合格者のタイプと、まとめノートについて | 司法試験のあるきかた

司法試験のあるきかた

試験合格を運任せにしないための方法論を考える

最近、色々と考えることが増えてきたので、ずっと温めてきたネタと、一度は言及したまとめ教材についてエントリーを書こうと思います。

 

1.合格者のタイプについて

 

私は、司法試験受験生には、以下の3つのタイプの人間がいると思っています。

(より厳密には、2つのタイプの合格者、というべきですが)

 

①不合格の要素<合格の要素となった合格者

②不合格の要素≧合格の要素である合格者

③不合格の要素>合格の要素である不合格者

 

すなわち、私は合格者には2種類の人間が、不合格者には一種類の人間しかいないと考えているわけです。司法試験界隈でも最近よく言われるようになってきていますが、「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」です。

 

合格者の中にも、不合格の要素をできるだけ排除した、合格率が極めて高い合格者(①)と、不合格の要素を(多くの場合は無自覚に)排除しない(できない)まま受かった合格者の2種類の人がいます。

他方で、不合格者には、不合格の要素を排除できなかった(からこそ不合格となった)人(③)しかいない、ということは、いつか指摘したいとずっと考えてきました。

 

 

最も試験に合格する確率が高いのが①であることは言うまでもありませんが、注目すべきは、合否の当落線上にいる②と③の違いです。

この両者には、ほとんど違いがないと私は思います。

 

 

もちろん、②の合格者が悪いなんて話をするつもりは毛頭ありません。試験との相性と実務の適性に比例関係があるとは思いませんし、私自身、司法試験は「受かったもん勝ち」で、あとは実務で自己研鑽に励むだけだと思っていますから、合格した後は、原則としてその合格者が②であるか①であるかは大した問題じゃないと思っています。

 

 

 

 

試験の成績と実務における能力は、必ずしも相関関係が無いと信じている私ですから、現実に目の前にいる合格者が①であるか②であるかを判断する場面なんていうのはそうそう訪れません。

判断しようとするだけ時間の無駄だとすら思います。

 

ただ、合格者内の①、②の区分がシビアに問題となるフィールドが存在することも、また事実だと思います。

 

そのフィールドこそが、予備校における受験指導です。

 

受験指導というのは、まだ合格者でも不合格者でもない受験生を合格者にすべく、その受験生自身が、一人で合格という目的地に向かって歩けるように、導いてあげるものだと個人的には考えています。

 

 

そのような役割を担うに当たっては、①タイプの合格者である(または自らの受験生時代の勉強方法等を省みることによって、合格後、後天的に①タイプに生まれ変わる)ことが必須だと思います。

 

わざわざ「必須」とまで言うのは、②タイプでは、「俺が大丈夫だったから、これでよい」と、自らの方法論(方法論と一般化できるほどの理屈を持ち合わせていない場合も多いかもしれません)を広く受験生に布教し、潜在的には合格の可能性を有していた受験生を落とし穴に嵌めてしまう看過し難い危険性があると(特に最近)感じるようになってきたからです。

 

厳密にはそのような危険性は昔からずっとあったのだろうと思いますが、Twitterによって合格者による情報発信が容易になってきた現在、その危険性は昔よりも格段に高くなっていると思っています。

 

 

①タイプの合格者は、不合格の可能性を減らす手段が重要であることを前提に、確実な合格の観点から、何をどれだけやるべきか、最低限守るべきはどこか、どのような思考過程を構築すればミスを減らせるかといったことを思考しますから、目の前に指導すべき受験生が居るときは、当該受験生を自分に置き換えることによって、自分(が置き換わっている受験生)にとって何が必要なのか、どういう勉強や思考過程の構築が最優先なのかといったことを意識することができます。

 

いわば、その人だけのオーダーメイドの指導です。同じ指導内容は、「似たような特性の人」にも少なからず効果があるかもしれませんが、「その人に向けた、固有の指導」を行っている以上は、「その人」と同等、あるいはそれ以上の教育効果が生じる、ということは基本的に考え難いと思われます。

 

 

これに対して、②タイプの人は、不合格の原因を潰すという発想に乏しいため、当該受験生にとって何が必要かということに意識が至らず、当該受験生の合格に必要なことと不要なことの両方を、優先順位もつけずに(やった方がよいから、というだけの理由で)押し付けてしまう傾向があるのではないかと思います(そのような態度の結果として、②タイプに属してしまうことになるのであって、②タイプだから(原因)これらの行動をする(結果)という因果関係を主張したいわけではない、ということは念のために強調しておきます)。

