統一教会、聖典を訓読する

永遠の幸福は、神様を中心とした真の愛の家庭から、

神様と人類は父子関係

2018-04-21 17:23:37 | 平和経
万場の市民の皆様。きょう一時を生きていく人生の道というものは、平坦な道ではありません。それは人間が堕落したからです。人間は堕落の因縁をもって生まれたがゆえに、その堕落によって生じた怨恨の過程を、いずれ乗り越えなければならない運命をもって生まれ、数千、数万年の歴史過程を経てもそれを越えなければ、その恨のみちは私たちの名目に永遠に残るようになるのです。
 エデンの園でアダムとエバが堕落したその瞬間から、人間は不幸の要件をもって出発しました。ですから、人類が幸福の世界に帰るためには、必ず不幸の世界を跳ね返して進まなければなりません。そうでなければ、誰も幸福な世界に帰ることはできません。
 
人類始祖が堕落したことによって人間はだけが不幸になったのではなく、神様までも不幸になりました。人間が生涯を捧げて生きていく一つの目的は、理想世界の実現だけではありません。それよりまず、生命の根源であられる神様に積もった悲しみと悲痛さをどのように打開するかということが、私たちの生涯の目的です。ですから、人類が幸福な所を訪ねるとき、神様も幸福になるのです。神様と人間は父子関係だからです。このように神様や人間は同じ立場に立って、一つの目的を指向し、歴史過程を経ながら今まで歩んできました。神様はアダムとエバを失うことによって、険しい道の中でも険しい道、世の中の誰も願わず、また行きたがらない道を歩んでこられたのです。人間もやはり堕落で残された、この避けることのできない運命の道を、救いの一日を願ってやって来ました。




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死は第2のお産

2018-02-18 14:42:39 | 平和経

(「平和経」第3篇、宗教と理想世界、16人間の行くべき生涯路程)
“私たちは初めに母の胎内にいました。その胎が私たちを育てたふろしきです。そのふろしきの中から出てくるとき、すべてを振り切って生まれるのと同様に、人間は結局、水の世界、陸地の世界、空中の光の世界を経て、永遠な真の愛の世界で暮らすようになるのです。

 霊界では生命の要素が愛なので、愛を通した命令には不可能がなく、即座に実現されます。そこには億万人が一度に夕食を食べるとしても、そこに合う食べ物を準備して、あっという間に宴会をすることができます。そのとき、列席する貴賓たちが、みな女王、王子になりたいというときには、すべて本物の王女、王子になります。それが可能なのです。

 皆様、そのようなことを理解するなら、この地上で暮らしたいですか。あの世に行きたいですか。腹中にいるときは「腹中が一番いい」と言いながら、腹中でただ足をばたつかせながら暮らします。途中で引き出そうとすれば「嫌だ」と言うでしょう。そして、母のおなかの中から外に出る時は、一度死んでから目覚めます。地上での死というのも、一度死んでから目覚めるのと同じ作用なのです。ですから、肉身の死とは、正に第二のお産です。“





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神様で始まって、神様で締めくくる

2018-02-14 14:56:17 | 平和経
(「平和経」第3篇、宗教と理想世界、16人間の行くべき生涯路程)

“私たちは、父母の愛を受け、夫婦の愛を交わし、子女を愛したので、内的な愛の世界に蒔かれた神様の愛のすべてを、一生かけて実を結んで収穫し、あの世に逝くのです。ですから、私たちが完全に愛で一つになれば、神様に似るようになります。夫婦合わさってこのような三段階の愛を完全に完成して霊界に行くようになれば、永遠の主体である神様のみ前に、永遠に「相対としての神様」になるのです。真の愛を中心として夫婦が死ねば、そのようになります。ですから、神様で始まって神様で締めくくるのです。
 
