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中江藤樹の神学がなぜ必要なのか 05 私はどこで中江藤樹を知ったのか 05 なぜ「代表的日本人」に中江藤樹を入れたのか 02 

2022-04-07 04:00:00 | キリストの食卓
内村鑑三にとっては、仁斎・宣長・篤胤、そして中江藤樹と同様の

洗礼者ヨハネとして捉えていたようです。

そして内村鑑三は、このような見解を生涯にわたって貫いたように思えます。

かなり信念をもって旧約の日本、

つまりキリスト教伝来以前の人物をクローズアップさせてきました。

それはアメリカで抱いた2つのJ(イエス)、J(日本)を貫いた人生だったからです。

彼の言葉に、「私は2つのJを愛する。第3のものはない。

私はすべての友を失なうとも、イエスと日本を失なうことはない」と

言い切っていることからも分かります。

内村鑑三は自分自身のためにも日蓮や藤樹や西郷を

キリスト者の魂を旧約の日本人として認識していたのです。

その理由は何かです。

それは西洋に育ったキリスト教を非制度化したかったのではないでしょうか。

ある評論家は、「キリスト教に真の自由をもたらしたかった。

そのうえで日本的キリスト教を打ち立て、非武装日本をつくりたかった。

つまりは、日本人の魂が解放される国をつくりたかったのだ。」と指摘していますが、

制度化を極端に嫌った内村の愛国心であったのです。

彼は武士の魂を褒め称えたのです。

『代表的日本人』で西郷を書いたことから、西郷の朝鮮侵略の問題を見誤っていますし、

日清戦争の義を唱えています。

そして反面、「武士道はたしかに立派であります。

それでもやはり、この世の一道徳に過ぎないのであります。

その道徳はスパルタの道徳、またはストア派の信仰と同じものです。

武士道では、人を回心させ、その人を新しい被造者、

赦された罪人とすることは決してできないのであります」と

武士道の限界を見ています。

内村の親友、新渡戸稲造も同じ考えで「武士道」を書いたのです。

内村鑑三はフィリッピンや中南米のキリスト教国の植民地政策を嫌っていますし、

日本がそのような統治をうけることを嫌う愛国主義者でありました。

しかし、アメリカとは「太平洋の両岸の中国とカリフォルニアがほとんど同時に開かれて、

ここに世界の両端を結ぶために日本を開く必要が生じた」という見方を持っていました。

原点にもっていたのです。

しかし一方では、サムライの精神をもって世界に対峙することを説くためにも

『代表的日本人』を書きました。

その「あとがき」にはこんな文章があります。

「たとえ、この世の全キリスト教信徒が反対側に立ち、

バール・マモンこれぞわが神と唱えようとも、

神の恩恵により真のサムライの子である私は、こちら側に立ち言い張るでありましょう。

いな、主なる神のみわが神なり」と。

この文章だけ読めば、かなり矛盾していると言われますが、

内村鑑三の中にはナショナリズムとグローバリズムがいつもいったり来たりで、

それは明治キリスト教に共通する特質なのです。

その意味では、内村鑑三はその発言がかなり過激なのです。

しかし、晩年になるにしたがって、この矛盾を葛藤のままに強靭な意志で濃縮していきます。

そしてついには「小国主義」を唱えていきます。

愛国者・内村鑑三は日本を「小さな政府」にしたかったのです。

そして、そういう日本を「ボーダーランド・ステイト」と呼んだのです。

その代表作は、「デンマルクの話」です。

そして「日本の天職は」とは、「日本が日本を境界国としての小国にすることなのである」と。

これは日本という国の天職なのである」と言います。

この提言は日本では、内村鑑三を除いてはいません。

更に内村はそのために世界を大改革したルターたちの宗教改革を「やりなおし」を

引き受けるべきなのではないかと考え、無教会主義を唱えていきます。

その始まりの著作が「代表的日本人」でそこに選ばれた5人は、

その視点で選ばれているのです。

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