象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

凡庸なTVドラマは脳を腐らせる

2022年06月28日 15時30分59秒 | 芸能&三面記事

 Amazonプライムに入会し、タブレットで洋物ドラマばかり見る様になった。いや、”見させられる”様になったと言った方が正解なのだろう。
 洋画に凝ってた時期はあったが、どうも今回とは違う気がする。
 しかし、スマホが脳を腐らすとしたら?いや、タブレットが映し出す凡庸なドラマが思考を腐らすとしたら?
 事実、数理系のお硬いブログがご無沙汰になっている。(ストックはかなりあるから)書こうと思えば書けなくもないが、脳がフヤケたみたいで、意欲が湧いてこない。

 凡庸なTVドラマのせいにするつもりもないが、昨今の洋物ドラマの出来には多少の難グセをつけたがる自分がいる。
 秀作とされるドラマでも(破綻とまでは言わないが)プロットは間延びし、長引くほどに緊張や緊迫感はバラつき、観る者の感心は薄くなり、最後には遠のいていく。
 結局、使い回しの記録フィルムを延々と見せつけられてる様で、そこに原作者や脚本家の(作品に込めた)叫びや躍動は、最初から存在しなかったかの様にも思える。
 既視感アリアリの怠惰な展開と使いまわしの登場人物には、流石のドラマ好きでも辟易するだろう。しかし、それでも見入ってしまう不可思議な中毒性がドラマにはある。

 そんな中、(いいも悪いも)色んな意味で話題になった「真犯人フラグ」が私には印象に残った。昨今の日本のドラマで話題を呼んだというだけでも、合格点が挙げられると思う。
 確かに、どんな秀作でも誰も見てくれなかったら、単なる凡作である。「タイタニック」同様に、どんな駄作でも凡庸な大衆の興味を惹けば、それはそれで立派な話題作となる。

 そういう私も「真犯人フラグ」を”詰め込みすぎた凡作”と悪く書いたが、いま時間をおいて振り返ると、そこまで悪くはなかったのかなとも思ったりする。
 (秋元康を除く)キャストやスタッフの作品に対する真摯な気持ちはこちらまで十分に伝わってきたし、特に昨年末の第1クールは気合が入ってた様に思える。
 今年初めの第2クールは見る気も失せたが、これだけ日本列島をお騒がせした”凡作”なのだから、是非この続編というか、(原作者の秋元を代えて)改訂版を出してほしい気がする。


凡庸なドラマと破綻するプロット

 「真犯人フラグは傑作か?」に寄せられたコメントに、”いくら憧れの女とても、既に峠を過ぎたオバさんを殺す程までに好きであり続けるのだろうか?”とあった。
 確かに、真帆(宮沢りえ)を殺す動機が曖昧すぎた。彼女が殺されてた事だけがこのドラマの唯一のミステリーだったが、結局それだけだった様な気もする。
 このドラマでは、”余計”が目立ちすぎた。フラグや登場人物は勿論、多くの人を殺しすぎて、展開を濁しただけに終わった。
 村上春樹の長編を読んだ後みたいで、”それはないだろう”って冷めた気にもなる。
 ”味に協調性のない混ぜご飯”のようで、犯人は最初から誰でもよかった。事実、真犯人探しをSNS上で拡散させる事だけが目的だったような気もする。
 昔、「本物は誰だ」(日テレ、1973~80)というクイズ番組があったが、完成度からすればこっちの方が上だったろう。
 TVドラマは犯人探しの(子供向けの)クイズではない。無造作にバラつき過ぎた展開は、最後で台無しになった。が、それでもシーンの1つ1つには見せ場があった。

 長編ドラマには、(洋の東西を問わず)往々にしてプロット(構想)が破綻する傾向にある。
 しかし「真犯人フラグ」は、それ以前に問題を抱えていた。キャストやスタッフは優秀だったが、原作・脚本の秋元康だけが”余計”だった。(アイドルと同じく)登場人物を使い捨ての駒と考える秋元の悪い癖が(一貫して)露呈してた様に思える。
 勿論、その逆も存在する。「高い城の男」の様に原作とスタッフが優秀でも、キャストが凡庸だと、陳腐なSFドラマに成り下がる。

 しかし、全ては終わった事である。
 要は、失敗から何を学んだかである。
 ただ、第一話で”ネコ婆さん”を見た時、幼稚な謎解きゲームの匂いがした。勿論、彼女以外にもミスマッチな駒は数多く存在した。
 それぞれの駒には固有のドラマが存在する。彼ら彼女らに魂と生気を吹き込み、それぞれに特異性のあるドラマを描く能力がなければ、脚本家としては凡庸である。
 村上春樹にも言えるが、翻訳する能力がなければ、翻訳に手を出すべきではなかった。
 小説(特にドキュメント)だけに精を出してれば、結構な作家になってたと思う。少なくとも、身内やハルキストらの反発を食らう事はなかった。
 勿論、世界で一番(話題の多い)有名な日本人作家であるのは事実だが、それが評価に繋がるかは全くの別問題ではある。

