バイブルランドin福井

安田由久が驚くべき聖書の世界をご案内します

自己保身の罪過

2020-08-29 04:00:00 | ローマ人への手紙を読み解く
ローマ人への手紙
2:4 あるいは、神の憐れみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、

その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。

2:5 あなたは、かたくなで心を改めようとせず、神の怒りを自分のために蓄えています。

この怒りは、神が正しい裁きを行われる怒りの日に現れるでしょう。

2:6 神はおのおのの行いに従ってお報いになります。


TBS日曜ドラマ「半沢直樹2」で前半で副頭取の自己保身の策略と利用された行員の不正が暴かれたのですが、

これは単なるドラマだけの話ではありません。

6節にあるように私たちは自己保身という自分を最終的に守る罪過をパウロは真正面から見据えていました。

かたくなで心を改めようとせず、神の怒りを自分のために蓄えています。

パウロが指摘した

「この怒りは、神が正しい裁きを行われる怒りの日に現れるでしょう。

神はおのおのの行いに従ってお報いになります。」

とありますようにこの怒りとは自己保身の罪に向けられた神の厳正な裁きが臨むということなのです。

義をめぐる問題では山上の説教で

マタイによる福音書
5:6 義に飢え渇く人々は、幸いである、/その人たちは満たされる。

とイエスは語られました。

この個所を


私は「義というものを人間の側では何も持たず、まったくなし、ゼロという状態をいいます。

そして飢え乾くとは、自分の罪、義のなさに泣いている存在なのです。

そこに立てば自分はいかなるものであるかが分かります。

キリストの前に出されたら明確にそのことが示されるという罪です。

キリストの罪に覆われて隠され、守られるというのではなく、まさにキリストの前で罪が明らかにされるのです。

ではそれは行いなのかではなく、罪を明確に示される啓示が必要です。

私は断食祈祷だと確信しています。」と書きました。


ルターは信仰問答集(カテキズム)で

「信仰に生きるとは、神の子にふさわしく聖なるものとして生きることだ」と語っています。

これを別の言葉でいえば

「神の前にはまったくのゼロで無になって引き出されることが、真のキリストを仰ぐ信仰」(関根)といえます。

私は無教会の神学者で唯一、霊的な世界から聖書を解いたのは、

内村鑑三と関根正雄以外には皆無とみています。

私の信仰の恩師、高橋三郎もそうではありません。

彼の神学はキリスト教倫理と愛真高校という自己保身の罪から免れませんでした。

徹底的に無になることを追求した内村と関根の二人だけなのです。
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