眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

きき感覚

2021-09-20 06:44:00 | ナノノベル
「一口に酒類と申しましても、これはもう皆さんも十分ご承知のように、ワインから始まりまして、と言ってもこれは始まりは他にあるという声もあるところですが、また種々の酒類がもたらす効果についても自由研究の枠を超えて、これまた世界中から様々な知見を集めてそれに当たっているところと聞いております。いずれにしろ、そうしたことをミックスして得られる快楽や危機的な状況へとつながる高揚感を持ったカウンターを注視しておかねばなりません。その一方で、それが含む一定の安らぎの効果に期待されるように、お休み前のひと時に欠かせないと言われることもまた事実であります。

 今、テレビでは街ぶらと言われる旅番組が多くなっていると聞いてますし、また一方では多方面からの諸々の圧力が加わることによって、減少しているとも聞いています。街ぶらというのは、やはり街をぶらぶらと歩くものという解釈が成立する一方で、また、そのための一定の準備、方式というものがあるんじゃあないでしょうか。いずれにしろ、今そうした街ぶらの中においても酒類の提供と人流の減少傾向については、この一年を通して最大の関心を持ってスポーツ観戦に努めて参りました。

 また一方で、夏というものは気温が一気に上昇して暑く感じられるというのも事実であります。手には団扇、部屋にはエアコン・扇風機、そうした家電製品はまさにニッポンの目玉製品としてあらゆる製品を差し置いてもぐんぐん伸びていくことでありますし、そうした各エンジニアの方々の日々の努力の上に成り立つ製品の飛躍、これは言い換えればジャンプと言われるものでありますが、それこそ暑い盛りにおいての夢と希望、あるいは友情を育むことと密につながっているという事実も、これは軽々に見過ごすことはできない事実であるということも、現段階において確かになってきているところであります。

 そうした気象条件の中で流れてくる素麺を食べるなら、私たちは2本の箸を手に持ってそれに当たるであろうことは、専門家の方も仰っていた通り、また一連の流れに従って流れるものを、私の手によってのみ止められるものではないとお手元の資料にも書いてあります。

 のどを通過する時の一瞬の清涼感は、まさにアスリートが駆け抜けた後の風に違いありません。ちゃぶ台の上に丼を置いて、皆さんは夏の風になることができるであろうと考えております。葱、しょうが、わさび、七味唐辛子、これは一般に薬味と言われるものでありますけど、色んな出身や種目によってそれぞれの個性が表現される余地が、夢の多様性として今後の人類の温暖化対策における一定の切り札としての役割を果たすことが期待される中で、人々を釘付けにする家電が目の前に存在することは、確かな事実であるわけですから、そうした努力によって人流を制御することを努力目標として継続していることを、ご理解いただきたい。

 割られた西瓜は食べなければなりません。仮にそうでなければ、狸にでも持っていかれる恐れが存在することを猫は犬はに関わらず、念頭に置いて警戒に当たらねばならないことは、より一層肩の負担が増すことと同意であって、それはそうしたことが本来避けなければならない第一の危機的問題であるという認識と矛盾することは間違いないと思います。言うまでもなく一度狸の手に渡ってしまった物は、人間の力で簡単に取り戻すことはできません。こうしたことは野生の勘がそれを教えるところでもありますし、長年に渡り人類が進化の過程で学んできたことの結果でもあろうと考えられます。しかしながら、人間であろうと猫であろうと、鳥のように空を飛ぶことができないということも、これは事実なのではないでしょうか。私はそのように思います。

 いずれにしろ、打たれたサーブはやはり打ち返さねばなりません。ただ見送っているだけでは、難なく相手に得点を許してしまうのではないでしょうか。そうなった時に、喜ぶのは相手の選手ではありませんか。選手だけではありません。その選手を陰で支える様々な人々、友達から親友から知人、あるいは家族、恋人、SNSのフォロワー、これはツイッターをはじめ様々なネットワークが現に存在しているわけでありますが、サポーター、スポンサー、そうした人たちと一体となりながら、選手は戦っているということを考慮の上で繰り返される運動があり、その動きは生命活動の基本の理念であろうと聞いているところでもありますし、裏を返せば打ち返すのはサーブであってホームランではないということもあって、そうした面からも学ぶべきところは多いのではないでしょうか。

