カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

アメリカ同時多発テロはアメリカを変え、中東を変えた ー イスラム教概論27(学び合いの会)

2021-11-29 11:22:25 | 神学


Ⅵ アメリカ同時多発テロ


1 同時多発テロ事件

 2001年9月11日(火)の朝、イスラーム過激派テロ組織アルカイダはアメリカ北東部の空港から出発した飛行機4機をハイジャックし、アメリカ合衆国に4回のテロ攻撃をおこなった。アメリカ同時多発テロ事件(1)である。いろいろな背景が指摘されているが、アサマ・ビン・ラディンによれば、聖地メッカを有するサウジアラビア国内に米軍基地が置かれていることに反発したからだという。

(グラウンド・ゼロ Ground Zero)

 


2 イラク戦争(第二次湾岸戦争)

 ブッシュ大統領(子)は2003年3月にに有志連合を作ってイラクおよびアフガニスタンに進軍した。ともに長期にわたる戦争となり、世界に与えた影響は大きい。イラクでは侵攻の理由として挙げられた大量破壊兵器は結局発見されず、2011年12月に米軍は完全撤退した。アフガニスタンからの米軍撤退は2021年8月で、実に20年近く戦闘が続いたことになる(2)。

 このアメリカ同時多発テロ事件を契機に,アメリカは社会的にも政治的にも分断が深化し、中東は混迷の度を強めたようだ(3)。


Ⅶ 「アラブの春」民主化運動の成功と挫折

 「アラブの春」 Arab Spring  とは、2010年にチェニジアで始まった「ジャスミン革命」をきっかけに、2011年以降アラブ諸国に広まった民主化運動をさす。ヨルダン・エジプト・バーレーン・リビアなどで反政府運動が起こり、チュニジア・エジプト・リビアでは政権が交代した。

・チェニジアではベン・アリ、エジプトのムバラク、リビアのガダフィ、イエーメンのサレハなど独裁者が失脚した。
・アラブの春はシリアにも波及し、アサド政権の命運はつきたかに思われたが、アサドはロシアとイランの支援を受け、現在もしぶとく延命中。シリアはロシアにとり中東での唯一の拠点なのだ。アサド政権を支えるアラウィ派は人口の1割程度の少数派だが、一応シーア派に入るのでイランが支援しているようだ。
・イランはライシ大統領に変わるも各国の反政府運動に介入し、イエーメン内戦ではフーシ派を支援している(4)。
・アラブの春の民主化運動は結果的には内戦、内乱、無政府状態をもたらした。エジプトは軍事政権に復帰し、リビアは内戦に陥り、シリアも同じく内戦状態が続く。イエーメンもサウジアラビアとイランの代理戦争で内戦状態だ。
・2020年以降アラブ諸国で反政府運動が起こり、「アラブの春2.0」到来という説もあるが、事態は流動的だ。
・部族制をとる王制国家(サウジアラビア・クエート・バーレーン・カタール・アラブ首長国連邦・オマーン・ヨルダン・モロッコの8カ国)は比較的政情が安定していると言われる。部族制を基盤とするアラブ世界では民主制は時期尚早なのかもしれない(5)。


Ⅷ 「イスラム国」

 「イスラム国」(IS,ISIL)はイラクとシリアにまたがる領域で活動するイスラム系過激派組織である。2019年10月に最高指導者のアブー・バヅガーディーが米軍により殺害されたが、活動は続いているようだ。「疑似国家」だという説もあるようだ。
 イスラム国はもともとはイラクのアルカィーダのメンバーの一部が、そのあまりの過激さ故にアルカイダから破門され独立した組織だという。スンニ派系だ。
・ムハンマドの血を引くと自称したアブ・バクル・アルバクダディーが率いた
・2003年にイラク戦争の結果フセイン政権が崩壊し、2011年のアラブの春でアサド政権が弱体化した結果、イラクとシリアの間に無政府地帯が生じた。彼らはこの広範囲の地帯を支配した。
・2014年に「イランとイラクのイスラム国」を「イスラム国」と改称し、全世界のイスラム地域を支配すると主張した
・バグダディは「カリフ」を名乗った
・イスラム国成功の要因は、フセイン時代の軍幹部の協力、政府軍の武器獲得、イラク中央銀行の資金強奪、人質ビジネス、石油ビジネスなどといわれる
・人材的には域内外の多くの若者が参入した
・やがてアラブ諸国、イラン、クルド族に包囲され、2014年の米軍の空爆開始でイスラム国は崩壊する。
・2019年10月に米軍がバグダーディーを急襲し、かれは自爆死した だがメンバーはテロリストとして世界各地に拡散したという
・イスラム世界の統一はアラブ人の夢だろうが、現実に国民国家が存在する以上難しいだろう
・イスラム国は、アルカィーダのようなテロリズムではなく、国家を目指した特異な存在だ(首都はシリアのラッカだったが、ここでは国家統治の術を訓練していたという)

 

Ⅸ クルド民族問題

 クルド民族はトルコ・イラク・イランにまたがる地域に暮らす遊牧民族で、イラン系の山岳民族という。人口は5000万人弱で、中東ではアラブ人・トルコ人・イラン人についで多く、国家を持たない世界最大の民族と言われる(スペインや韓国規模の人口)。
 クルド人は米国の支援のもとにイスラム国と激しく戦ったが、イスラム国崩壊後はアメリカはクルド人支援をやめた。クルド人はシリアに接近する。アメリカ軍は2019年にシリアから撤退を開始したのでトルコはシリアへ侵攻し、クルド人への攻撃を開始した。



1 「アメリカ同時多発テロ事件」というのは日本独特の表現らしい。英語では Synchronized attacksとかいろいろな表現があるらしいが、September 11 Attackstが普通らしい。9/11 だけで通じるようだ。
2 アメリカ史上最長の戦争と言われる。それでも撤退は早すぎたという声は未だにあるようだ。
3 こういう評価の妥当性を議論しだしたらキリが無い。アメリカ同時多発テロ事件はそれほど影響力が大きかったというわけだ。
4 フーシ派はイスラム教シーア派のひとつで軍事組織だという。イスラム教スンニ派のサウジアラビアは暫定政府派を支持して軍事介入しているようだ。
5 部族国家とは古代国家の最後の形態で、長子相続制にもとづく族長政治を特徴とする。単独の部族が支配したり、部族連合が支配したりするようで、現在も国により異なる。部族はtribeと訳されるが、出自の同一性では氏族と、言語の同一性では民族と、文化の同一性ではエスニック・グループと、区別が難しい。社会科学では現在はあまり使われない用語といえそうだ。
 アラビア半島で見れば、サウド家という部族が現在サウジラビアを支配しているが、サウジアラビア人という民族意識は生まれていないという。ましてやサウジ国民という意識は薄く、出身部族・出身地域・所属宗派・所属階級で自分や他者を見ているという。サルマン皇太子登場以降近年のサウジアラビアはワッハーブ派の原理主義国家から大きく変わりつつあるとも言われる。だが部族制の王制国家であることを忘れてはならない。

(ヴェールは女性差別か)

 

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« サダム・フセインの野望と3回... | トップ | 中東イスラム圏の最近の政治... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

神学」カテゴリの最新記事