6年暮らしているから、なのかな。

※病気のこと、お葬式のことを書いています。現在周りに闘病されている方や、闘病中で読むのがつらい方もいらっしゃるかもしれないので、最初にお伝えしておきます。

 

 

月曜日の夜、9時にベットに入って久しぶりに熟睡した。

 

先週の金曜日から月曜日の朝まで、移動が続いてノックアウトされてしまったみたい。
というのも、ウィーンで一緒に暮らしていたルームメイトから先週の火曜日の朝、お葬式の連絡が届いた。月曜日にお母さんが亡くなったと…。

 

ちょうど一年前の今頃、彼女が実家のあるインスブルクから帰ってきた夜。おかえり~、また電車遅れたんでしょう?何か食べる?と玄関で出迎えたら泣き出してしまった彼女を抱きしめたのを思い出した日だった。

彼女のお母さんは数年前に癌で手術をしていて、それから随分穏やかに旅行などにいけるくらい元気に過ごしていたのだけれど、元看護士の勘か…検査に行ったら陽性腫瘍が出てきてしまった、という話だった。

 

彼女はまだ28歳で、「周りの友達は結婚し始めてこれから家族を作るのに、わたしは家族を失う準備をしないといけない」と言った言葉が忘れられなかった。

 

あれから1年、一緒に暮らしていたので、お母さんの容態はいつも耳にしていて、元気がない時は私もお母さんと電話越しでおしゃべりしたりしていた。まだ若かったから、体力が持てばなんとかなるのではないか…と祈る気持ちで、彼女が実家に帰る時にお土産を託したりしていた。

 

彼女は一人っ子で、両親はインドの出身。インドで先生をした後、学業でヨーロッパに来て、そのまま移住し、結婚して彼女が生まれた。実家から戻ってくる時はよく、お父さんに私たちと一緒に食べてねと手料理を持たされていた。彼女は苦笑いしていたけど、いつも美味しくいただいていた。こんな形でお父さんと実際に会うことになるとは思わなかった。

 

お葬式の連絡が来て、こちらのしきたりが分からなくて、果たしてどうしたものか…と一瞬迷ったけれど、一人っ子の彼女が、全部一人で手配していると思うと顔だけでも見に行こうと日帰りでインスブルクまで行くことにした。と言っても片道6,7時間はかかるので、お昼のお葬式に合わせて朝3時に家を出た。列車に揺られながらホームオフィスをさっさと片づけて、窓の外が明るくなるのを見ながら、インスブルクに行くのも初めてだな…山が綺麗なんだって言ってたけど、ほんとに綺麗だな…と不思議な気持ちになったりして。

 

駅で、同じく連絡を貰った友達と再会して、二人で教会へ。

 

キリスト教のお葬式に出るのは初めてで、お母さんの人生を時系列で辿っていくのを聞いていて、亡くなってから全部聞くんじゃなくて、生きてる時にお茶でもしながら聞きたかったな…。最初はイタリアの大学を卒業したのか…知らなかったな…と耳から入る情報が多くて、これもまた不思議な感覚に。彼女が私たちの顔を見て、泣いたら、私たちも涙が止まらなくて。

 

彼女のお母さんが勇気を出して故郷を飛び出して、3か国語も、4か国語も習得して、3つも4つも国を跨いで、優しい私の友達を生んでくれて、私はだから彼女に出会えた。ありがとうが言いたくて、お葬式に行ったんだから、ありがとうだけ残してきた。

 

毎日5分だけ電話してくるお母さんだったから、彼女がウィーンに戻ったら寂しいんじゃないか…お葬式で、お父さんの手を握って、背筋を伸ばして立っている姿に心が痛んだ。でも教会にはお母さんを偲ぶ人であふれていて、彼女の幼馴染や彼氏も来ていたので、きっと寂しい時も誰かが、お母さんの代わりにはなれないけれど、傍で抱きしめてあげられると思う。

 

タイミングが悪いことに、週末に別のドイツの都市への出張があって、金曜日のうちにとんぼ返り。夕食会には出れずに、駅で友達とビールを流し込んで、言葉少なに、でも来年あたりにまた会おうね、それまでは落ち着いたら3人でズームしよう!と別れた。家に着いたときには日付をまたいでいて、仮眠をしてまた長距離列車に乗って移動。週末の仕事を片付けて、日曜日はその街に住む友達に会って、月曜日の朝6時に、11時からのミーティングに間に合うように帰ってきた。ここで冒頭に戻って、ノックアウト。

 

実は、しばらくコロナでお葬式まで参加する機会はなかっただけで、この5年間でウィーンで知り合った周りの人で亡くなったのは4人目だ。

みんな、まだまだ若い人ばかりだったし、私より若い人もいた。


去年、クリスマス前に亡くなった、大学で光学を教えてくれてた先生のことは、今仕事で照明のリハーサルに出るたびに思い出す。先生の時も亡くなる一年前に私がインターンで入っていた先生も働いていたプロダクション中に体調を崩して、検査で癌を告知されたタイミングに居合わせていた。とにかく優しい人で、いつも忙しいのに学生のアポイントには必ず答えてくれる人だった。私の作品を褒めてくれたこと、一緒にコーヒー片手に夏のベンチでおしゃべりしたことを、今も何度も思い出す。

 

彼女のお母さんの声も、きっと思い出すと思う。
思い出すたびに、あぁもう会えないと思うと私は人生が終わっていく人がいること、わたしにもそういう日が来ることを実感する。

 

聞きたいことがあるのに、もう答えてもらえない時に、実感するみたいだ。

 

生きている私は、亡くなった人が愛した生きている人の話に、先に行ってしまったその人の代わりに耳を傾けようと思う。