 その一方で、やはりボールがなければフットボールも始まらないというのも、明らかな事実なのではないでしょうか。そのように思います。また、思い切って地球規模に視野を広げてみますと、今まさに温暖化は待ったなしであると叫ばれています。そうした声の多くは、事前に酒類を含んでいるということも、外野の声として漏れ伝わっているとも聞いており、各方面で連携をはかり高い関心を持って回線を広げながら、これは今5Gを中心として飛ぶ鳥を落とす勢いで日々加速しておるところでありますが、多様な意見を募ることが私の責任であると日々痛感しているところで、これは私自身が再三申し上げている次第でもあります。

 いずれにしろ、生き物というものは喉の渇く存在であるわけでありますから、これはもう季節を問わずに水分補給、競技時間の中にも、これはnote、スケートボード、ソフトボール、演劇、ロック、フェス、そうした様々な競技が同時進行している段階でありますが、そのための時間を設けることの徹底を図ることが、世界的な基準の中で浸透しつつあるということです。最も重要なことはそうした熱帯を生き抜くために果たして何ができるのか、それぞれの自己責任の中で国民一人一人が、国が何をしてくれるのかではなく、自分が何を飲むべきなのか、お茶なのか、一口にお茶と言っても麦茶もあれば緑茶もあるという中で、あるいはコーラであるのか、若者に問いかけているところであり、またこれは若者自身が自分たち自身についても自問すべき責任がありますが、各組織の長、商店街の皆様とも密に連携を図る中で、発想を柔軟に広げることによっては、暑い時に熱いものを食べることを、そこはできると考えております。

 食材に好んで火を通すものが人間であるということは事実であります。様々な文化がある中でレシピやオーダーは交わるもの交わらないものとがあり、長年に渡って培われた人類の知恵や勇気を詰め込んだものがたこ焼きであることは東西の枠を越えて、今や月の大地にまで旗が立つほどの共感を得ていることは、これはもう皆さんにも周知のところであると聞いております。6個で300円のたこ焼きが、8個ではいくらになるのか、また12個ではいくらになるのか、そこは各自治体と密に会談を重ね、限られた時間の中で、私は昨日3時間ほどしか寝ておりませんけれど、そうしたところと柔軟に照らし合わせて、厳しく注視しておるところであります。

 その一方で、うどんと丼がセットとして売られている実態があることも事実であります。やはり麺類だけでは物足りない。丼、これはカツ丼親子丼他人丼等様々な丼があるわけでありますが、それもいいがやはり麺類も食べたい。そうした人が注文することになるのではないでしょうか。いずれにしろ、徹底した人流の抑制、そこにかけるべき規制は例外なく、そして躊躇なく、ロック、遠足、格闘技、ダンス、盆踊り、修学旅行、運動会、そうしたところも規制の幅を責任を持って広げて参りたい。まさにパラレルワールドにでも存在しない限りできないものであると専門家の声も承っており、そこはそのように考えておるところです。皆さんも質問の前に1つ水分を取ってから質問に当たるということをくれぐれも自己紹介と共にお願いしたい。

 夏になると裏の田圃で蛙が歌うと聞いています。家のおじいさんおばあさん、近所の子供たち、散歩途中の犬が、蛙の歌を聞いていると聞いています。あるいは、鴉もそれを聞いているのではないでしょうか。鴉は人間の言葉がわかると聞いています。朝昼晩一日を通して様々なあいさつをするものと聞いております。あいさつというのはおもてなしの基本であると聞いております。おもてなしの精神があるということは、これはもう鴉には心が通っているという証ではないでしょうか。AIによる分析でもそのようなことが言われていると聞いています。

 そういった研究も一方では盛んになっているという事実が認められてもいいのではないでしょうか。昼夜を問わず夢に向かっていくそうした姿勢には、誠に頭が下がる思いです。ありがとうございます。

 また、その一方ではやはり鴉は人間の顔も判別が可能だとも聞いております。この人は何をしている人なのか、遊んでいるのか、仕事中なのか、苦労しているのか、悩んでいるのか、緊張しているのか、腹を括っているのか、善人なのか、悪人なのか、人の顔色を窺いながら、そうした様々な要素を読み取ることが得意であるとも聞いております。そうした一連の仕草の中から、過去に遡って自分に対して酷い行いをした人間はいないか、そうした面というものは特に記憶に強く定着しているわけですから、そこでもしもそのような者が目に留まったという話になれば、そこは何らかの復讐の手段に打って出るということは、疑うことのない事実であります。

 地球上のあらゆる生き物に対しては一定のリスペクトの念を持って接しなければならないことは改めて言うまでもありません。そうした基本を踏みにじるような行いはあってはならないことではないでしょうか。やられたらやり返す。そうした鴉の執念深さを拝見させていただく度に、誠に頭が下がる思いです。ご苦労様です。