 

ある意味、②タイプは完璧主義者ともいえるかもしれませんが、そのような姿勢を受験生に見せ、同じようにさせるのは、受験生を合格させなければならない指導者としては危険極まりないと思います。

 

私自身、②に陥らないように、また①になれるようにロー生の頃から意識をしていましたが、常に不安を抱える受験生マインドでは、「これ(演習書)もあれ(基本書)もやった方がいい」「こっち(ローで配布された資料)もマスターしておいた方がよい」という、やらないよりはやった方がよい(というある意味当たり前の)「ベター思考」に引きずられ、②タイプになりそうになることがとても多かったように思います。

 

不安に駆られてたくさんの本に手を出すのは勉強熱心でも努力家でもなんでもなく、単に自分の欲求や態度を省みず気が赴くままに行動しているだけの生き物です。

それでも確率的には受かる(上、受かりさえすれば美しい努力としてプラスの評価が生まれる)ために一定の支持をもって迎えられているのが、ベター思考なのだろうと思います。

 

なお、そのようなベター思考に従ってあれもこれもと手を出すことで司法試験合格に必要な実力が着くかという観点からは、司法試験情報局のこちらの記事や、こちらの記事に、「大は小を兼ねない」という記載がありますので、熟読するのが良いと思います。

 

 

そのようなベター思考に安住することなく、自分の主観的な不安に全力で抗いながら優先順位をつけ、優先すべき事項をひとつずつ着実にマスターしていく「マスト思考」が、(不安を抱えた受験生にとっては心理的な抵抗が大きいとしても)確実な合格には必ず必要になります。

不合格の要素を、穴が大きい場所から優先して埋めていかなければ、合格する確率を効果的に上げられない(小さい穴を埋めるのに固執しているうちに、別の場所にある穴が広がっていく)からです。

 

ベター思考もマスト思考も、ついさっき私が適当に考えたネーミングなので、他所で使わないようにしましょう。恥をかきます。

 

確実な合格を掴んでいるのは、間違いなくマスト思考(①タイプ)です。

これに対して、「そういうやり方でも(確率的に)受かる」のはベター思考(②タイプ)です。

 

確実な合格と、そういうやり方でも受かる、との間に本質的な差異があることは、既に挙げたこちらの記事で、NOAさんが指摘されています。

 

 

 

 

話は少し逸れますが、2019年の司法試験の結果発表後、Twitterで複数の方が「合格したけど過去問検討はほとんど検討していなかった」「合格に必要なのは基本書と百選だけで、予備校や答練、過去問はほとんど使わなかった」とツイートされているのを目にしました。

 

それらのツイートをされていた方々は、一般的な勉強方法としてツイートする趣旨ではなく、そういう人もいるよ、という一例としてツイートしているだけだと付言していましたが、過去問が無くても合格できるといったような、私を含めNOAさん中村先生谷山先生のような過去問第一主義者に対するアンチテーゼ的な側面もあるように私は感じました。

 

確かに、過去問を検討せずに合格することも、当然あるだろうなあと思います。

しかしそれは、個別の受験生の報告を待たずとも、1500人の全ての合格者が必ず過去問を検討しているはずだという決めつけがおかしいことから、すぐに分かります(参考までにこちらのサイトで計算したところ、1500人の合格者が出る(n=1500)時に、1人以上(m=1)、過去問を解いていない人が出てくる確率は、過去問を解いていない人が存在する確率が100人に一人(p=1)の場合であれば99.99%、1000人に一人(p=0.1)でも77%以上の割合で出現するという結果になりました。実際、受験生は答練がどうの演習書がどうの基本のインプットがどうのと、何かしらの理由を付けて過去問をまともに検討しないので、ここの確率はもっと高いと思います)。

 

勉強方法の話から外れて、過去問を解かずに合格したという報告のみであれば、それは過去問第一主義の人間にとっても当然の出来事であり、なんら特別なことではないのだと思います。

 

 

そして、もし仮に「過去問を解かずに本試験に合格した」という報告が、「過去問を解かずに合格する人もいるのだから、過去問第一主義は絶対ではない」という趣旨だとすれば、それもまともな反論になっていないと言わざるを得ません。

 

過去問第一主義者の主張の力点は、「確実に合格するため」=「合格を運に委ねないため」には過去問を勉強の軸にすべきだ、という部分です。

これに対して「過去問に触らなくても結果的には合格したじゃないか」と言ってみても、「うん、結果的にはそうだね」としか言えないのです。

 