 人間が死ななければならない理由は、体をもっていては制限された愛でしか愛することができないからです。無限大の神様の真の愛の対象的実権をもって現れようとするなら、制限された肉身だけではできないのです。ですから、無形の霊にならざるを得ません。さらに、真の愛の理想を全天地とともに同一化するためです。死は苦痛の道ではなく、宇宙的な真の愛を所有できる幸福の門を開門する時間です。死ぬということは、這って歩き回る陸地の世界から、ひらひらと飛び回って暮らせる世界に移ることです。全宇宙を自分の舞台にして、真の愛で旅行を楽しめる資格をもった人になり、そのような世界に入門するために死の道を行くのです。ですから、死ぬことは正に新しく生まれることです。“



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三段階を経て、愛の世界へ

2018-02-14 14:17:08 | 平和経
(「平和経」第3篇、宗教と理想世界、16人間の行くべき生涯路程)

“死ぬ瞬間からは第二の空中世界を振り切って、新しい第三の愛の呼吸器官に連結されなければなりません。父母の愛、兄弟の愛を振り切って霊界に入り、結局は大宇宙の神様の本体と和合する愛の世界に入ります。種が本体から出てきたので、結果を結んで、また本体に戻らなければならないのです。霊界は愛の空気で満ちています。ですから、私たちはこの地上世界で、愛の息をすることができるもう一つのパイプ装置を準備しなければなりません。ですから、霊界を体験し、霊的な愛を感じて呼吸できる人になってこそ、霊界で死なないのです。
 
 霊界は愛を呼吸し、愛を中心として暮らす世界です。ですから、完全な愛の人格をつくれなければ、行ったり来たりする道が制限され、四方に通じません。門を通ったとしても一つの門だけを通らなければならないと同じです。春夏秋冬。いつでもどこでも合わせて暮らせる資格を備えようとすれば、完全な愛の人格を具備しなければなりません。ですから、三時代を経るように人間を造ったのです。
 
 とんぼも、幼虫が水の中で泳ぎ回り、地上に上がってきてしばらく這い回ります。その次にはひらひらと飛び回り、食べるとは思いもしなかった虫を捕まえて食べます。天下を自分の舞台として飛び回るのです。このように昆虫類の中には、羽があって三段階の世界を経るものが多いのです。昆虫もこのように水と陸地での生を経て空中で暮らすのですから、万物の霊長である私たち人間は、もっと次元の高い翼をもっているのです。“





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肉身の死は、第二の出生

2018-02-13 16:58:40 | 平和経
(「平和経」第3篇、宗教と理想世界、16人間の行くべき生涯路程)

“神様の真の愛は、同胞を愛しても、世界の人を愛しても、万物を愛しても、感じることができます。どの国の人でも、五色人種を愛する心をもたなければならないのです。人だけではなく、微々たるものまで愛することができる心をもたなければなりません。自動的にそれが湧き出てこなければならないというのです。花が咲けば、その美しい色や香りは自然に出るのです。同様に、愛の花が咲かなければならず、愛の香りが自動的に宿らなければならないというのです。

そうするには、その愛の花を咲かせ得る栄養素をうけなければなりません。植物が地と太陽から栄養素を受けるのと同様に、私たちも肉身と霊人体を通して栄養素を受けるのです。それで、肉身を通して生力要素を受け、その次には霊人体を通して生霊要素を受けます。そうすることによって、自分は愛を完備した実体となり、どこでも飛んでいくことができます。そのようになれば、太陽系をはじめとする大宇宙は、すべて自分の活動舞台になるのです。

 人間が肉身生活を終えたのちには、第二の出生をします。これが死です。第二の出生をする所、死んで行く世界が正に霊界です。その世界に入って、第三の父母である神様から宇宙全体を代表した愛が供給されるのです。理想的な愛が供給されるというのです。ですから、霊界では統一されざるを得ません。“




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愛は電波より光より速い

2018-02-12 17:31:56 | 平和経
(「平和経」第3篇、宗教と理想世界、16人間の行くべき生涯路程)
 “人間には翼がないので、どんな昆虫や鳥よりももっと遠くに飛び、どんな飛行機よりももっと早く地球星を回るには、実体の肉身ではできません。どんなに走っても、いくらも行けないのです。人は万物の霊長として神様と対等な相対的立場にあります。ですから、一秒間に30万キロメートルを走る光よりもっと速い作用ができなければなりません。それを可能にするものが霊人体です。今、私がソウルにいても、霊人体はさっとニューヨークに行ってくることができるのです。稲妻より速いというのです。このように、思いとともに歩調を合わせて作用するのが霊人体です。しかし、世の中で一番速い作用とは、愛の作用です。世の中で一番速度が速いのは光や電波ではありません。世の中で一番速く、高く飛べる力をもったものが愛です。この地の果てとあの地の果てにいる人間同士で互いに愛し合うようになれば、その地の果てを越えて引っ張り合うのです。愛はそのような力をもっています。