 蛙の歌については私も聞いたことがあります。その歌を聞く限りにおいて鴉は元からわるい鴉はいないと聞いております。そこは心配しておりません。

 世界は今IT革命の時代に突入したと聞いております。まさに戦国時代だと聞いております。まさにスピードが命だと聞いております。戦国と平和、生命と安心、様々な概念がパラレルワールドの如く交じりながら、武将たちは戦に勝ち抜くために様々な工夫を凝らした城を建て、いかなる城であろうともまずは柱なくしては基礎を構築することはできなかったということは事実であります。

 待ち受ける城があるなら、矢倉の城、美濃の城、穴熊の城、ミレニアム、そうしたものは次々と変化進化を経たものでありますが、いずれの城も勝利を志す武将の下に一丸となって攻め落とさねばなりません。根気強く粘り強く城を攻略する上では様々な武器が用意されていたと聞いています。こんぼう、剣、ヌンチャク、手裏剣、これは長年に渡り修行を積んだ者による高度な技術が必要であり、また勇者の剣、これはごく一部の選ばれし者だけが持つことができるものでありますが、そうした様々な中で、世界情勢、国々の文化的な背景、あるいはまたその時の天候、地べたの乾燥具合、いずれにしろ軍師をはじめとする各方面から、専門的な知見を集結させて日々それを実行させて参りました。

 その点からも、やはり昔から言われておりますように、先生方からの指摘にも耳に残っておりますが、腹が減っては戦はできぬと聞いております。静まりかえった戦場を前にしてグーとお腹が鳴るようなことがあれば、それはお腹が減ったという人類共通の証ではないでしょうか。勝っても負けてもこれで最後、まさに結びの一番といった危機的な状況で、勝負メシとして有力なのはこれは握り飯、早い話がおにぎりであります。

 合戦の前日、前夜、あるいは合間合間で戦士たちは大きな口を開けておにぎりを頬張ったと聞いております。そうした中でいざ戦だとなれば景気をよくするために用いられたのは、太鼓であると聞いております。太鼓が鳴り、ベースが鳴り、ギターが鳴り、笛が鳴り、これは一部には夜に吹くことが禁じられているとも聞いておりますが、太鼓が鳴れば人間というものはそれは興奮した、一種のこの世のものならぬ状態にまで入り、自然と体が弾むように動き出すというところ、またそうした流れ、人流を乗り越えて始まったところの踊り、そこに様々な流派ができて、そこに盆踊りが始まったということがささやかれており、健康促進に決して欠かすことはできません。

 右手におにぎりを持てば、また一方の手にはやはり味噌汁がある、こうした形が栄養面からおいても最強の武器であるという指摘は聞いておりますが、戦場においてはそうしたことも安心して許されるということは、それはこちらでも把握できておりません。安心を最優先にすれば安全は得られず、また安全を兜に被って戦うにはこれは装備としては物足りない面もあることから、あるいはそうした戦場について見えてくるものは、月明かりの中で思い出されるふるさとの風景であるということは先生方も仰られているところでもあります。

 おにぎり、UFO、空飛ぶ円盤、ドーナッツ、バームクーヘン、あるいは月である、そうした丸い明かりが見え始めたところから、狼男の伝説も出ているということは事実であります。いずれにしろそうした危機的な戦場、未知の問題、あるいはまたUMAといったものから切り離して味噌汁を摂取するためには、まずはそうした装備を解除した上で、各家庭に帰ることが極めて重要なミッションであるという認識で一致しております。そうした中で、味噌汁に入る具としては、豆腐とわかめをはじめとして、なめこ、揚げなす、人参、玉葱、のり、大根、しじみやあさりといった貝類、あるいはまたじゃが芋、おくら、三つ葉、長葱、野菜、そうした繊細で具体的な材料を備えて、ここぞというタイミングで投入することによって、朝晩には明かりとなってはっきりと見えてきていることは、これは間違いのないところではないでしょうか。

 その一方で、やはり家庭は今ではまた大変な戦場であることも事実であり、そうした中でテレワーク、高速回線、温故知新、安全安心な音楽配信、ラインミュージック、アップルミュージック、スポティファイ、そうした様々なサブスク、テクノロジーの力を結集させて不要不急とされる楽しみの発展にも力を尽くしてきました。

