星の読み方。

明けましておめでとうございます。

年末に、ウィーンでお世話になっていた方が亡くなられたという連絡を急に貰い、結局あまりにも急で駆けつけることはかないませんでした。

 

2022年は本当に色々なことがありましたが、最後の最後に突き刺さりました。

 

連絡くださった方は、亡くなられた方と私の関係が最後はぎくしゃくしていたことを知っていて、それでもKiKiだったらそういう事より哀悼の念が勝つだろうとギリギリで連絡してくださいました。

 

罪を憎んで人を憎まず。

最近その言葉が頭の中をこだましていたので、その極めつけの便りだったように思います。もう亡くなられたので、何を交わし、変えることも出来ません。

 

簡単に言うと、前回の記事のような、いつも私の人生の目の前にある時代とモラルの話なんだと思います。

 

私はわたしがスタンダードではないことをよく知っています。

夜空を誰かと一緒に見上げても、私はちょっと違う星と星を結んでしまうんだと思うんです。だいたい、その星と星がどうして繋がるのか分かってもらえないことを知っているので、一人で夜空を見上げる癖がついてしまいました。

 

でも、ずっと一人で夜の散歩だけしているのを心配してくれる人というのが

世界には存在していて、そういう優しい人々が手を引いてくれる。

そういう時は私は私の目を閉じて、習った世界の優しさをちょっと堪能してみる。

 

でも、また気が付いたら、一人の夜が恋しくなる。

 

亡くなったあの人も、私が一人でフラフラとしているのを心配していました。あなたは正直だから好きだ、と言ってくれた人だったけれど、私は彼の昔話が苦手でした。

 

時代の中で、それでいいというものがあります。

それは習った星座版のように、アップデートする機会がなければ、人生の夜道の指針となります。学校教育や時代のモラル感というのは、ある時期に強烈にインプットされると案外大人になってひっくり返ることのない場合が多いようです。例えば私の父がそうだし、あの人もそうでした。

 

時代の座標軸の交わった点と点の描いた美しさと輝きを信じ続ける。

女性は女性の形の中で、男性からの対象物として輝ける。神様が助けてくれる。

そういう星の話を聞くのがある日とてもつらくなって、でもそれはあの人が悪い人だからでも、いやな人だからでもなくて、違う星座版を持っているんだと思うと口に出して伝えることが出来ませんでした。それでそっと距離を取りました。

 

口に出して話したら、もしかしたらよかったのかもしれません。

分かり合えたとは思わないし、嫌われたかもしれないけれど

私のやり方は残酷だったような気がします。

 

サミュエル・ベケットの「ゴトーを待ちながら」というテキストを年末の一人散歩で思い出しました。当時戦火で焼かれたヨーロッパで同時多発的に発生した不条理演劇というジャンルの代表作なのですが、当時アメリカでは全くチケットが売れなかった。でも、それを刑務所で上演したら囚人が涙した。焼野原にならなかった当時のアメリカの一般市民には、囚人がその演劇でみた「神様はいないんだ」の概念がなかった。それはヨーロッパで「神様に祈ったけれど戦争は終わらなかった、神様はいないんだ」と違う次元で人間を表していました。

 

私がプライベートで、だれかにカフェで、例えばここで、そういう「わたしとあなたの星の見え方の違い」を話すことはこのゴトーを待ちながらのような不条理さがあると自分で思ってるようです。そのことにずいぶん前から気がついていたけれど、ちゃんと向き合おうと、そう思いました。

 

プライベートで出会う優しい人を攻撃したり、悲しませたり、遠ざけたいわけじゃない。ただ嘘をつかないでいい距離を保つ必要があるだけ。私がちがう星座版を眺めていることに、あなたが気が付かないように。

 

たぶん、だから私は芸術を選択したんだな。37年生きてきて、どうして私がこの道を歩いてるのかを初めて自己認識しました。

 

いつも言葉にするには、わたしには勇気がなくて。でも嘘をつく、優しさもない。

そういう全部を手ごねて、空間を作って、観る人が自分でポジションを探せる余白のあるものを作品という都合のいい方法で差し出してみる、それがわたしが私を救う唯一の手段のようです。

 

ウィーンで一緒に暮らしていたルームメイトは差別問題に法律家として立ち向かう仕事をしていました。彼女がコロナ禍でホームオフィスをしていた頃、電話の声が聞こえてきていて、言葉で戦うタフさを目の当たりにしてきました。彼女は法律家になりたかった理由に「社会に直接インパクトがある仕事がしたかった」と言っていました。

 

私にはそのタフさが足りないのだと思います。

だからファンタジーを混ぜて、景色を借りて、色や時間や音や光を借りて、そっと差し出すことを選んだのだと思います。

 

あの人が教えてくれたのかもしれない、そういう都合のいい解釈でろうそくが終わるまで。今のろうそくは燃費がいいから一日かかりました。ウィーンの響きを愛した人だったから、西洋式で「まぁいいよ」と言っている気がします。

 

この5年間、苦しんできたことを少し整理できるかもしれません。

そんな一年になるといいな、と思います。