真の愛を体験した人は、神様の本来の理想的な世界では、神様が願うあらゆることを即座に所有できる能力と権限をもちます。そして、そのような資格は地上でもたなければなりません。霊人体を中心として肉身が一つになる過程で、神様の愛の接続点が真の家庭において形成されてこそ、そのような立場に進むことができるからです。





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真の人

2018-02-11 12:28:39 | 平和経
(「平和経」第3篇、宗教と理想世界、16人間の行くべき生涯路程)
“ですから、愛を中心として、まず体と心を一つにしなければなりません。そして、神様を中心とした従的な世界である霊界を愛することができなければなりません。そして、未来に中心国家が現れれば、その国を中心として全世界の人類を愛さなければなりません。ですから、真の愛を中心として、犠牲、奉仕、献身の道を通じ、霊界をつくることができます。そうすれば、神様もそこに臨在されるようになるのです。

全霊界と全宇宙が合わさったものを天宙と言いますが、すべての霊界と宇宙は、真の愛を中心として、この天宙が一つに統一されることを願います。天宙を統一できるのも、全体の家庭を理想化させて一つにできるのも真の愛です。それで今日、人間が地上で暮らしても、永遠の生活をする霊界に入っても、絶対に必要なものは真の愛しかないという結論が出てきます。
真の愛は、人間や霊界だけでなく、すべてが好みます。ですから、真の愛をもった人は、動物や所いう物たちからも好まれ、彼を主人として迎えようとし、どのような存在でも真の愛を中心とした人と一つになろうとするのです。被造世界のあらゆる存在は、真の愛をもって生きる男性と女性のまえに近づこうとし、彼と共に生き、彼により主管されることを理想とします。ですから、この世の中で一番貴いものとは、真の愛をもった男性と女性、すなわち真の人だという結論が出てくるのです。“





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真の愛を中心とした家庭

2018-02-10 09:10:20 | 平和経
(「平和経」第3篇、宗教と理想世界、16人間の行くべき生涯路程)
 
"真の愛を中心として男性と女性が一つになり、理想的な夫婦となって家庭を築けば、彼らは神様と身代わりする立場に立つようになり、宇宙のすべてに連結されます。そのようになるとき、神様のすべてが自分のものになるのです。どれほど幸福な立場でしょうか。ですから、私たちは万物を征服したい気持ちになるのです。男性と女性が合わさって家庭と社会と国家、そして世界を築くがゆえに、男性と女性が中心になって築いた家庭は氏族のモデルにならなければならず、氏族は国家のモデルにならなければならないのです。私たちの家庭が行くべき道とは、理想的な家庭と氏族と国を復帰していくことです。ですから、理想的な国が出てくるためには理想的な家庭がなければなりません。
 
尊敬する市民の皆様、真の愛が偉大な理由は、真の愛で私自身が神様の対象になることができ、神様も私自身になることができるからです。聖書にも「父がわたしにおり、また、わたしが父におることを知って悟であろう」(ヨハネ10・38)とあります。父が息子の中に、孫が祖父の中に、祖父が孫の中にあるという言葉は、ここから生じた言葉だと考えます。
 祖母と祖父は、孫を中心として情を結ばなければなりません。それでこそ、愛の垂直線が始まるのです。また、孫は、祖母、祖父と一つにならなければなりません。祖父と祖母は神様と同じ立場なので、神様のように侍らなければなりません。そうでなければ、従的な愛の軸を見いだすことができません。これを立てたのちに、横が生じるのです。横的なものは四方に連結されますが、従的なものはただ一つです。横的なものは東西南北、360度に動くことができ、従的なものは一つの点で動くことはできますが、分離することはできないのです。"



