「命」の輝きを忘れない!「健康」は宝です!! 「病」を癒し、病院と縁を切る為のガイドブック

第一章「生命誕生と進化の真実」

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第一章「生命誕生と進化の真実」


1: 生命の居場所

東西思想の違い

 生命の起源と進化については、現代の学問に於いて既に決着のついた、確立された理論があるように理解されていると思うが、それは誤解である。

 進化論に至っては遥か悠久の時の向こうだから、諸説入り乱れての、喧々囂々の談義があってしかるべきと思うが、現在の生物学-医学においては、少し乱暴な表現をすれば、それは互いに矛盾する学説の妥協案が取り入れられ、生物学、医学の基礎となっている。

 物事の因果関係を追求せねばならない学問の世界で、何故こんなことが起こっているのか不思議なことである。

 つまるところ現代科学は、その得意とする物理学によって、ナノ技術が隆盛を極め、先端産業として世間の耳目を集めているが、翻って、生物学、医学の世界観は、ニュートン力学が提唱された1687年から一歩も進展していないと言われている。

 「こころ」や「いのち」といった科学を超越した、或いは物質とは対極にある、目には捉えられない存在に対しては、科学は未だに手をこまねいている。直線的、不可逆的思考が得意な西洋科学の限界でもあろう。

 現代科学は西洋思想をその基礎としているが、その背景にあるのは農耕に適さない厳しい自然環境の中で、何万年も大変な苦労を重ね、自然と闘い、自然を征して生き抜いてきた背景を持つ。

 また隣国からの侵略の脅威から、国を守らねばならない宿命も背負わねばならなかった。こういう環境では、直線的、不可逆的、分析的、排他的、非中立の思想が育まれるのであろうか。

 一方、日本は温暖で四季の移り変わる、農耕に適した環境に恵まれている。とは言え、外に出れば豊富な果物が自生する常夏の環境ではなく、地震、台風などの厳しい自然環境がある中で、自然を敬い、自然と共生する道を選ぶのは当然の帰結であったろう。

 それは当然、循環的、総合的、可逆的、中立的思想を生むことになる。特に日本では大陸から孤立し、四方を海に抱かれた環境で平和が守られ、和を尊ぶという社会思想が育まれ、争いを好まぬ民族性を持つに至った。

 それにもまして東洋哲学は「空」や「無」の概念を確立し、「ゼロ」の発見をもたらした。また陰陽の気が宇宙の根本のエネルギーであると喝破した。

 西洋の思想は物理科学を発展させ、今日の発展をもたらしたが、素粒子の世界の科学の目でも、捉えることのできないミクロコスモスの分野で苦戦を強いられている。

 電子顕微鏡で捉えられない、見えない世界こそが「生命」の領分であり「空」を満たす、宇宙根源のエネルギーの世界なのだ。

 生命の世界はまさしく、千変万化し捉えどころがなく、あらゆる方向性を見出し得る。現代社会において格好の例が、抗生物質に耐性を持つに至った細菌があげられよう。これは生物学の分野で否定されている、ラマルクの「獲得形質の遺伝」が正しいことの証明ではないだろうか。

 このように人間がつくる学問の定説と、宇宙の「森羅万象」を支配する法則とは必ずしも一致しない。そこに経済が絡むと、さらなる混沌を生むことになる。

小宇宙からの叫び

  • 身体が発する声無き声を聞け

 人体は小宇宙だと表現されるが、その意味するところは、大宇宙を宇宙たらしめている、人智の及ばない法則が、厳として存在しているのだけれども、その法則によって、人体も支配されているという事実にほかならない。

 人が病に苦しむとき、その法則、つまり「生存の原理」ともいうべきルールから逸脱した結果なのである。どんな難病であろうと、生命のある限り、このルールに従うならば健康を取り戻す可能性は充分にあるのだ。

 生命は常にその環境の変化に伴い、己の居場所を決めている。心地よい環境ならば、剛健であり、風邪さえも寄り付かぬ。不快な環境下であれば病へとその体を導いていく。病を得るのは運や偶然ではなく、己の生きた証なのである。

 あなたが間違った判断でその居場所、つまり悪い環境に身を置けば、生命は悲鳴をあげながらその生命力を消耗していくことになる。命の本質に気づき、生命のあるべき居場所を決めるのはあなた自身なのである。

