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鈴木彩子『愛があるなら』(6thアルバム)

2021年03月27日 | その他(鈴木彩子,アマビエ様風味?,雑記など)
忘れた頃に 時々出てくるシリーズ...

ビクターから 鈴木彩子【すずきさいこ】名義のCDで出ていた分の 全作品、 そして、 ビクター在籍期以降のアルバムも 配信に対応したとのことで...

今回は、 6thアルバム『愛があるなら』について。

このタイトルから “ラブソング”主体の世界観を想像して その期待で聴くなら、 見事なまでに裏切られるだろう。
迷路』 『情熱』あたりには、 恋愛的な対象への感情としては ラブソング的な要素も あるにはあるが・・・、 これも いわゆるラブソングのイメージとは かなり趣が違う。

それでも、 このアルバムは “ある意味”では 確かにラブソングでもあるのだと感じる。

このアルバムも含めて、 このアーティストの作品の多くは、 娯楽としてのエンターテイメント性よりも、 メッセージ性が強い表現の印象が顕著。
もちろん、 楽しくて軽い音楽を主体としたアーティストの作品にも メッセージはあるのだが、 その趣旨や描き方次第で 印象の受け方が 相当に違ってくる。
「音楽」に 軽く聴き流して楽しくいられることを求める向きには、 その価値が評価できない・・・というか、 どう聴けばよいのかというところから 戸惑うのかもしれないが・・・
これは、 例えば、 「映画」と表せば同じ分野に入るものでも、 派手なアクションがウリの エンターテイメント作品もあれば、 社会的なテーマに向き合うことに主眼を置いた作品など、 色々あるようなこと。

だから、 「音楽」という手法での表現の価値も、 エンターテイメント性だけではない。

収録されている曲には、 希望に向かっての勢いがある曲もあり、 重い情景を語る曲もあり、と 幅広い。
世の中での風潮として、 表面的な明るさを 前向きや強さといった方向性でのイメージに結び付けて好まれがち。
対して、 重さのある情景は、 意識すること自体を避けられがちで 積極的に扱うことには難しさが多く、 その重さを緩和するような 安易な“空手形”の救いも作らずに 過度なほどストレートに描く表現は 特に印象が強く残りがちで、 ネガティブな評価、 あるいは、 そういう表現をすること自体のような部分へも 嫌悪や反感のような不快感を持つ向きもあるのだろう。

だから、 「売れる」ことだけを目指すのなら、 とにかく何でも、 より多くに触りが良い 夢や希望の方に向いた“がんばりましょうソング”に仕立てて ポジティブ感を演出した方がお利口なのだろうが・・・

でも、 他者の視線ばかりを気にして ステレオタイプなお仕着せのキャラを明るく演じることに腐心するのでは、 対外的にはウケが良くても、 本質的なポジティブでもなければ、 必ずしも望ましい方向性とは限らない。

あるいは、 求めるものを 容易に手が届く範囲に止めてしまうなら、 重く悩むこと自体もないだろう。
そうして 明るく元気に振舞っていられる様や 文言の上では「夢を実現」したとも表せなくはない達成が ポジティブとして好まれがちでも、 その本質は、 表面的なポジティブ感と結び付けられる 前向き・積極的とか 強さとは 全く逆だからこそのもの。

このアルバムは、 実際には 誰しもにあっても、 現実であり 自分自身でありと向き合うことから逃げてしまいがちな 重い心情での世界観も直接的に描く部分もあるからこそ、 その最後に アルバムと同名の『愛があるなら』が置かれている構成での “自分自身へのラブソング”のようなメッセージ表現が より強く感じられる作品になっていると思う。
だから、 このアルバムも また、 全体を通して 厚く聴いてほしい作品だと思う。

そして、 個人的には、 このアルバムは とても特別な作品になっている。

(このところ もう長くやっていないが、 以前は、) 心境的に困難感が強くなった時なんかに、 アルバムを3作品選んで 続けて聴く、ということが よくあった。
当然、 それぞれのアルバムの内容はわかっていて、 どういうイメージを経て、 最終的に 自分の心境を どういう方向にするか、に合わせて選ぶので、 組み合わせや 順番は その時によって違うのだが・・・
それほど深刻ではなく 勢いがある締め方にしたい時は 最後を『BORO BORO』に、とか、 力弱い感がありすぎる時には『9 -nine-』が入ってくる、とか、 少々 “悲壮感”がある決意のようなイメージが必要な時には 最後に『サイコ』を、とか・・・