 あるいはまた、そうした音楽の持つ力、クリエイティブな力を結集させて、戦士たちの士気を高めて参ります。いずれの城の城主も、城を預かる上では大変な苦労があり、その責任の重さはまさに待ったなし、ぽんぽんとリズムよく決断していくこと、速さと正確さを持った情報を発信するためには、そこは強いリーダーシップに乗っ取った早馬を走らさねばなりません。

 早馬は、これは馬は自陣に引けとも言われておりますが、それはこれには当たらず、また早馬による高速回線を利用した運動によって、各国の城主や地域の長とも密に連携を図らなければなりません。また早馬の背に連結された手紙、巻物、エキセントリック・ボード、エッセンス、メッセージ、そういった様々な伝達手段が群雄割拠の時代において、まさに、そうしたところの正確性、迅速性といったものを見逃さない目がより一層培われていったところは記憶にも新しいのではないでしょうか。

 あるいはまた文字の世界においても似て非なるものがあり、これは仮名の世界においてもそうであります。例えば心という文字は漢字で書くことが多い一方で、ひらがなで書くことが多いと言うことも、これは確かな事実であります。その一方で、あるいは心という文字はカタカタを使って書くという選択も、当然あってよいことではないでしょうか。「ね」と「わ」あるいは「れ」そういったところは大変似ていて間違いが起こりやすい、あるいは「め」と「ぬ」、あるいはまた「き」と「さ」、あるいは他のところでは「り」と「い」、あるいはまた「あ」と「お」、あるいは「る」「ろ」「う」、そういったところの一字一句を精査しながら、変えられるところは変えられる、そうした柔軟な姿勢で臨むといったところに心のあり方がたずねられているところでもあります。

 伝わらなければ勝てる戦も勝てません。そうした早馬を送り出す話において、極めて重要なことは話の筋が通っているということではないでしょうか。蛇のようにくねくねとしていたり、ちぢれ麺のようになることなく、一本筋の通った、それはまさに棒型のラーメンであり、いずれの城の中においてもその形状の袋麺であれば、多くのスペースを取ることもなく、ここぞという小腹が空いた時に投入することで、戦を優位に導くことができることはこれはその通りであります。

 戦ってばかりでは戦士たちも疲れてしまいます。疲れた時にはやはり休息も必要であると聞いております。かつては私も小さな戦士としてその場に立ったことがあるように記憶しております。前にならえと言うかけ声に従って腕を前に伸ばせば、前方にいる戦士との間に一定の安全な距離を取ることが可能でした。また、その反対に、休めというかけ声があれば、腕を下げ、今度は脚をルーズに伸ばすことによって他人と心の距離を適切に取ることが十分に可能になっておりました。そうした中で休みの姿勢が長く続けば、どこにも行くところもなく、何が休みなのか休みとは一体何であるのか、オンとオフの切り替えがないところでは、そういったところの思考が停止されて、またそのようなことからも運動の促進、公園や広い歩道を活用した散歩、あるいはそうしたインフラの整備全般についても幅広く検討を進めるよう、これはこちらからも申し上げているところであります。

 いずれにしろ、戦が始まれば当然これはその間には、その合間合間において適切な休みが設けられることになるのではないでしょうか。立ち話も何でしょうからそこには世界各国から続々と椅子が運ばれてくると聞いております。間に合わないところではパイプ椅子ということになりますが、そこはやはり座った時にミシミシと音が鳴ることがあり、それが気になるということであれば、耳栓、これは200円、300円から求めることができます。あるいはヘッドフォンをつけて音楽等を聞くということもこれは認められており、また座ったところから立ち上がる際にも再度ミシミシと音が鳴ることも、長期的には多く報告も入ってきているところであり、これについてもそういった対処方法を踏襲することが可能で、耳栓、そうしたガジェット、テクノロジーの運用を効率的に進めてきました。

 どっちにしろ、約束された椅子というものは世界のどこにも存在しないものであり、それは感性の築く居場所、探究の内の火星、深夜高速、サービスエリア、空想の道の駅、そうした様々な範囲に渡って自らの心の約束の中に釘を打ち、ネジを回すことによって得られる体験から学べるところは学び、モチベーションの持続に背中を向けて胡座をかいているわけではありませんでした。そうした中で武将たちはそれぞれの知恵を絞って盤を挟むことがあり、そこでは強い武将あるいはまた軍師ともなれば、そこは相手のいかなる得意戦法であろうと勇気を持って飛び込んでいく、正面から正々堂々と受けて立つ、そうした姿勢がみてとれます。

