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2018年02月22日

イクター制の成立と展開




アッバース朝時代は官僚制が整いアター体制を維持。
マムルークの台頭により支配地域がイラク周辺に縮小し国庫収入激減。アター体制の維持が困難になりブワイフ朝ムイッズ=アッダウラは騎士に分与地(イクター)の徴税権を委ねる政策をとる。これをイクター制という。

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イクター制では軍事奉公の義務をイクター保有者は負い、農民などはイクター保有者の直接支配を受けるようになる。
セルジューク朝のイクター制はエジプトに伝わり、アイユーブ朝の十字軍との戦闘はイクターの収入によって装備を整えたトルコ人やクルド人の騎士たちだった。
マムルークはイクター内の水路や運河の整備、小麦やサトウキビの栽培を進める。
砂糖を意味するシュガーはエジプトの砂糖(スッカル)よりきている。



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2018年02月15日

肉を食べたら吊るし首




中世カトリック教会は宗教日の肉食を禁止し、7世紀には金曜日も肉食が禁止になった。
イギリスでは金曜日に肉を食べた場合吊るし首にされる法律が16世紀まであった。
また肉抜きの日は性行も禁止された。
赤身の肉は「熱い」から催淫効果があるからダメ。
水に棲む動物の肉は「冷たい」から食べても良いとされた。

参考図書 塩の世界史 マーク•カーランスキー





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2018年02月13日

イスラーム国家の産業と経済




広大な領域を支配したイスラーム国家はビザンツ帝国とササン朝の貨幣を継承し流通貨幣とする。
金貨⇨ディナール金貨(ビザンツ帝国由来)
銀貨⇨ディルハム銀貨(ササン朝由来)
アッバース朝時代には為替手形(スフタジャ)や小切手を利用する手形決済が発達する。
貨幣経済の発達により政府は都市や農村より現物と貨幣の二本体制で徴税が可能となる。
商品経済の発達によりイスラーム社会に世界各地の品物がもたらされる。
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エジプト⇨亜麻織物
ダスマスク⇨綿織物、絹織物
バグダードやサマルカンド⇨貴金属、紙、ガラス製品
イラン、イラク⇨絨毯
中国⇨絹織物、陶磁器、
インド⇨香辛料
東南アジア⇨香辛料
ロシア⇨毛皮、奴隷
ビザンツ帝国⇨絹織物
西ヨーロッパ⇨木材、鉄
アフリカ⇨金、奴隷

遠距離貿易で儲けた商人は富裕階級を形成。
イスラームの倫理に従い社会的還元をはかることも忘れなかった。
また商人に寄付によりモスクやマラドサが建設され文化の保護者としての役割を果たした。



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2018年02月12日

イスラーム社会の形成

E8E61403-3013-461F-A953-40546C778909.jpegイスラーム社会はムスリムが多数を占め、数世紀に渡り徐々に形成された。
街の中心にはモスクが建設されミナレットから1日5回礼拝を呼びかけるアザーンが聞かれる。
モスクに隣接するように市場(バーザールやスーク)が設けられる。
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キリスト教徒やユダヤ教徒は被護民として人頭税を払い信仰の自由を認められていた。
9-10世紀にはバグダードで100万人、14世紀にはカイロで50万人の人口を擁した。
都市の外には農村社会が存在した。
9世紀にイスラーム法が整うと哲学や神学が発達、反動として神との関係を見直すイスラームの神秘主義(スーフィズム)が登場する。
神秘主義者は夜集まり音楽に合わせて踊るなどした。
12世紀以降、神秘主義教団(タリーカ)が結成され教団員は世界各地に各地の習俗を取り入れたイスラームを広めた。



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西方イスラーム

52410091-2BD4-4832-93E8-B99C269FB274.jpeg11世紀半ば、ベルベル人は宗教運動を起こし北アフリカにムラービト朝を建国。
聖戦(ジハード)を大義に南下しガーナ王国を滅ぼす。
その後イベリア半島にも進出しイスラーム建築や学問を北アフリカにもたらす。
しかしもともとは宗教運動(スンナ派信仰)を力に建国したため運動の熱が冷めるにしたがい国力も弱まる。
モロッコにおこったムワッヒド朝に倒される。
ムワッヒド朝はイベリア半島南部も支配下に収めて貿易路の支配で繁栄。イブン=ルシュドが哲学者医学者として活躍。
イベリア半島ではキリスト教徒によるレコンキスタが高まる。
ラス=ナバス=トロサの戦いでムワッヒド朝は敗北し敗退。イベリア半島南部のイスラーム王朝ナスル朝がグラナダ周辺に残っていたがスペイン王国建国後さらにレコンキスタが高まりイスラーム教徒は北アフリカに引き上げる。
アルハンブラ宮殿のアラベスク模様が有名



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