眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

日記こそが王道だ

2024-02-06 23:35:00 | ブログ反省会
 ブログで何を書いたらいいかわからない。そういう人は、迷わず日記を書くのがいいでしょう。僕も、最近は日記に注目しています。
 今後は、「日常・体験・感情」といったものが、キーワードになってくるかもしません。 革命的な進化をみせる AI は、歌詞でも物語でも論文でもそれらしく書いてみせます。知識・情報という領域となると、もはや人間ではかなわなくなるでしょう。

 だけど、彼も日記だけは書けないのです。彼には生身の体験や感情がないからです。正しいことは話せても、悩んだり感動したり病んだり、恋したり。そういうところは、現在のところはまだ未熟で苦手のようなのです。人間である僕たちは、 AI と向き合う中で、「人間とは何か?」ということについて、考えさせられます。あるいは、「仕事とは何か?」、「アートとは何か?」、「表現とは何か?」そういう問題について、突き詰めて考えることになるでしょう。

 人間とは、考えて行動する生き物と言うことができます。
 考えて、行動すれば、 次に日記を書くのが自然な流れとなります。


 今日はうどん屋さんに行きました。うどん屋さんに入ると、誰も気づきませんでした。一歩目で気づかれないと、嫌な予感がするものですが、やはり歩を進めても誰も気づく様子がありません。帰ろうかとも思いましたが、帰ったら負けだと思いました。足音を立てず、空気のように気配を消して入る僕が悪かったのでしょう。何も黙って入ることもなかったのです。

「あー、腹減ったぞー」とか、「いやー、今日は何食べようかなあ」とか、いくらでも独り言をつぶやきながら入店することは可能だったはずです。

 出汁職人さんも、麺職人さんも、背中を向けて何か作業に追われている様子でした。人は背中に目などついていないのだから、僕が来たことに気づかないのも仕方ありません。
 しかし、僕が見えている店の人は、他にもいるはずです。あなた、あなた、あんた、僕が見えているでしょう。来たって教えなきゃ。教えてあげればいいじゃないですか。いや、僕か。僕が、おーいとか、こんにちはとか、すみませーんとか、うどんくださーいとか、何か言えばいいのでした。
 けれども、僕は元気が出ませんでした。(おつかれさまと言っても返事がなかったな。とか少し前のことを思い出して凹んでいたのです)
 少し水滴のついたトレイと小皿だけ取って、スライドして、海老天を小皿に載せて、そのまま進んで、レジでかけうどんを注文しました。

「かけうどーん!」

 間接的にうどんが注文されました。(よかった)その時、麺職人さんは、少し驚いたでしょうか。
 僕も、接客の経験があるのでわかります。入ってくることに気づかずに目の前に突然客が立っていたら。突然いたら心臓に悪いのです。何か靴音の1つでもさせながら、やってきてほしいのです。いつでも前を向いて、来客に備えているというのが理想ですが、現実はそうもいかないのです。
 うどんを食べて帰る時には、店の至る所から「ありがとうございます」の声が聞こえました。

 僕は、麺職人さんに一言言ってほしかったのです。
「あんた、幽霊みたいだな!」

 そうです。不朽の名作ドラマ『さよなら、小津先生』の中で出てくる台詞ですね。ドラマは、はじまりがあって終わりがあって、はじまりに続くみたいな、スポーツ青春ドラマですが、真剣なところも、少しふざけたようなところもあって、僕はこのドラマが大好きなのです。最初観た時に、いいなとは思ったのですが、最近また改めて観てみると、やっぱり何度観てもいいのですね。
 田村正和と言えば、古畑任三郎を思い浮かべる人も多いと思います。そこでの今泉役の西村雅彦との名コンビもいいですが、『さよなら、小津先生』の中でのユースケ・サンタマリアとの関係性とか、かけあいとか、無茶苦茶面白いんですよ! (騙されたと思って、観てほしいですね) まあ、キャストはめっちゃ豪華です。ああ、あの人が出てる。若いなとか、今だからできる発見もあります。そして、エンディングが、aikoの「おやすみなさい」。もう、しびれるしかないじゃないですか。
 とにかく、楽しくて、かっこよくて、心がホットになる名作ドラマです。

「あんた、幽霊みたいだな!」

 でも、まああんまり客に言ったら駄目な奴ですね。(コンプライアンス的に)


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