 一方では棋は対話なりとも言われており、矢倉の城、美濃の城、右玉の城、穴熊の城、いずれの城も、やはり王様を中心とした戦の中では密に連携を図りながら、現代将棋ではコミュニケーションに誠実さを持って取り組み姿勢が極めて重要であります。序盤戦における定跡は、先後によって大きく変化すると聞いております。いかなる時においても先手になることは不可能ではないでしょうか。

 先後は振り駒によって決まると聞いております。振り駒はまず盤上にある一定の駒を手に取って、それらを手の中に囲ってしゃかしゃかと振ることによってシャッフルさせて表と裏がどちらかに偏らないような状態まで持って行き、その際には指の隙間から駒がこぼれ落ちてしまわないように努め、数秒間に渡って多くは上下に振り続けることを行った上で、ここぞというタイミングで宙に放ちます。放たれた駒は、まもなく畳の上に落ちてくることがこれはもう決まっております。そうしたことによって、振り駒の結果として先手か後手かということが決まってくるということから、これはもう運ではないでしょうか。

 もしも盤が宇宙の果てまでも続くものならば、先頭に並んだ歩は数え切れないほどの駒になるのではないでしょうか。そのような盤は歴史の上に存在しておらず、初手についてはだいたい定跡が決まっているということは事実であります。端から香車、桂馬、金銀王様、また大きなところでは飛車、これは最も人気の高い駒であります。角がいます。歩というものは成るとと金になるものと聞いております。またこれは大変強いものであるという話も、四段、五段、八段、また九段の先生からもそのような意見が集まってきておる段階であります。

 いずれの駒も、裏返った時には金の働き、スペックを手にすることができ、そのために武将たちは計画に沿って駒を前に前に進めていく中で、中盤に近づくに従って各陣営では高い価値を持った駒の動向に注視し、夜戦に近づくにつれ関心レベルの拡張に努めて参ります。そうした中にあっても唯一金将だけは、裏返って働くことがありません。これは今後100年、200年、あるいは1000年、3000年、20億年、世の中がひっくり返ることがあっても変わらない事実であります。裏のない将は純粋であり、そこに一切の嘘や偽りといったものはないのではないでしょうか。

 その一方で、名人には定跡なしとも聞いております。既に定跡書に書かれて結論が出ているものであっても、それをそのままの形で読むということではなく、名人としての奥義、解釈、また抑揚、そうした様々な武器を持って新しい道を歩いて行くということが、十分可能となっております。こうした状況の中で、日々進歩していく最新形に対しては更にその上を行くような対策を打った上で、その上でテレワークの促進、オンラインでの和食、洋食、あるいはまた大勢による黙読を積極的に行った上で、予定通りに、ここは最低限の盛大さを保った上での人流歓迎会の実施について検討を進めて参りたい。

 時代は今まさに待ったなしという非常に切迫した時間帯に入ってきております。そうした中であらゆる予算と回線を密に接続して、総ギガをフルに押し上げて12ギガ16ギガ20ギガ50ギガ、それをも凌ぐとされるギガ放題これによってあらゆる会議、会談、映画、面会、遠距離恋愛、対人ゲーム、オセロ、ポーカー、囲碁将棋、人狼、それにまつわるアバター、ハンドルネーム、コーンフレーク、それに関連した孤独の解消、生き甲斐の獲得、総合的な活躍、希望的観測の拡散、パラレルワールドへの旅行の緩和、そうしたことを虎視眈々と狙いながら、個人個人が孤軍奮闘、そうして縦横無尽の大陸間の移動、やはりゴツゴツした岩場での真犯人及び真実の追求、公共福祉に渡る因数分解、会食、言い換えればバイキングによる多様性、麦ご飯、赤飯、トースト、クロワッサン、定食各種、麻婆豆腐、八宝菜、チャーハン、それに付随したスープ、あるいはまたそうしたご飯・ランチ・ディナーに至るまであらゆる層が心行くまでおもてなしの様式を満喫するべく、皆が納得の行く形での終着点、言わば鉄道における終着駅に向けて前例や偽りのない調査を持続、最後の最後まで歩みを止めることなく、あらゆる抑圧や束縛から解放された安らかな緊急事態の宣言の実現を現実として受け止めて、それによってやはりしてやったりとくつろいで椅子にかけることができるのではないでしょうか。長いような短いような、これはそれぞれ聞き方にもよるものでありますが、私からの説明とさせていただきます」





「他に質問のある方いらっしゃいましたら、こぞって挙手の方をお願いいたします」


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