父が亡くなった時の話・最後です。
前回の続きです。
あまり寝れなかった私ですが、割りと元気でした。この日の予定は何も無かったのですが、遠方から来てくれた親族への対応や葬儀・告別式の段取り、書類の提出などもあり忙しかったです。
この日も実家に泊まらせて貰いました。
この日位カラ記憶が曖昧なので間違っていたりしたらすいません。
翌日納棺。納棺の前に湯灌の儀と言うのがありました。
この湯灌の儀をしてくれた方がとても、とても丁寧で驚きました。亡くなる前、とても綺麗好きだった父。そしてお風呂が大好きだった父。
「久しぶりのお風呂だね。」
と皆で声を掛けてあげました。
始まる前も綺麗にしてもらえると思い、良かったねと思っていたんですが、始まってみると、その丁寧さと、気遣いなどでビックリする位泣きました。
2人1組で、
初めは顔にクリームを塗り、髭を剃って貰い、その後頭を洗い、顔を洗いました。その間にもう1人の方が体を洗ってくれました。
その後爪を切ってくれたり本当に丁寧にして貰いました。
湯灌(ゆかん)の儀式とは、亡くなられた方が、 来世に導かれるために現世の汚れを洗い清めると云う意味と、赤ちゃんが生まれたとき、 産湯につかるように、新たに来世に生まれ変わるためにと云う願いをこめ行うそうです。
湯灌の儀が終わり、その後父にお化粧をしてもらい、白装束を着せ、棺桶に蓋をしました。最後まで丁寧にしてもらって本当に感謝です。
昔「おくりびと」と言う映画が流行りましたが、当時あまり興味がなく見ませんでした。が……今ならなぜ流行ったのか分かる気がします。まだ見てないので今度見たいと思います。
この日の予定は一応終わり。
でも全然暇はありません。葬儀が終わったら祭壇がないといけません。なのでベルコサンと一緒に家へ行き、祭壇の設置。
そして父の遺影を作らなければならないので写真を持って来たり。
父はもうそんなに先が長くないと思って、退職の時に制服で写真をとっていてくれました。因みに海上保安庁の制服です。
帽子を被っていたので
「大丈夫ですか?」
と聞かれましたが、父が
「この写真を遺影に使って」
と母に言っていたのでこのまま使いました。
そして葬儀の時に流す写真を選ぶ為に、父のパソコンの写真が入っている所を弟に開いて貰いました。
すると……
私や弟、母の写真が大量に。孫の写真も沢山ありました。
父のパソコンなので普段は父以外誰も触りません。こんなに写真をとってくれてた事に涙が止まりませんでした。
写真を選び終えて1度ベルコサンに行き、皆に挨拶して実家に戻りました。弟を連れて。
この日も弟はベルコサンに泊まりだったんですが殆んど何にも食べてなかったのと、多分寝てないと思い私が強制的に連れ帰りました。
そして次の日は火葬。
車で火葬場に行き最後のお別れをしました。
もしかしたら甦るんではないかと思ったりしましたが、本当にお別れです。
本当の本当にお別れです。
涙腺崩壊とはこの事なんだなと思うくらい涙止まりませんでした。
父が焼かれている間、子供達も居たので、なんか良かったな。と。
そしてお姉ちゃん(6歳)に
「泣かないで。大丈夫だから。みんな居るよ」と励まされ、
お兄ちゃん(3歳)に「よしよし」をされ、しっかりしなければ‼‼と思いました。
そんなやり取りをしてると他の待合室カラ喧嘩する声が。
よくみるとオジサン同士の喧嘩。
内容は介護の話と喪主が……。みたいな話をしてました。
おそらく遺産の話。
火葬場で信じられないと思いました。
そして本当に居るんだと。
その後お骨を拾い再びベルコサンに行き、お寺サンにお経を読んで貰いました。
そして次の日は葬儀・告別式。
この辺は本当にほぼ記憶がないので書きません。
そんな感じで進んだ父の葬儀。
イッパイ泣いて、沢山人が来てくれて、父は幸せだったのかな?と思います。
でも本当に大変だと思うのはここから。しばらく色々な手続きに追われそうです(母が)。
私は亡くなる前に何度も会いに行き、沢山お話もしたので後悔とかはあまりありません。
唯一あるとしたら死に目に会えなかった事。
そして亡くなる前に父が辛かったのも知っています。と言ううか亡くなる前のガリガリで苦しそうで、目の焦点も合わなかったり、返事も出来ない、筋肉が勝手に反応してビクッと動いたりしていた父を見るよりは全然良いかなと思います。
子供も3人居るし頑張らなければいけない時期なので前向きに頑張りたいと思います。
遺産……?気になりますよね?
私も弟も全部放棄しました。
遺産で揉めると弟と母の住む場所が無くなるし、遺産で揉めて家族仲が悪くなるのは嫌なので‼‼
でも電気屋のポイントカードとスーツ屋のポイントカードは貰いましたよ(笑)
おしまい