「発信する!尚禮舘空手を沖縄から」
師 渡口政吉先生の沖縄本来の文化としての「尚禮舘空手」を約束の地「沖縄」に還す為に道場を設立し発信する活動しています。
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皆さんこんにちは
比嘉道場入門
渡口政吉先生が比嘉世幸先生の道場に入門したのは16才の時でした。
21才まで比嘉道場で学び師匠でもある宮城長順先生の道場にも指導を受けに行きました。
師範代までなった先生は24才で東京に専門学校入学の為に出て行かれました。
そして戦争、軍属として戦地へ。
復員は、比嘉先生、宮城先生と再開を果たしました。
再び指導を受けながら比嘉先生と二人で糸満で指導を始めその間、糸満地区体育協会空手部、師範に就任。
渡口先生は昭和25年には那覇に移住して比嘉先生はそのまま糸満で指導しました。
昭和27年コザで指導を始め昭和29年に正式に「剛柔流研究所尚禮舘」の看板を掛け指導を始めます。
師、比嘉世幸先生は昭和35年に那覇市与儀に「尚道舘道場」を開設されました。
戦後、尚禮館設立
戦前、比嘉道場で一緒に学んだ兄弟子はそのまま尚道舘に所属し学ばれましたが、渡口先生は宮城先生の弟子にもなられ宮城先生没後、「尚禮舘」を名乗られた為、尚道舘所属ではありません。
宮城長順先生の七回忌の演武会では師の比嘉先生は「比嘉道場」、弟子の渡口先生は「渡口道場」で出場されています。
渡口師範の弟子たち
当時のパンフレットには新城正信(尚武舘)
心治舘(當山全秋)、神武舘(兼井勝良)、喜友名朝友、等の初期の弟子の名前が見えます。
今でも渡口先生の元弟子だった人や教えを受けた人は沖縄、本土、海外に沢山いますが皆さん自分の会派を名乗り「尚禮舘」を名乗っている方はいないです。
その名乗れるのは渡口先生を尊敬し、空手の本質を理解し、最後まで先生の教えを受けて認められた人だけです。