 同じ様に、秋元康もモノを書く力がなければ原作者になるべきではなかった。(集団でロボットの様に動く)アイドルを生み出すだけの黒子に徹するべきだった。
 しかしメディアは、いたずらに彼を持ち上げるし、我らもメディアに知らず内に踊らされる。
 以前、沢木耕太郎氏が(政界に出馬する石原慎太郎氏をひと目見た時)、”この人は政治家には向かないんじゃないか”と察したという。
 事実その通りになってしまったが、私は石原氏の作家としての技量にも疑いを持つ所がある。しかし(死に際の)石原氏の潔さを知るにつけ、”作家として生まれ作家として人生を全うしたものだ”と、妙に納得する。
 そういう意味では、秋元康も(モノは書けないが)生まれながらのプロデューサーなのかもしれない。ドラマも同様で、展開を間延びさせ、プロットを破綻させながらも、ゾンビの様にしぶとく生き延びていくのかもしれない。


スマホは脳をハックする

 「スマホ脳」の著者アンデシュ・ハンセン氏は、”スマホが脳をハックする”と警告する。
 FacebookやTwitterで”イイね”が付いてるかも・・・いや、友人からLINEが送られてるかもしれない。もしかしたら、緊急のニュースが届いてるかもだ。
 仕事や勉強の最中に、思わず手元にあるスマホに手を伸ばした事がある人は多いだろう。
 私たち現代人は、スマホの魔力により、貴重な集中力と大切な時間を奪われている。
 つまり、脳は”・・・かもしれない”という状況が大好きで、いたずらに注意を向けたがる。だから人は、ギャンブルの様に”不確実な”ものが大好きなのだ。

 人の生態は1万年前からあまり変わっていない。古来人間は狩猟採集民として生活し、常に危険と隣り合わせの生活の中で、他に注意を向けてきた。言い換えれば”気が散りやすい”という性質は、生き延びる上で非常に重要だったと考えられる。
 故に、思わずスマホを見てしまうのは、(ある意味)本能的という事になる。
 現代では、この人の注意を引きつける仕組みをハックする事で、多くの企業がビジネスを成立させている。結果、私たちは多くの時間をスマホに盗まれてしまう。

 企業は人が何に注目し、どこに興味を持つのかを解析する為に強力なAIを開発する。唯でさえスマホは人の集中力を削いでしまうのに、企業が更にそれを加速させる。
 我らも脳がハックされてると自覚してるにも関わらず、自ら進んでスマホを手にとる。
 それは脳内物質のドーパミン(快楽ホルモン)が大きく関係する。つまり、スマホを手にとる事で一時的な快楽や安心(多幸感)を得る事が出来るのだ。

 人は常に新しい情報を求め、それに応じてドーパミンを出し、やる気や好奇心が旺盛になる。結局、それも生存確率を上げる為の手段である。しかし、デジタル社会ではその様なシステムが人間の”脆弱性”(弱み)として企業に利用されてしまう。その上、人の脳は不確実性なるものや曖昧なものに興味を示す傾向にある。
 かつては生存の為に有利に働いていた脳のシステムが、SNSにハックされてるという矛盾。
 スマホとドーパミンの関係は、”ポケットの中のカジノ”に似ている。一方で、スマホが手元にあってもスマホ依存になりにくい人もいる。これは遺伝的な影響もあるのだろうか? 
 このスマホ依存を薬物依存と同列に語る事は難しいとされる。しかし、Facebookの”イイね”の開発者は”SNSの依存性の高さはヘロインに匹敵する”と断言する。
 一方でスマホ依存より、メンタルヘルスを守る睡眠やコミュニケーションが失われる事の方が危ないという。

 脳の仕組みをよく知るにつれ、(悲しいかな)我々はスマホの威力には抗えない事が解る。事実、ハンセン氏も”スマホに気を取られて本を読む機会がなくなった”と漏らす。
 スマホがそばにあるだけで、鬱のリスクは高まり、学習能力や集中力や記憶力を低下させる。
 とにかく”スマホを近くには置かない”という事しか対策はない。つまり、スマホは私たちにとって”魅力的すぎる”魔物になってしまったのだ。
 以上、「スマホの魔力が脳をハックする」から一部抜粋でした。


最後に〜TVドラマは脳を腐らせる?