 現代医学は、急性疾患、或いは外傷の治療は得意とする物理的手法によって、治療効果を上げてきた。しかしながら慢性機能疾患に対しては手を拱いているのが実情である。

 それは、「命や意識」のような形而上の問題は、科学的研究の対象になり難く、形而下の現象だけを研究対象としてきた、ルネッサンス以後の近代の歴史的背景に問題がある。

 常に変化を続け、科学の目では捉え難い生命の本質を見極める事は、とても難解ではあろう。しかしその本質を正確に捉え説明している研究や学説が提唱されても、認められず闇に埋もれている。あるいは排斥され異端視されている。

 このような闇に埋もれた優れた研究成果に光を当てることで、既存の学問が示す世界とは、別の世界が垣間見えるのである。

2: 地球の四十六億年

化学進化

 四十六億年前、地球には大小の隕石が襲来し、そのエネルギーで地球は溶け、溶岩の海に包まれていた。やがて隕石の数も減り、溶岩の海が固まり始めると、大量の水蒸気が雨となって地上に降り注ぎ、海が形成されてゆく。隕石や彗星からも有機物や水が発見されているように、宇宙には生命が溢れているとも言える。

 始原地球に於いても、窒素、二酸化炭素、塩素、水蒸気などで構成された原始大気を材料に、稲妻による放電現象、また紫外線などによって、大気中の成分が結合し、アミノ酸、核酸塩基、ポリプチッド、ポリフィリン、シアン化水素、各種の糖などの生命基幹物質が合成されていった。これらの化合物は、海に溢れ更なる高次の化合物へと発展する。

 歴史上に始源生命が登場するのは、三十五億年前と言われている。海が形成されたのが 四十億年前だとされるが、最初の生命誕生に数億年を要している。仮に四億年かけて誕生したとすると、最初の脊椎動物が出現してから、現在に至るまでとほぼ同等と言うことになる。つまり始原生命の誕生は恐ろしく難産であった事が伺える

 しかし地質学的資料からの判断では真実は見えてこない。実際にはそれ程の時は必要なかったのかもしれない。ともかくも海が形成された事がきっかけとなった事は、間違いないであろう。

 海に蓄積された生命機関物質は、生命の可能性を探りながら離合集散を繰り返し、ついには生命の誕生を見る。
 しかしそれは単なる偶然などではなく、宇宙を支配する原理原則から導かれた必然の結果であったろう。

  • 波動/共鳴する生命

 物質は固有の周波数を持っている。同じ周波数、または近似の周波数を持つ物質は共鳴し、互いに引き付け合い集合し、新たな物質へ生成発展を遂げることになる。こうして高分子化合物が合成されていく。それは星間ガスが集まり、星を形成するのにも似ている。

 またもう一つの要素として、触媒作用をする物質の存在も重要になる。最初の触媒は鉱物から溶け出した、金属イオンであったと考えられる。高次の有機物が合成されていくのと同時にそれに必要な触媒も増えていったであろう。

 タンパク質が合成されるに至って、触媒作用を持つ酵素の誕生を見たのではないか。酵素の出現によって多様で複雑な化学合成が営まれ、生命誕生へと導かれてゆく。

 因みに触媒とは、化学反応を、効率よく促進する為の物質を言う。この機能により反応時間が劇的に短縮される。ある化学反応に要する時間が1秒だとすると、酵素の触媒作用がなければ、なんと30年以上も費やすことになるらしい。
 触媒がなければ生命の誕生は無かったかもしれない。

  • 酵素による反応時間の短縮= 1/109~1/1018 (10億分の1~100京分の1)

 何はともあれ、波動の原理と触媒作用の干渉を受けながら、物質が発展する化学進化を経て
始原生命の誕生へとつながった。

生物進化

 こうして誕生した始原生命は、更に永い期間、進化の可能性を模索し続ける事になる。

 約16億年の間は、原核生物の時代。その後、真核生物が現れ、更に10億年、単細胞生物の時代が続き、細胞数が数十個の原生動物が誕生し、目に見える無脊椎動物が現れるまでに、更に4億年の歳月をかけている。目に見えない微生物の時代が30億年以上も続いた事になる。

 この間にシアノバクテリアなどの、光合成細菌が大気中に酸素を放出し、来るべき生物の上陸に備える事になるのだが、始原生命はどのようにして、その小さな身体で地球の大気に酸素を満たす、大きな働きが出来たのだろうか。

 化学進化の最終段階で、生成された有機物は高分子の有機化合物となり、「生きている物質」と言う状態まで発展を遂げていた。

 この状態から生命の誕生を迎えるのだが、その環境に適応して豊富にある有機物を食料にしたに違いない。そして棲息域を拡げ、別の環境に存在する物質からエネルギーを獲得する様に進化したのであろう。

