日々上等!

日々上等!

再婚した時は55歳だった
とらちゃんは62歳になりました。私は多発性嚢胞腎、多発性肝嚢胞、橋本病、冠攣縮性狭心症、神経痛などでヨロヨロ。
2人で力を合わせて生きていくはずだったのに。とらちゃんは私を残して逝ってしまいました。2024.4.2

地下鉄で年金事務所へ。

地図を見ながら歩く道は
とらちゃんが私を仕事に
送って行く時に
車で通った道。
涙が込み上げる。

担当をしてくださった
社会保険労務士の女性は
とても優しく
柔らかな声の方で
泣かずに落ち着いて対応できた。

とらちゃんの名前
生年月日
私の名前
生年月日
住所
ひとつひとつ埋めていく作業。
こうやって
事務処理は進んでいくのだなと。
とらちゃんが
ここにいない事を
確認する作業。



帰りになんばまで出て
とらちゃんにお花とおはぎを
買って帰った。

とらちゃんがいてくれたら
駅までお迎えに来てくれるのに。
どうしようもない事。

そんなに歩いたわけでもないのに
痛む足と腰を庇いながら
家に帰る。

文太が
今日も1人で帰ってきた私を
不思議そうに見て
玄関に確認に走る。
そこにいるの?
とらちゃん。
亡くなってすぐは
当たり前の様に
とらちゃんを私の郷に
連れて帰るつもりでした。

とらちゃんが生前
『俺が死んだら
かぼの家のお墓に入りたい』と
言っていたから。

とらちゃんのご兄弟も
とらちゃんのお子達も
賛成してくれました。

でも
時間が経つにつれ
ホントにそれで良いのか
迷いが出てきました。



とらちゃんには
お兄さんと妹さんがいます。
とらちゃんは真ん中で
同じ家にいながら
おばあちゃんに
育てられていたそうです。
そのおばあちゃんから
小さい頃に
『お前は○○家の子としてでなく
1人で生きていかないといけない』
言われていたそうです。

とらちゃんは何度もその話を
していたので
子供ながらに辛かったのだろうと
思っています。
とらちゃんはその言葉を守ったのか
早くから1人立ちしたようです。

でも
とらちゃんは本当は
お母さんとお父さんがいる
故郷に帰りたいんじゃないかな。
自分が死んだ時に
私が困らないでいいように
揉め事とかおこらないように
『かぼの所』にと
言ったのではないかと。

一緒になった最初の頃は
『無縁仏にしてくれたらいい』と
言っていたのだから。

御骨の1部は
お兄さん、妹さんが
それぞれ持って帰ってくれたけれど
とらちゃんのホントの気持ちは
どこにあったのだろうと
考えると心配になります。

優しくて
我儘で
強いふりした弱虫さんの
とらちゃんは
本当はどうしたい?

 

 

 

 

 

 

去年のドラマ

『100万回 言えばよかった』

 

毎週楽しみに見ていました。

その時から大好きだった

マカロニえんぴつさんの

『リンジュー・ラブ』

 

まさか、いなくなるなんてね。

思いもせずに。

 

今はとらとゃんのことを思い

聞いています。

 

帰ってきて欲しいです。

もう一度、話したいです。

大事な事、私一人じゃ決めかねている事

とらちゃんの好きな物を一緒に食べて

ちゃんと手を繋いで、

ちゃんとちゃんと見送りたいです。