すなわち「過去問を徹底的に潰せば→司法試験に合格する」という命題を真とする過去問第一主義者にとって、「過去問を解かなければ→司法試験に合格しない」という命題は、(こうして二つ並べてみれば一目瞭然ですが)必ずしも真ではないのです。適性試験で問われる形式論理はこういう時に役立ちます。

 

過去問を解かずに司法試験に受かったと言ってみても、それは「過去問を解かなければ→司法試験に合格しない」という命題に対する反論にはなり得ても、「過去問を徹底的に潰せば→司法試験に合格する」という命題に対する反論にはなり得ないのです。

 

 

 

話を本題に戻します。

①と②の違いというのは、決して司法試験の成績等とは直結しないと思っています(超上位合格の①タイプもいれば、同じくらい成績の良い②タイプもいると思いますし、合格ラインぎりぎりで受かった①タイプも②タイプもいるでしょう)。

 

司法試験の成績は、知識の多寡では決まらない以上、たくさんやれば(たくさん書ければ)たくさん点が取れて成績がより上位になる、という因果を経ません。そのため、②だから成績が上位になることはありません。

 

また、司法試験の成績は当日のコンディションや出題内容、ひいては受験生が以前に受けた講義の内容等によっても左右されるでしょう。①だから上位になるというわけでもありません。

 

①も②も平等に、上位の成績をとれる可能性(=下位合格となる危険性)を有します。

 

司法試験の成績が上位か下位かよりも、合格者が①か②かの方がよっぽど重要であるにもかかわらず、成績上位の人間の勉強方法は身の丈に合っていないから採らないみたいな、ナンセンスな思考の人を定期的にTwitterで観測します。

 

基本的にはその人の自由なので好きにやったらいいと思いますが、近い未来、その人が自分の将来を運に委ねて5日間の勝負に臨むと思うと震え上がります。

まあそれもその人自身の選択による自己責任と言い切ってしまえばそれまでかもしれませんが…

 

2.まとめ教材について

 

一度、こちらのエントリーにおいてしっかり目に書いたつもりだったのですが、もう一度記事にしておこうと思います。

 

先に挙げた②タイプの受験生は、ローに行くとローの先輩や同期が作成した「まとめノート」を欲しがります。

欲しがるだけならいいんですが、ネットオークションやAmazon、司法試験受験生を対象としたプラットフォームなど、様々な手段が用意されている現在では、合格者は司法試験合格後、まとめノートの販(転?)売を始めることも珍しくなくなりました。

 

ここでの弊害は、まとめノートはまとめた本人にとって必要な情報の宝庫であったとしても、その後の譲受人や購入者にとっても必要かどうかは分からないという当たり前のことを、購入者である受験生はおろか、まとめノートを販売する合格者も自覚せず、まとめノートのやりとりだけが行われて情報が氾濫していくことです。

 

以前もこちらのエントリーで指摘しましたが、受験生にとって重要なのは、合格者や予備校講師が必要だと主張する知識ではなく、試験に出題されやすいにもかかわらず自分がきちんと答えられない、主観的重要性の高い事項です。

 

まとめノートはそういった主観的重要性の高い事項から受験生の目を背けさせ、「これに載っている知識は全部押さえた方がよい」というベター思考に陥らせる危険性が高いと思っています。

 

本当に、自分に必要なことが何かわかっていれば、むやみやたらに手を広げることも、どこの誰が作ったのかも分からないまとめノートの類を有難がることもないと思っているので、ローでまとめノートの収集(≠作成)に精を出したり、合格後にそれを販売するような人というのは、何が合格するために本当に必要なのかという意識が希薄な、②タイプが多いのではないかと思います。

 

そもそも、他者に対して売る・譲ることができる程度に網羅的な内容を有している時点で、それは作成者にとって必要なことと不要なことが峻別されていないわけで、資料作成のスキルはともかくとして、受験勉強のためのスキルは推して知るべし、ということになるわけです。

 

まあ、そうやって②タイプの合格者から確率的にしか受からない受験生が大量に再生産されれば、それはそれで過去問第一で確実な合格のために歩みを進める受験生がより確実に合格できるようになる(相対的に優位に立てる)わけなので、私としては、個人的に指導している受験生が確実に合格できるように引き続き指導しつつ、これからの合格者による勉強論の行く末を静かに見守りたいなあと思います。

 

正直、勉強方法に関する話は、司法試験情報局が既に十分といえる程度に語りつくしていると思いますが…