令和2年予備論文・民事訴訟法の感想 | 司法試験のあるきかた

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設問1
  • 設問1で言及することが求められている判例の立場として真っ先に浮かんだのは、不法行為に基づく損害賠償請求において、訴訟物は人損と精神的損害で異ならず費目ごとに別個となるのではなく、全体として一個の訴訟物として捉えるという最判昭和48年4月5日だった。
2020.11.3追記
上記昭和48年最判は、同一の身体傷害から生じた財産上の損害と精神的損害について、訴訟物が異ならないと判示するにとどまり、人損と物損については、①それらを含めて1個の訴訟物とする学説、②物損全体で1個の訴訟物とする学説、③個々の物ごとに訴訟物は別であるとの学説があり得るとされている(瀬木民訴54頁、高橋重点講義(下)256頁も参照)。
 
私見としては、財産上の損害と精神的損害を同一と考えるにもかかわらず、物損のみ分けて考えるべき実質的理由が思い浮かばず、これらを分けて請求するのであれば明示一部請求によればよいと思われるので、受験生時代から①の考え方によってきたが、瀬木先生は②を支持されている。
 
どちらにしても、人損と物損の訴訟物の一個性については、判例がないところではあるが、本問では物損の部分についてXYに争いが無く、裁判所の心証もそのようなXYの認識に沿うものであるので、人損と物損の訴訟物の一個性という、判例がブランクの部分のトピックについて答案で大展開することが期待されているのかは疑問。
 
  • しかし、昭和48年最判は、設問2との絡みでは言及する意義がある(訴訟物が費目に限定されず、あくまで不法行為に基づく損害賠償請求権1個で、Yの反訴は1個の訴訟物の明示一部請求となるのであれば、明示一部請求後の残部請求に関する最判平成10年6月12日の射程が及び、Yの残部請求は信義則違反となる余地がある)が、設問1単体で見ると、受訴裁判所がXやYの申立事項を超えた判断をしているようには見受けられず、これに言及する実益が無さそう。
    仮に本訴において、XがYの頭痛の有無についてのみ争い、慰謝料については積極的に争わなかったところ、受訴裁判所が判決においてYの慰謝料を認定し本訴請求を一部棄却したような場合であれば、そのような判決が民訴法246条に反しないことの理由付けとして、昭和48年最判に言及する実益があるが…。
  • 昭和48年最判に言及する実益が(設問1単体では)あまりない以上、債務不存在確認請求の本訴に対し、給付請求の反訴が提起された場合の確認の利益に関する最判平成16年3月25日が念頭に置かれていたのかもしれない。たしかにその方が問題が面白くなる。
    仮に平成16年最判が想定されている場合、単に本訴の債務不存在確認請求全体が却下されるのであれば、心証について記載する必要が全くない。平成16年最判が正解筋であれば、試験委員はおそらく、平成16年最判を引用しつつ、本件では反訴が明示一部請求であることを指摘して、明示されている500万円の範囲では本訴請求却下、500万円を超える部分については確認の利益があり本訴請求認容とすることを想定していたのではないか。
  • 上記のような構成であれば、設問1の後段で既判力について問うているのにも納得がいく。訴訟要件欠缺の判断について既判力を認める限り、「~の部分については確認の利益を欠く点について、~の部分についてはYのXに対する不法行為に基づく損害賠償請求権の不存在(民訴法114条1項)について、それぞれ既判力が生じる。」みたいに、きちんと区別して書く必要があるので、あえて既判力を問うのも納得というか。ただこの場合、損害の費目をかなり詳細に問題文に示していた意義が不明。物損がどうとか、人的損害がどうというのが、臨場感を出すためのオマケになってしまう。Yが昭和48年と同じく財産的損害と慰謝料を請求している点も気になる。
設問2
  • 設問2については、本訴の判決について、最判昭和42年7月18日(後遺障害が問題となった場合に、前訴訴訟物の明示を擬制)、反訴の判決について最判平成10年6月12日(明示一部請求が(一部)棄却された場合の残部請求の可否)への言及を想定しているように見える。
    ただ、自分が受験生だったら平成10年最判との事案の違い(本問では債権全体につき審理が尽くされていない特段の事情があるという点)を論じて満足していただろうと思うので、問題文で「前訴判決」と一括りにされている2つの判決について、それぞれ判例を適切に指摘するのはかなりハードルが高いように思う(そもそも試験本番の答案で、「判例は」と書くこと自体、答案戦略としても知識的にも精神的にもハードルが高い)。

    おそらく、「前訴におけるX及びYの各請求の内容に留意して」というのは、本訴判決と反訴判決のそれぞれについて検討せよということを誘導しているのかもしれないが、それならせめて「前訴各判決」のように、検討対象が複数に渡っていることを強調しても良いのでは…
  • しかも設問2の配点は設問1の半分以下なので、その配点割合で、前訴判決のそれぞれについて判例を指摘するというのは相当大変な気がする。前訴の各判決について判例を指摘することまでは求められていない?
  • 最判昭和42年7月18日は、前訴、後訴とも給付訴訟であったのに対し、本問では前訴が被告による債務不存在確認請求である点で、当然に昭和42年最判が妥当するわけではないと考える余地も無くはない。
    ただ、債務不存在確認請求とはいっても、訴訟物は給付訴訟と変わらないので、

    Xの主張内容からしても、将来後遺障害が発生する可能性まで全部排斥する趣旨ではなかったよね→前訴のうち、本訴の訴訟物は前訴基準時までに実際に発生したYのXに対する不法行為に基づく損害賠償請求権に限定されて、後訴とは訴訟物が異なるよね
    と立論すれば足りそう。
 
設問1で受訴裁判所の心証が細かく記載されていたことから、当初は確認の利益について論じる必要性に疑問を持っていたが、一部は却下、一部は請求認容という判決を書かせるのであれば、受訴裁判所の心証を書く必要があるし、「どのような判決を下すべきか」という問題文の問い方にも納得がいく。逆に昭和48年最判の指摘では、単に請求認容判決を下すべきである、とだけなってしまい、出題の意図がイマイチ掴めない(費目に限定されず訴訟物が一個である以上、設問2(後訴)の問題点がより浮彫りになるという点はあろうが、そうすると設問1が設問2の前フリ的な意義しか持たず、7割の配点が振られていることを説明しにくい)。
 
設問2は、一部請求棄却後の残部請求の可否(反訴との関係)と、後遺障害が基準時後に発生した場合の処理(前訴において明示を擬制、本訴との関係)の二つが問われていると思う。
前者については反訴と後訴で訴訟物が異なるからこそ判例が信義則の問題としたのに対し、後者については、訴訟物が前訴と後訴で同一に見えるからこそ、それを区別するための理論構成を検討しなければならず、一方は訴訟物が異なるからこその問題、他方は訴訟物が同一である(っぽい)からこその問題に見える。
 
演習の素材としてはめちゃくちゃ面白い問題だと思うけれど、時間制限がある中、現場でこれを解くのは大変だと思う。少なくとも連日の試験の中、↑の検討と答案作成を70分で終わらせる自信は最早ない。