eckhardt (1260-1327)

 ドミニコ会の司祭・神学者。ザクセン管区長(47男子修道院、70女子修道院を管轄)。民衆の霊的指導のための説教が素晴らしく、名声を博したという。万物を超越した神という概念は、神のペルソナ性を超えるとして教会から非難されたという。また、彼の離別論突破論(下記の②と③参照)は汎神論的とされたようだ。このため、1326年時のケルン大司教であったハインリッヒ二世により異端審問が開始される。エックハルトは『弁明書』で自分の思想の正当性を訴えるも1327年に死去した。1329年に教皇ヨハネス22世は汎神論の疑いがあるとして異端と認定した(3)。
 
 エックハルトは理屈だけではなく、とても活動的な人だったようで、遁世とか怠惰な内的享受を批判し、隣人への奉仕を優先したという。その教説は以下のように整理されるようだ。

①関心は人間の魂と神の一致。神は純粋な存在で、あらゆる事物の中に神は現有する。
②人間は被造物から離脱しなければ神に近づけない。
清貧・孤独・独身による魂の解放、過去・未来への固執からの解放、謙譲・自己滅却こそが人間を内面の自由に導く。Abschiedenheit (離別)論と呼ばれるという。
③神との一致のためには不断の内的鍛錬が必要。神へ向かっての突破(Durchbrech)がある。突破論と呼ばれる。。
④被造物はそれ自体は無。固有の存在を神に負っていて、神の存在と一である(この主張が汎神論だという誤解を生んだ)。
⑤神を概念化したり、対象化したりしないで、自らを神へ開き、直接把握する。
⑥魂の内奥において神の誕生を実現する。人間は心の内奥において神の子となる。
⑦神との一致によって人間は神の業に参与する。

 まるで禅の教えのように聞こえるがどうだろうか。彼の思想的特徴としては次の2点挙げられるという。まず第一に、「魂の内奥における神の誕生」という考え方は、オリゲネス、ディオニュソス、アクイナスらの影響によるという。また第二に、教会の教えと秘跡に対して忠実な態度や、民衆への霊的指導への熱意は明らかで、反教会的な姿勢はみられないという。それでも彼の教えは異端とされたという。

4 W・ジョンストン師のエックハルト論

 本報告にはなかったが、ここでカト研のジョンストン師のエックハルト論を少し見てみる。師のエックハルト評価は高いようだ。
 ジョンストン師はその著『愛と英知の道』(2017)のなかで、「なぜエックハルトは非難されたのでしょうか・・・エックハルトが仏教徒とキリスト教徒の対話の先駆者でもあるからです」(4)と述べている。師によると、エックハルトが非難され、異端視されたのは、彼の思想が正統思想ではなかったからでもなく、また、教会政治の犠牲になったわけでもないという。それはエックハルトが想像力豊かで、説教によって信徒の心を揺り動かしたからだという。いわば芸術家肌の人だったのであろう。
 ジョンストン師は、エックハルトの異端扱いの撤回を望んでいたようだ。次のように書かれている。「エックハルトの問題全体を教会で再検討してほしいというドミニコ会の申し出が聞き入れられ、福音書のイエス・キリストを神秘的に理解する正統な代弁者として、彼の名誉が回復されることを、望むばかりです」(5)。
 エックハルトの異端問題は決着がついていないし、ジョンストン師はイエズス会でもあるので、師のエックハルト評価は慎重な表現になっている。だが禅の実践を通してなされた師のエックハルト評価は極めて高いものであるという印象を受ける。


1 S氏はエックハルトの異端は解除されたと説明しておられたが、少し言い過ぎだったようだ。ヴァチカンは、エックハルトの考え方や主張は汎神論的で異端だが、エックハルト個人を人間として異端視しているわけではないと言っているのであって、解除とまでは言っていないようだ。つまりドミニコ会の度重なる請願にもかかわらず現在でもエックハルトの神学的主張は異端とされたままのようだと理解しておきたい。
2 フランシスコ会のようにいわば一般民衆の霊性の向上をめざすというよりはエリート的だった印象がある。ボナベントウラ(1221-74)は「神秘神学のトマス・アクイナス」と呼ばれるようだ。
3 異端扱いされたガリレオ・ガリレイの異端認定は撤回された(2008年に故ベネディクト16世はガリレオの地動説を認めた)。だが、「神秘家の中のガリレオ」と長く評されてきたエックハルトの異端認定は上に述べたようにいまだ撤回されてはいないようだ。
4 W・ジョンストン 『愛と英知の道』 2017、116頁
5 同上117頁。「正統な代弁者」という訳文は何か落ち着かない。エックハルトはドイツ神秘主義の第一人者なのだから、spokesmanは「代表者」と言いたいところだ。原文は以下の通りである。

「One can only hope that the Dominican proposal that the whole question of Eckhart be ecclesiastically re-examined will lead to his reinstatement as an orthodox spokesman for a mystical understanding of the Gospel of Jesus Christ.」(Mystical Theology, p.50)

 ついでに望むなら、「福音書のイエス・キリスト」ではなく、「イエス・キリストの福音」と(直訳風に)訳したい。エックハルトはキリストを論じているのではなく、福音書の解釈を論じているからである。
 ジョンストン師はここで、京大の上田閑照(次回に紹介する)氏はエックハルトを「正真正銘のキリスト教徒」(authentically Christian)と見なしていたと強調している。
 神秘主義にはあちこちに落とし穴がある。「神との一致」と汎神論をどう区別するのか。観想は静寂主義とどう違うのか(contemplation vs. quietism)。神秘体験と性的放縦をどう区別するのか、など落とし穴は無数にある。また、神秘家を装う偽予言者もいる。神秘神学は絶えず革新されねばならないというのがジョンストン師の考えだったようだ。

 

 

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