 あるものは有機物を摂り入れ、あるものは大量に海水に溶け込んだ二酸化炭素を栄養源にする微生物。更に硫化水素のような猛毒さえエネルギーにしてしまう微生物も登場する。

 海底数千メートルの暗黒・低温・高圧環境下に、また、地下三千メートルの岩盤の中にも確認され、各々の生態系を形成している。

 そして二酸化炭素を利用する生物の中から、太陽光を利用する光合成を獲得した「シアノバクテリア」が現れ、酸素を生産し始めた。

 酸素が環境に満たされると、それを利用する微生物も出現し、この酸素を利用する微生物の登場で、生命は飛躍的に進化することになる。酸素を利用すると、非常に効率よくエネルギーを生産でき、それに伴い行動も素早く、活動範囲も大きく拡がっていく事になる。

 さて目に見える無脊椎動物から、脊椎動物の誕生までが、三千万年を要し、この時代に生命のビッグバンと呼ばれる、多様な生物が大発生している。
 原始の海に大発生した生物群は、地球環境に最も適した、生命の形を模索しながらまず最初に植物が上陸し、その後 両生類が新天地を目指して、上陸を果たすまでが約二億年。

 両生類が上陸を果たしてから現在に至るまで、三億六千万年を費やしている。微生物の時代が三十億年という事を考慮すると、この進化の速度は驚異的ですらある。

 これは何を意味するのだろうか。三十億年という途方も無い時間を使って、後の高等生物に至る為の、必要な機能を獲得し熟成させ、時が満ちれば、瞬時に進化できる細胞の形を整えていたとしか思えない。最も三億年は人間にとって果てしなく永いけれども・・・・

学問体系の変遷

  • 現代医学を支える、基礎理論の危うさ
    • 「生きている物質」「モネラ」

 高分子有機化合物が集合し、始原生命へ至る前駆物質を、「生きている物質」とレペシンスカヤが表現し、ヘッケルは「モネラ」という概念を提唱した。「モネラ」とは器官のない生物、生物の分類上の一群。独立して自己増殖できない生命単位。ウイロイド・ウイルス・バクテリオファージなどを含む。或いは無構造の 小さな塊という意味を持つ。

 これは生物学で定義する、生命の概念には当然ながら程遠い。しかしこの「生きている物質」「モネラ」という生命の前駆物質こそ、いわば星間ガスが集合し、今まさに光を放とうとする時の状態と同じだといえよう。

 その生きている物質つまり「モネラ」の中にはプリオン・ウイロイド・ウィルスなどが含まれ、これらは生きている物質「モネラ」から発生した生命体様の物質ということになるが、厳密には生命とは認められていない。

 しかし生命が、厳密に線引きできるような単純なものでないことは明らかである。生命の最小単位とされるバクテリアと生物を構成する細胞を含めて、各々の間に壁など存在せず、環境に応じて可逆的に変化を繰り返し姿を変えているのである

 つまり生きている物質から発生したウィルスは、集合してバクテリアへと生成発展する。また環境の悪化で、バクテリアは崩壊してウィルスに戻り、生存の道を探るという行動をとる。体を小さく保つほうが生存効率が高まるからである。それが生命の持つ生存本能なのだ

 私たちの体内で炎症が起こり、組織が崩壊するのがこれに相当する。炎症という状態はウィルス・バクテリアによる結果とされるが、そうではなくて血液の酸毒化によって、脆弱な細胞が環境の悪化に耐えられず崩壊して、ウィルス・バクテリアに姿を変えたに過ぎない森下血液理論)。

 ライプニッツは自然界の全てのものは、斬新な連続性で貫かれており、そこに飛躍はないとして、「連続性の哲学」を提唱している。この哲学はダーウィンの「進化論」にも影響を与え、生物進化の連続性を解くきっかけとなった。

 そして無機物から有機物が生じ、「生きている物質」から資源生命へと至る、オパーリンの「生命の起源」へと受け継がれていく。 しかし1894年、W・ベートソンがダーウィンの連続変異説を否定。そして不連続変異による、飛躍的変異説を提唱した。これを、H・ドブリースが方向性のない、偶然的な飛躍だけが進化の要因であるとする、突然変異説を掲げ後押しして以来、生物学の基礎理論として定着している。

 生命誕生と進化の問題は、複雑で多岐にわたる繊細な内容を含み、簡単には結論など出せはしない。それを学問として体系づけるには、極めて慎重であらねばならないのだが、現実の生物学・栄養学・医学の基礎を成す幾つかの定理は、あまりに杜撰で、無責任極まりないとしか言い様がない。

