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もう一人の「おんな城主」お田鶴の方

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家康が浜松城に入る以前の彼の歴史はそれほど広く知られているわけではありません。
地元民でも知らないことが沢山!

そんな中で興味をひかれた「お田鶴の方」についてご紹介します。

目次

浜松は徳川家康ゆかりの街

2023年の大河ドラマは「どうする家康」ですが、実は浜松は大河ドラマの舞台として数多くの作品に登場します。
古くは40年前の1983年に滝田栄さんが主演された「徳川家康」、最近では2017年の「おんな城主直虎」、そして2019年の「いだてん」と、ご記憶の方も多いのではないでしょうか?

そんな中で今年の「どうする家康」では過去の作品では、あまりクローズアップされてこなかった武将や女性が数多くピックアップされています。
ここではその中の一人、お田鶴の方(おたづのかた)についてまとめます。

鵜殿氏の姫君

お田鶴の方は今川家の忠臣である鵜殿長持の娘で、鵜殿長照の妹に当たり、母親は今川氏親の娘で今川義元は伯父にあたります。
幼い頃には亀姫と呼ばれ、駿府で今川家の親戚筋という立場で何不自由なく育ちました。

幼馴染には徳川家康とその妻の瀬名がおり、全員が近しい立場で過ごしていたものと思われます。
また、大河ドラマ「徳川家康」では竹下景子さんが演じたこの亀姫(お田鶴の方)が家康の初恋の姫君であったという描写がありました。

そんなお田鶴の方に転機は偉大なカリスマであった今川義元の死、そして徳川家康によって兄の鵜殿長照が討たれたことでした。
今川家の血筋を引き、誇りをもって生きてきたお田鶴の方にとっては尾張の小国の出であった織田家、そしてその属国となって今川家を裏切った徳川家康が許せなかったものと思われます。

夫を裏切る?

お田鶴は後の浜松城となる曳馬城(引間城/ひくまじょう)城主の飯尾連龍の元に嫁ぎました。
彼は次第に今川から離れ、徳川家に心を寄せるようになっていったのです。

それは今川に対する確かな裏切りであり、お田鶴の方はそれを盟主である今川氏真に密告しました。
そのために連龍は出仕した駿府で捕らえられ、氏真に討たれてしまったのです。

おんな城主として立つ

夫亡きあと、お田鶴の方は曳馬城の城主として城を守りました。そこに攻め入ってきたのは徳川家康です。
妻の親戚でもあり、自らも良く知るお田鶴の方を哀れんだ家康は曳馬城を明け渡して投降するよう勧めましたが、お田鶴の方は聞き入れませんでした。
やむを得ず、家康は攻め込み、曳馬城を落とすこととなります。

お田鶴の方は数百の兵士、そして十八人の侍女らとともに最後まで抵抗し、薙刀をふるって戦ったと言われています。
曳馬城は間もなく落ち、家康はお田鶴の方の奮戦を讃え、その遺体を手厚く葬ったのでした。お田鶴の方の享年は18歳であったと言われています。

椿姫観音堂

家康の正室・築山殿は幼馴染のお田鶴の死を悲しみ、その墓に沢山の椿を植えて供養したことから、地元ではお田鶴の方を椿姫と呼ぶようになったという逸話が伝わっています。
その場所は静岡県浜松市中区元浜町、JR浜松駅から徒歩で約20分という距離の街の中です。
そこには今でも「椿姫観音」という小さな祠が残されています。

地元の市民の信仰を集め、長い間大切に守られて手入れされてきたこの場所はひっそりとここに在り続けています。
曳馬城は浜松城と名を改められ、家康の”出世城”として知られるようになりました。
しかし、今でも浜松には曳馬(ひくま)の地名が残されており、電車の駅にも曳馬駅があります。

お田鶴の方を見届けようと

今回の「どうする家康」では関水渚さんが演じているお田鶴の方。
飯尾連龍が氏真に討たれ、この先お田鶴の方に待ち受けているのは悲劇しかありませんが、18歳で散ってしまう彼女を関水渚さんがどう演じてくれるか、じっくり見届けようと思っています。

※画像はイメージです。

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