「発信する!尚禮舘空手を沖縄から」
師 渡口政吉先生の沖縄本来の文化としての「尚禮舘空手」を約束の地「沖縄」に還す為に道場を設立し発信する活動しています。
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今回は剛柔流というお話しを紹介していきます。
※この記事の文章が平川師範が書いたものを事務局が編集しています。
撃砕第三の創作ストーリー
宮城長順先生の構想を元にした渡口政吉先生の創作型の一つが撃砕第三です。
(撃砕第三 演武:平川樹高師範)
1960年終戦から15年あまり。
焼け野原の東京、日本に復興の兆しが見えた頃。
日本の片隅の南の島、沖縄から本来の空手を本土に伝える為に43才で単身東京に移住した渡口先生。
移住当初は、東京の各地に露天道場を作り雨風、暑さ寒さの中稽古を重ね弟子を育成しました。
次第に露天道場を増やしながら法政大学の空手部の監督に就任。
苦労末、協力者を得て移住後9年目にしてようやく中野に本部道場を設立します。
それは、52才の時でした。
なぜ、慣れ親しんだ沖縄空手界を離れ、大都会東京でここまでして空手への情熱を燃やす事ができたのか。
それは上京以前の沖縄での出来事に遡ります。
晩年の身体の不調があった宮城長順先生が電気関係の店を営んでいた渡口先生の家を訪ねました。
そして、毎晩夜遅くまで未来の空手について展望を語ります。
(この話は、宮城先生に食事を作り差し上げていた先生の奥様から当時の事を聞かせて頂きました。)
渡口先生は師の空手への情熱を聞き受け剛柔流空手の大きな発展を胸に秘めて日本本土へ空手の普及を決意したのでしょう。