バイブルランドin福井

安田由久が驚くべき聖書の世界をご案内します

日本人とユダヤ人  29 日本は不偏的な道徳観をすり替えた愚かな国 

2020-07-08 04:00:00 | ユダヤの知恵・健康&断食
「なぜ」から始まる疑問は、根源的な価値を求めていくと石角さんはいいますが、

確かに日本人の根源への議論はあり得ません。

なぜなら普遍的な価値観が存在しないのですから当然のことです。

まずユダヤ人の議論は、

創世記

1:27 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。


ここでユダヤ人の「なぜ」の議論が始まるというのです。

なぜ神は「御自分にかたどって」人間を創造されたのか。

犬は神に似せて造られたのではない。

ならば人間とどの点が異なるのか。

では神は人間に何を期待しておられるのか、人間は神のどこに似ているのだろうか。

自分たちが「御自分にかたどって」人間を創造され意味を徹底的に追求して、

議論を重ねていくのですが、

それは自分たちの存在意義を見出すための議論だと石角さんはいいます。

タルムードでは一応の議論の参考意見がかかれてあります。

その内容は、「御自分にかたどって人間を創造されたのは、

人間に神の意志を体現するように託されたからである」ということですが、

そのタルムードの解釈をめぐりまた議論が重ねられていくのです。

そしてタルムードの解釈のようであれば、人はどう生きるべきか、

またいかに生きるべきかとなりますから、まず普遍的な倫理、道徳を学ぶことが必要になります。

では普遍的な道徳とは何かです。

日本人の道徳とはどこがどう違うのかです。

まず道徳は誰が決めるのか。

日本

文部省、国会、


ユダヤ

神が決められる


ではその違いはなぜなのかという議論になっていきます。

日本は明治時代の初め、普遍的な聖書の道徳観をキリスト教の宣教師から突き付けられて、

日本の土台を築く時に残念ながら天皇の道徳観を明治政府が作成し、

天皇を神とする道徳観を打ち立てました。

このような国際的に全く通用しない、

偏った政府主導の道徳観が

日本の近代化の礎石となってしまったのが悲劇の始まりです。

愚かな偶像崇拝への道であったのです。

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