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夫婦が愛し合うということは、神様を迎えること

2018-02-09 13:09:38 | 平和経
“夫婦が愛し合うということは、神様を迎えることです。本来、父母は本然の神様の立場を代表し、ここで夫と妻は互いに他の一方の神様になります。そして、息子、娘はまた一つの小さな神様です。神様は真の愛の本体なので、真の愛と連結されれば、みな同じ体になります。父母は神様の代身として生きている神様であり、夫婦も神様の代身であり、子女も神様の大身です。このように三代が真の愛を中心として神様を身代わりするのです。

ですから、父母も、夫婦も、そして子女も真の愛を必要とするのです。このように真の愛を中心に形成された家庭組織が天国の基盤です。そのような基盤を形成しなければ、天国が実現しません。これが公式です。家庭とは、すべての宇宙の現実世界の中心です。今日、人々は自分の家庭が、国と世界と宇宙を代表した家庭であることを知らずにいます。中心としての家庭だということを、知らずにいるというのです。ですから、家庭を破綻させることは、国と世界と宇宙に対する反抗になります。家庭の完成は宇宙完成の基礎になるので、家庭で愛するように宇宙を愛すれば、どこでも無事通過です。この場合、神様は宇宙全体の父母として、愛の複合的な中心の立場でいらっしゃいます。“

(「平和経」第3篇、宗教と理想世界、16人間の行くべき生涯路程)





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思春期には、、、

2018-02-08 18:16:04 | 平和経
「平和経」を続ける(第3篇、宗教と理想世界、16人間の行くべき生涯路程):

“ 思春期には、ただ秋風に吹かれて落ち葉がコロコロ転がるのを見るだけでも笑うのです。乞食が訪ねてきて物乞いの歌を歌っても、思春期には「ああ!また来た。またやっているな」と言って歓迎します。そのように四方に拡大されるのです。ですから、おとなしくしていた女性たちも、髪の手入や化粧をし、しきりに体に何かを塗るようになります。欲も強くなるのです。そらが愛の横的な現象です。ですから、人生行路は旅のような道ですが、ここで備えるべきことは、縦横の愛を体恤していかなければならないということです。真の父母の愛、真の夫婦の愛、真の兄弟の愛、真の息子、娘の愛を中心とした家庭を築いたのち、これを横的に拡大し、東西南北におおくの家庭を広げておかなけらばないません。そうして、彼らが縦横を連結できる真の家庭を形成し、氏族圏、民族圏、国家圏、世界圏で神様と真の愛で連結されるとき、その世界を天国というのです。“



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私は父母の愛の実

2018-02-07 15:17:23 | 平和経

(前回より続く)「平和経」

”出生したのち、肉身時代には、生んであげた父母が子育てを受け持って正しい人に育てるのです。世界と国と家庭を代表し、父母がすべてを教えて供給してくれます。私たちが父母から物質を供給され、教育され、個体として完成すれば‘、愛を中心とした横的な基盤に連結させたかればなりません。それが結婚です。父母は結婚するときまで責任をもつようになります。結婚して、父と母が互いに愛し合っていたその愛を引き継ぐのです。父母が自分を生んでどれほど愛したかを、自分が結婚して子女を生みそだててみることによって知るようになり、その愛を引き継ぐのです。そうすることによって、自分は愛を完全にうけることができ、与えることができる人になります。そうして、完全な一人の男性、女性として成熟するのです。

父母の従的な愛で生まれ、成熟し、横的に愛するようになって、初めて総合的な愛の圏を見いだすことができます。天地は球形世界なので、縦横と上下、左右、前後のあいが連結されてここそ、それを与え合いながら回り、すべてがまとまって一つの調和のサンタ―として現れるのです。ですから、天地の従的愛が内外に軸としてしっかりと立てば、その次に横的な愛が必要なので、思春期というものがあるのです。”





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創造の妙味、神聖な姿

2018-02-06 12:53:29 | 平和経
「平和経」を続けます:

“ 母のおなかの中では、いつも背中を曲げていなければならず、鼻も口もみな塞がっているのですが、胎児には自由天地なのです。胎児がおなかの中から生まれるとき、「私は世の中で出て、口で蜂蜜も食べ、餅も食べ、御飯も食べる」と考えて生まれますか。むしろ、そのおなかの中から外に出る時になって「ああ、ここがいい」と思うのです。
しかし「出たくない」と思っても、時が来れば出るようになるのです。羊水が流れ出れば、それに従って外に出るようになりますが、このようにして生まれることを安産といいます。

赤ん坊は生まれるやいなや、泣くと同時に鼻の穴で息をするようになり、第二世界、すなわち空気世界に連結されます。おなかの中から空気世界に連結されて出てくるときには、腹中世界で暮らしたへその緒と羊水の袋をみな壊して出てこなければなりません。それらの死(破壊)と同時に、地球星の母の所に生まれるのです。

生まれてからは、口で食べて鼻で息をするのです。ところが、地上で食べる食べ物は肉身が生きるのに必要な栄養分であって、本質的な生命要素ではありません。生命要素は、正に愛です。ですから、この世の中でも愛という空気を吸わなければなりません。母と父から愛の空気を吸わなけらばならないのです。

赤ん坊が生まれると、母の愛の電波に沿って自動的に乳首を探しにいきます。美女であるかどうかは関係なく、愛のある母であればいいのです。これこそ創造の妙味、かつ神聖な姿なのです。人は愛で生まれ。愛を受けながら成長します。

このような立場で見るとき。「私」というものは、父母の愛の実です。父と母の愛がどのようなものかを実際の実そして見せたのが自分なのです。愛の実であるがゆえに、父母は「私」を愛さなければなりません。その実を通して無限な愛がまた実を結ぶのです。個人的愛、家庭的愛、民族的愛、国家的愛、世界的愛、宇宙的愛、そして本質的な神様の愛にまで連結できる道がここにあるというのです。”




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父母の愛の綱、生命の綱

2018-02-05 11:50:03 | 平和経
「平和経」を続けます(第3篇、宗教と理想世界、16人間の行くべき生涯路程):

 “ 自分には父母の生命の綱、愛の綱、そして理想の綱が連結されていますが、この綱は誰も切ることはできません。神様も切ることができず、宇宙も切ることはできません。むしろ、宇宙のすべての力がそれを擁護しようとするのです。ですから、私がどこに行っても、父と母がついてくるようになります。あの霊界にまでも、父と母は共にいようとするのです。ですから、父と母が同行するのを嫌うのは、大きな罪です。この宇宙を破綻させる破壊行為だというのです。父母を連れていくことを嫌うのは、既にその人が宇宙の原則から離れていくことを意味します。
 ですから、父母を自分の体のように思って愛し、父母に孝行することが、人間において最高に価値あることです。「和する家庭に福が来る」という言葉も、そこから来るのです。父母が離婚することは、刀で子女を半分に切ることと同じです。それは宇宙の公法が許しません。これに逆らう父母はどこに行っても災いを受け、不幸がついて回るのであって、幸福になることはできないのです。
物質世界、父母、神様は三大父母
 自分は三大父母を通して生まれました。第一の父母は物質世界です。物質の世界からあらゆる要素を取り出して、物質の中心として、物質の複合的な存在として自分は造られました。このような観点から、その物質の元素自体が自分を生んでくれた先祖でもあり、また自分の延長が物質世界でもあります。この物質は愛の理想の立場においてのみ安着するように、宇宙はできています。愛の理想の立場において、すべての細胞が平安に生きられるようになっています。もし腹を立てたりすれば、すべてがこじれてしまうのです。
 次に、自分の体を生んでくれた父母が第二の父母です。自分を生んでくれた父母が、自分をして一つの形態を備えて生まれてくることができるにしました。しかし、この父母はどんなに頑張っても愛の主人になることはできません。自分の生命の主人にはなれますが、愛の主人にはなれないのです。
 愛の主人は神様です。愛を宇宙化させて、愛を永遠化させるために神様がいらっしゃるのです。神様は愛の主体であられるので、愛を中心として父母になっています。ですから、神様が私たちの第三の父母です。このように私たちは三第父母をもっているのです。

