ポートレート。

12月に引っ越した家は、職場から街の中心地を横断して徒歩で帰宅できます。
行きと帰りのルートがなんでか全く違う道を歩いているのですが、帰り道、いつもショーウィンドウを眺めていたお店に今日ふらっと立ち寄りました。そこはアンティークの照明やガラスを扱っていて、丁度、次のプロジェクトで40年代辺りのアンティークの照明をリサーチしていたので。

 

そっと背負っていたリュックを下ろして、扉から覗いたら、お店の亭主のおばあちゃんがどうぞ、と迎え入れてくれました。
中央に吊るされていたアンティークの陶器のランプを眺めていたら、ポルトガルの陶器で手作りだよ、と灯りをともしてくれました。よく手入れされたランプでした。お店を見わたしても、どれもアンティークとは思えない、よく手入れされていて、ちゃんと生きてる。いいお店だなぁと眺めていたら、話しかけてくれたので、

仕事で照明を探していて…と話し始めてみたら
びっくり、おばあちゃん、年金生活入るまで私の職場で働いていた人でした。

34年働いたよ、と当時の仕事の写真を見せてくれました。
今、私が通っているアトリエの床と同じ。フラッシュが上手くたかれていない、なんだかインスタの加工みたいな、いやスワイプじゃない時間をちゃんと重ねた写真を沢山見せてくれて当時の話をしてくれました。今と何も変わらない、私が右往左往しているように、おばあちゃんも振り回されながら、でもそこに人生があったんだ、とてもいい仕事だったと言っていました。面接に呼ばれるまで2年も待ったんだよ、と。私と同じくらいの年齢で始めた仕事で、まだまだやりたかったけれど、街の雇用だと引退しないといけないからね…と。

 

時間で区切れない、いつも仕事しちゃうでしょう。あなたも芸術家ね…と笑っていました。アンティークショップは旦那さんが元々していたもので、はっきりとは聞かなかったけれど、旦那さんの写真を見せてくれながら90歳だったときの…とすべて思い出の中の人のようで、もうご一緒ではないのかな…と。

 

そんな話をしていたら、ご近所さんがひとり、ふたり、と。
そういえば、まだ夕方だったなぁ。みんな仕事帰りに立ち寄ってるのかな。
ご近所さんに歯医者を変えたいんだけど、どっかいいとこないかしら?と聞かれて、すぐ近くの歯医者をおすすめするおばあちゃん。

 

ご近所さんが、でもあそこムスリムでしょう?と言うと
それがなに?すごく腕がいいって評判なんだから、行ってきなさいなと。
ご近所さんも、そうよね…と徒歩で歯医者まで行き、アポを取ってまたお店まで帰ってきました。

 

小さなお店に、知り合いが代わるがわるやってくるもんだから、そろそろ…と帰ろうとしたら「またいらっしゃいね!近くに住んでるの?」と言ってくれました。

 

80歳のおばあちゃん。最後まで私の国籍を聞くこともなく、ドイツにいつからいるのかとも言わず、まるで新しいご近所さんのように接してくれてうれしかった。

仕事の帰り道でいつも前を通っていると言ったら笑顔で「それならまた会えるわね」と手を振ってくれました。

 

1月後半からホームオフィスが多くなって、あまり職場まで行っていないのだけれど、行けば私を見かけて「KIKI、顔見せなきゃだめじゃない!元気なの?」と声をかけてくれる人ばかりで、なんだか出勤しているのか、むしろホームに行っているのかよく分かりません。ただ、おばあちゃんとの出会いも、ルームメイトとの出会いも、職場の人間関係も、恵まれていることがすごく有難くて。

 

帰り道に、ふと先週ここで仕事に来ていた教授と話したことを思い出しました。
夏に、性悪で評判のアーティストの仕事を担当するのが憂鬱で、いまから心配しているという話を私がもらしたら

「KikiあなたはGlückliche Menschenだから大丈夫よ」と肩を叩かれました。

 

Glückliche Menschenかぁ。彼女はあなたはセルフコントロールが上手いから大丈夫と言ってくれたけれど(私が未だに子どものようによく泣きべそをかいているのを彼女は知らないから。笑。)、どっちかというとラッキーものではあるな、と。人に恵まれてるねって海外でも日本でもよく周りの友人や家族に言われてきました。Kikiの話にはいい人しか登場しないね、と友人たちがよく笑っています。言われてみたら、ううん、言われなくても、そうだなと思います。笑ってくれてるあなたみたいな人に囲まれてるからね、といつも心で思うのです。

 

もしかしたら、フラフラどこへでも一人で移動して生活しちゃう根本的な原動力は、どれだけしんどくて泣くことがあっても、出会える何かに疑いがないからなのかもしれません。

 

それでも、いつかは、全部が、ちょっと遠くなるんだろうと思うけれど。
今日おばあちゃんが、大事にしまっていたいた写真のように、ちょっと遠くなって形が変わっても、なくならないといいなと思います。

 

全くプライベートでポートレート的な写真を撮らずにここまできたけれど、
なんだか明日から、景色だけじゃなくて、人の写真を撮ろうとすごく思わされました。今目の前にある景色を手放す準備を少しずつするみたいで、なんだか形に残すたびに少し寂しくなりそうだけれど、いろいろあったなといつか思い出したくなるかもしれないから。

 

はるか昔の写真技術のない時代から、何日も、何週間もかけて絵としてポートレイトや景色を残してきた歴史のその先に、わたしもいるんだな、人って今しか見えないのを知っていて、それがちょっと悲しい時があるものね、そんな気がします。