五里霧中とはまさに。

とりあえず、歯医者は無事治療を終えました。

お値段は麻酔込みで38ユーロ。

詰め物の高さを調整しては、どう?と聞かれて、7、8年ぶりくらいに歯医者に行ったので、詰め物の違和感に慣れていないのか、高さに違和感があるのかよくわからなくて、うーんと言葉に詰まるたびに「言葉分かってる?」みたいな反応されたの苦笑いでした。

 

これすごい英語圏外あるあるだと思うのです。というのも英語圏ではそれ以外の選択肢がないので、「お前のために英語話してやったぞ、どや」みたいな場面はあんまりないような気がする。でもドイツ語話者なんかが、私の外見でジャッジして繰り出してくるどや、の英語がどやっじゃなかったり、そもそもドイツ語わかるねん、でもお前の言ってることがわからんねん。っていう場合にこちらの語学力のせいにされるのなんだか腑に落ちないので、たまに言っちゃう。言葉は分かるけど、おっしゃってる意味が分からない、と。なので、歯医者でも、ドイツ語は分かるけど、返事をするのに考えたいだけだと正直にお伝えしたら、少し待ってくれるようになりました。

 

誤解が無いようにちょっと追記すると、母国語が同じじゃない人とのコミュニケーションツールとして英語を使用する人と、なんていうか見た目がそうだから、英語で話そうとする人のマインドの違いというのを感じてしまうものだと思うのです。感覚的なレベルかもしれませんが、そういう人って、自分の都合でまた違う言語に切り替えたりします。そうすると、フラットにコミュケーションしようよ、というよりも、なんていうか違う側面が見えちゃうものだな、と思う。ので、私もこれは本当に気を付けようと思う。

 

そんなわけで、歯医者のミッションはコンプリート。

 

最近の近況で言えば、実は日本の研究所の面談みたいなのに招待されてお話する機会がありました。結論から言うと、不採用だったので、最初は落ち込んだものの。実は採用通知が来てもちょっと困っていたかも。まぁ、落ちたので、そう思って消化したいのかもしれません。でもちょっと聞いていただいて…。

というのも、面談に際して、メンターの希望を聞かれもせずに勝手に男性教授が現れまして(私の希望は他の女性の方だったが、希望を書く欄が無く…)。まぁなにか都合がつかなくて、他の方いらっしゃらなかったんだろうか、と思いつつも「この人わたしの希望じゃないけど…大丈夫かな…」と思いながら話をし、結論「すごく合わないから無理だ」とオンライン面談を終えました。

 

この男性教授、「僕はね…」というご自身の知識を披露されるだけで全然会話が成立しないし、そもそも私の話聞いてないですよね?と…で、専門機関だから、あまり気兼ねなく専門的な話もしたのですが、全然知識のベースとベクトルが合わなくて、時空が歪んでいた…。ここまで別の分野が専門な人がアドバイザーみたいなの勤めているのなんでなの?と、面談の後ちょっとボー然としてしまった。もちろんとても賢い知識の豊富な方であることは間違いない、間違いないのだが…なんか物知りのおじいちゃんと話した感じ…というのが正直な感想でした。謎の疲労感。ただアカデミアな場だとよくあるのかもしれない。この審査会の先生の中に私の分野の専門家いないなっていうの、割といつも起こりがちです。でも今回の話はがっつり私の専門分野だったんだけどなぁ…ごほごほっ。

 

なんだか歯医者とは違う次元で、言葉は分かるけど、何をおっしゃっているのか…だった。でも歯医者より厄介なのは、それを私も口に出せないわけで、お相手もきっと同じくそうで、つまりはこのギャップは埋まらないわけで。そんなわけで、向こうもウェルカムじゃないだろうというのは面接の最中に察しました。私も私で、日本に帰るきっかけ!みたいな安易な気持ちでふあふあと参加したのがいけなかったなと思います。それでも不採用の返事は普通に落ち込むのって不思議です。

 

一つ収穫としては6年ぶりくらいに日本人の社会を前に、日本語で自分の話をして、私の説明くどいだろうな、日本語だと、ということに気がつきました。というのも、ドイツ語圏の1から10まで言葉で説明する文化に身をヒタヒタに浸した結果、たぶん日本の方からすると、このひとすごい喋るじゃんって思われたと思う。面接の後、その話を非ドイツ語圏の大学時代の友達にしたら、爆笑してた。わかる!っと。思い出して、留学当初の自分を。あの時は私も思っていた「この人たちめちゃくちゃ喋るじゃん」って。笑。

 

そんなわけで、お仕事先を探そうと眺めても、日本では専門機関ほど働き口を見つけるのが難しそうだなということにこの数か月でうすうす気がつき始めました。同じ分野で体系的に教育をしている場が日本に無いので、簡単に言うと共通言語が中々見つかりません。私はもはや得体の知れない人になってしまったのかもしれない。ナンテコッタ。という悩みを最近同じ大学を卒業した友達と話していたら、でも僕ら皆がそうじゃない?となった。

 

矛盾した話なのですが、私たちが大学で蓄積してきたことって、今の主流じゃなくて、簡単に言うと教育したアーティストの先生たちの次の世代の新潮で、これがすぐにお金になったりメインストリームにならないことを先生たちも分かっていながら、自分たちが今お金にしていることがもう古くなることを無意識的に悟って新しいことだけを私たちに託したんだよね、と。だから卒業後にインディペンデントで道を模索する人ばかりなんだよねって。すごい両義的な教育方法だったな、という話に。

 

実は私の下の世代からは、それに対する反対意見を前面に出して「食ってけることを教えてくれ」と先生たちと戦っている。先生方としては、ここは技術学校じゃなくてアカデミアの大学だから、実践であれ、訓練は求めてくれるなというのが意見なようで、もうすでに2年くらい揉めている話を小耳に挟んでいる。私はその話が始まった段階で卒業が見えていたので、割と傍観してきたのですが。ただ、技術は現場の訓練で磨かれるかもしれないが、作家としての方法論や方向性は制限の少ない環境で培うべき、それこそが財産という大学の方針は間違っていないと思いつつも、卒業後に苦労するのも確か。

 

私は芸術のことしかよくわからないのですが、でもこれからももし、海外留学でフル学業をしようと思う方がいたら、すこし考えてみてもいいかもしれません。気持ちとしては、何歳でも、誰でも、どこでも好きなことを勉強したらいいと思います。ただ、将来日本に帰って、標準的な生活を夢見るのであれば、交換留学とかのほうがこういうギャップに悩まなくていいのかな、とも思います。なんでもその人次第なので、良いこともあれば不自由なこともあるものですが、卒業後に学んだものや、やりたいことが簡単にスライドできずに帰国が中々決まらないなんてこともあります。あっ私のことです。

 

私がなんだかんだ、上手いことやれれば、こういう道もいいねと言えるだろうし。

このまま、道半ばで力尽きれば、30代で学業をやり直し、ましてや海外でなんてやっぱり無謀だなという反面教師にしていただければ。でもまぁ、人からすればサンプル1の私ですが、私にとっては1つの人生しかないので。悩みながら前に進めばいいなと思います。今は何語か、ではなく概念として同じベクトルで共通言語のある場所を探すのか、もしくは腹をくくって自分で作るのか、ということを考え始めているところです。どちらにせよ、まだまだ五里霧中で正直しんどいです。

なんにしても、30代って短いな、と思う今日この頃です。