 私たち人間の一生は、腹中時代の十カ月、肉身時代の百年、そして霊界時代の千年、万年を永遠に生きていきます。私たちの顔を見れば、口、鼻、目の三段階になっていますが、これは人間が生きてゆく三時代の姿を見せてくれているのです。口は物質世界である腹中時代を象徴し、鼻は地上時代を、目は霊界の天上時代を表します。
 胎児が育つ母のおなかの羊水の中は、胎児には正に自由天地です。“  



父母と子女

2018-02-04 20:33:04 | 平和経
統一原理で教える父母と子女の関係を、「平和経」から学んでみよう。

ですから、父母に対して同等な立場で権利を主張することができます。「お父さんとお母さんは私がいなければ不幸です。私がいてこそ幸福でしょう」と言うとき、父母は「そうだ」と言うのです。そして、自分も父母がいなければ不幸だというのです。なぜなら、父母が原因で、私は結果だからです。父母と自分は愛を中心として一つです。原因と結果が一つになって愛の実体圏を形成するのです。これが宇宙の道理です。
 統一教会の原理では、主体と対象が一つになるところから力が出てくると言います。ですから、原因である父母が自分と一つになれば、主体と対象が一つになって一体となったので、新しい対象となって、より大きな主体と一つになることができます。神様がその主体ならば、その神様と一つになるのです。すなわち、神様の理想的な愛を中心として神様と完全な主体と対象の関係を形成すれば、神様と人間は完全に父子関係になって、一つになるのです。神様と人間の愛の関係が形成されれば、宇宙にはいつも明るい太陽のような愛の光が発せられるのです。
自分は、父と母の二つの生命が一つに結合した生命の連結体であるというだけでなく、父母の愛の同参者として父母の愛と一体です。さらには、自分は父母の理想とも一体です。理想には幸福や平和というものがすべて入ります。父母にとって、自分が世の中で成功したときの喜びがいくら大きくても、失った子女に出会ったときの喜びとは比較になりません。子女は父母の最高の理想と一体だというのです。



メシヤを通じて宇宙愛を見いだす

2018-02-03 21:25:30 | 平和経
結局、我々が宇宙愛を見出すのも、自分ではできないことであり、そこに神に頼る信仰が出てくるだのだ。そして、実際の生活で神様を体験し、神様の心情を知りながら、一体となろうと思えば、神様と一体となり、神様と一問一答し、神様と共に生活しているメシヤを通さなければならないということになる。
 聖書が長い歴史を通じて、常に多くに人に読まれてきたのは、いつの時代でも変わらず人間の心ので求め続けているものを教えてくれるからである。それが取りも直さず、愛と神様である。これは、明白な歴史的証拠だというに尽きる。

「平和経」を続けると:
  監獄に入って、拷問血を吐くことになったとしても、神様が抱いてくださる愛のみ手を感じれば、それがかえって神様が骨髄にしみる愛で抱くことのできる一つの条件になるのです。このように考えるとき。死ぬような環境も、幸福な場だと考えて歩むことができるのです。このようなことを考えるとき、男性も女性も、愛の力の中にいる人は、強い人なのです。国や世界を与えても変化させることができません。そのような人の前には、サタンも屈服せざるを得ない驚くべき結果が現れます。
 
ですから、神様がこの宇宙的愛を中心とした人間を代表して呼ばれるとするのなら、その方は正にメシヤです。イエス様がその代表者だというのです。メシヤを通さなければ、宇宙愛を見いだすことはできません。ですから、万民はそのあとについていかなければならないという論理が成立するのです。イエス様は、「私は道であり、真理であり、命である。だれでも私によらないでは、父のみもとに行くことはできない」(ヨハネ14・6)と言われましたが、ここに愛という言葉を一つ加えなければなりません。「私は道であり、真理であり、命であり、愛である。だれでも私によらないでは、父のみもとに行くことはできない」と言ってこそ、論理がより明確になるのです。私たち人間は、父母の愛の中で生まれました。その父母の愛の一番中心の、主人として生まれたのです。ですから、父母は、私一人をつくりだすために愛し合ったという結論が出てきます。



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