その中で、 この『愛があるなら』は、 その3作品の中に 殆ど必ず入っていただろうと思う。
その時の心境が どういう方向性であっても、 自分の本質的な部分へのイメージとして 重要な意味を確認できる作品だと感じる。

それは、 「好きなアルバム」というよりは、 自分にとって 「大切なもの」といった感覚。
あるいは、 直接的に聴いている時だけには限らずに影響している 「必要なもの」と表した方が良いのかもしれない。


僕はここにいるよ』 『長い放課後』 『Tomorrow』 『愛があるなら』 の各曲に関しては 過去記事に書いたので、 ここでは省略して・・・


Stranger
1曲目の 『In The Rain』は、 現状でもあり これまででもありの 困難もある状況を“激しい雨”と表して、 その中に進み出して 希望の未来を手に入れよう、といった 勢いがある曲で、 その後の 2曲目という流れ。

(冒頭にサビのフレーズがあった後の、) 詞の最初の部分、
 街はずれの路地に 一人しゃがみこむ
 親子連れが通り過ぎて行く 笑い声が響く
この情景が どんな方向性での感情で見えているのかは、 直接的な文言では表されていないが・・・
世間並みには暮らしている感覚では、 幸せで 微笑ましい、 美しさや 温かさの側のイメージなのかもしれない、が、 この曲での視線では、 哀しさのような 冷たい側の感覚だろう。
この感覚は 解せない向きも多いのかもしれない。
でも、 この描かれ方の感覚には、 (経緯の趣旨が少し違うかもしれないが) とても共感する・・・というか、 共感してしまう。

 腐りかけた夢を独り 身体に打ちつけた僕は
 OH STRANGER IN THE CITY
こういう部分は、
In The Rain
 激しい雨に打たれたい
 涙も見えない位に
 ゴールなんてさ何処だって構わない
 虹が見たいから今を生きる
BACK STREETが俺を愛してる』(アルバム BORO BORO 収録曲)
 みんなが求めるパラダイスを
 探してるだけさこの俺も
 冷たい壁の隙間から光が差し込んで来る
 まるでスポットライトさ
といった詞とは、 表面的な印象はずいぶん違っても、 社会的な状況の立ち位置を考えると それほど違わないのではないかと思う。
同じような状況にあっても、 どういう気持ちでいるかによって 見え方や 感じ方は 大きく違ってくることで、 その方向性は、 どちらが正しいとか そうでないとか、 どちらが良いとか そうでないとかいうものではなく、 どちらもがあるもの。

この詞では、 哀しさの側の感情が連ねられている。
でも、 これは、 困難な状況でも (少なくとも 今は まだ) 諦めていない、 より本質的な部分での前向きな思いを持ち続けていられる強さがあるからこそ抱えている感情だろう。
そして、 『僕はここにいるよ』 『暗闇を着せられた僕』で描かれている情景も、 状況や文言が より深刻で“絶望感”的な方に振れている印象はあっても、 本質的には 同じような感情だろう。


迷路
アップテンポで 圧迫感とか危機感のようなサウンドが好きな曲。
・・・ あまり多くには共感されない感覚かもしれないが x x x

ずっと以前の、 まだ インターネットが ダイヤルアップ中心だった時代に チャットで話題にした時のこと...
この詞では、 朝の通勤風景のような情景が 閉塞感に重ねられているので、 鉄道好きな人から、 ちょっと気が悪いみたいな反応もあったり x x x

まぁ、 これは、 この曲の詞では そういう描かれ方になっている、というだけで、 このアーティストが 鉄道に悪い印象があるというようなことではないだろう。
実際、 『最後の抵抗』(アルバム 罪深き英雄 収録曲)では、 蒸気機関車のイメージでの“夢の列車”が 閉塞感がある状況から抜け出して 求める未来へ力強く進む 希望の象徴的に表されている曲もある。


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