 それが現在の医療の混乱をもたらし、多くの人々の信頼を裏切っている原因でもある。医療に携わる人々はもっと謙虚に、大切な命がその手に委ねられている事の認識を新たにし、その責任の重大さを真摯な態度で問い直して頂きたいものである


3: 癒し物質セロトニン

脳細胞の再生

「セロトニン」胎教が育む子育て文化

 近年にわかに注目を集めている「セロトニン」は幸せ物質とも呼ばれる、神経伝達物質で、不足すると鬱病を発症しやすくなるとの事。 また体内で生産される約80%は、腸内に存在していて腸の重要な働きに関係していることも分かってきた。

 このセロトニンという神経伝達物質は、脳細胞を再生する働きがあるとも言われており、重要な役割を担っている。 現代のストレス社会で癒しを必要とする人は多い。

 癒しによってセロトニンの分泌を促し、ストレスによって傷ついた脳細胞を、再生する働きがあればストレスに苦しむ人々が求める、癒しの有効性が脳細胞の再生という、最高の形で報われるということになる、喜ばしいことである。

 しかし科学的認知を得ようと、否定されようとそんなこととは関係なく、脳細胞は今も、昔も再生されてきたのであって、これから先も必要なことは必要なだけ人の知らないところで、細胞レベルでの活動が営まれ続けている。生命のあるべき姿を「生存の原理」に従って、淡々と突き詰めるだけなのであって、それが命の営みというものである

 それはおそらく、東洋的思想からすれば自明のことであったはずである。科学的に認知されたものだけを是とする思想は、人類の平和に貢献しない。「あるがまま」を受け入れ、全てを許容する姿勢こそ重要であろう。

 たとえば生命の誕生に際し胎教や出産後のスキンシップを人々は大切にしてきた。胎児にとって出産時のストレスは、その後の人生に大きく影響する、トラウマを生むとの研究もなされている。

 それは出産時のストレスによって、破壊され傷ついた脳細胞が冷たい体重計に乗せられたり、目を点眼薬で洗浄したり、直後にへその緒を切られたりと、物のごとく扱われることで更に深く傷ついていくことを、先人たちは深遠なる洞察力をもって理解していたに違いない。

 このような、愛も温もりも感じられない扱いを受けたのでは、せっかくの誕生という神聖な生命の営みが。初めから躓く事になりはしないか。

 本来の出産に最適な環境は、薄暗い落ち着ける部屋でその時を静かに待ち出産直後は母親の胸に抱かれ、親と子のスキンシップが何より優先されねばならない。この事でストレスに満ちた世界に生まれでた赤ちゃんは安心し、聴きなれた母の鼓動に包まれ、安らぎ癒されてゆくのである

 この時、心からの感謝と愛の言葉を投げかけることで、親と子の絆は一層深まり、その後の人生で必要な「心の核」を育むことになる。仮に妊娠中の胎教に行き届かない面があって、赤ちゃんが深く傷ついていたとしても、この行為で癒されるに違いない。

 これは、親子の信頼関係や、人としての 心 を育む基礎を魂に刻み込む大切な儀式である。「胎教」という短い言葉で、先人たちはこのことを我々に教えてくれている。子供を大切にするという素晴らしい文化を育んでくれた。

 現代人はこの尊い教えを後世に残してゆかねばならない。子供達の輝く未来のために・・・・


命を失った医療

科学という概念の誤解

 赤ちゃんが誕生する時出産時のストレスや、胎内で母親の心理的影響を受けて、深く傷ついた胎児も暖かい母親の愛と温もりの中で、癒され救われることを、人々は洋の東西を問わず、それぞれの民族の知恵として、潜在意識の中に刻み込んできたはずである

 しかし科学という概念の誤解により、或いは合理的-経済的という病院側の都合により、真実は歪められ、片隅に放置されている。

 またそれぞれの分野の技術革新や研究に依って、見い出される事実は命の世界の一部分でしかなく、「いのち」の全体を見通す視点がなければ、せっかくの発見や研究も、実際の医療の現場で活かされるはずもない。

 何故ならば、セロトニンが脳細胞の再生に深く関わっているという発見の例で言えば、セロトニンが関与し脳細胞の再生が起きても、間違った食生活、治療に依って、継続的に肉体はストレスに曝され、疲弊し消耗して己の生命力を失っていく。

 そこには命を観るという、基本が欠落しており、生命を細分化し臓器しか観ない医療が行われ混迷するばかりである。こうした生理を無視した学説や理論の存在によって更に強いストレスが加えられ再生される以上に、破壊が起きるからである。

 医は仁術という基本に立ち返り、病気を診るのではなく、命と人を観る医療に切り替えて欲しいものである。


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