 2019年の総務省の報告によれば、TVを見てる時の脳は見る事や聞く事ばかりに集中し、ものを考える前頭前野の血流が低下し、働いていないとされる。また、TVの視聴時間が長い高齢者ほど認知機能が低くなり、アルツハイマー型認知症のリスクが高くなるという事も明らかになった。
 因みに、一度変形(縮小)した前頭葉(脳)は二度と戻る事はないとされる。これはシャブ中と同じである。
 結局、スマホが脳を腐らせる様に、TVもまた我らの思考を萎縮させる。そして、元通りには戻らない。

 一方で、小説は現実よりも奇怪だが、TVドラマは現実よりもずっと凡庸である。しかし、その凡庸こそがドラマの本質だとしたら?
 私たちは、その凡庸という生ぬるい娯楽に浸かりながら思考を麻痺させ、今までもこれからも”たかがドラマ”を支えていくのだろう。
 ただ、スマホやタブレットでTVドラマを長く見続けてると脳が腐ってく様に感じるのは、私だけではない筈だし、偶然でも気のせいでもなかったのだ。
 凡庸なドラマが思考を破壊するとしたら?これほど怖いお茶の間の娯楽もない。同じ様に、目の前にあるスマホやタブレットが脳を腐らすとしたら、これほど怖い日常不可欠なツールもない。

 しかし我々は、スマホやTVドラマというツールや娯楽がないと、生きてはいけない環境にある。
 ひょっとしたら、人類が滅亡するのは核戦争でもCO2でも食糧危機でもなく、スマホでブログを書いたり、タブレットで凡庸なTVドラマを見続ける事かもしれない。 



4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (1948219suisen)
2022-06-28 17:00:51
ドラマに限らず、真に優れたものは少ないということでしょう。その点、紙の本はまだ期待を裏切らないことが多いと思います。

スマホが脳を腐らすのも事実だと思います。私は聴覚に障害があるから、余計スマホのSNSに嵌ってしまいますが、Blogから少し距離をおいたほうがよいと思っています。ここしばらくは謂れのない誹謗中傷をされていましたが、ブログを離れたら誹謗中傷も他所の世界のことです。ブログを含むSNSからはたくさんの恩恵もありましたが、サイコパスの相手をするほど私も暇でありません。また昔の本好きに戻ろうかと思っています。
1948219さん (象が転んだ)
2022-06-29 00:59:03
言われる通り
SNSって名ばかりで、百害に過ぎなかったのかなとも思います。
企業の宣伝に(間接的に)利用されただけで、得るものは何があったのかな・・・
凡庸なTVドラマを見てるとつくづくそう思います。

結局、誹謗中傷も人が能動的に発信するものではなく、SNSに浮かれて受動的に送信するものかなと。
日常をダラダラと記事にするのも凡庸なドラマを見るのも、脳を萎縮させるという点では同じなんですかね。
エンタメの効能 (平成エンタメ研究所)
2022-06-29 09:33:02
映像作品は映画『マトリクス』なんですよね。
心地よい映像を見せられて人生を幸せに送るみたいな。

テレビドラマを含むエンタメというのは現実社会の癒やしなんですよね。
たとえば現実では正義はおこなわれず巨悪が生き残るわけですが、エンタメでは概ね正義がおこなわれ巨悪は退治される。
これで少しは人間と社会を信じて現実を生きていこうという気になる。

『真犯人フラグ』に関しては、個々のディティルを愉しみました。
具体的には芳根京子さん!笑
役者さん達の怪演や阿久津刑事の二択たとえも面白かった。
とはいえ『真犯人フラグ』は正面から向き合う作品ではなかったですね。

日本のテレビドラマは、海外に比べて低予算、人気役者ばかりを起用、冒険をしないなどのマイナスばかりやっています。
アマプラなどのサブスクが拡大していくと、他に面白いものがたくさんあるので、いずれ淘汰されていくんでしょうね。
エンタメさん (象が転んだ)
2022-06-29 12:52:39
どうも「真犯人フラグ」の事が気になって・・・愚痴っぽくなります。

「高い城の男」と比べても、スタッフやキャストの充実やディテイルは上だと思います。
少なくとも、ジュリアナよりも芳根京子さん演じる二宮の方がずっといい。

日本のドラマも洋ドラに負けない程に頑張ってると思います。後は、ドラマの原作や製作者をどう選別するか?
北欧ドラマみたいなお手本もあるので、それらを見習うのもアリですかね。
少なくとも、アメリカのドラマは雑過ぎて、思った以上に凡庸に映りました。

いろんな(政治的)制約があるから凡庸にまとまるのかもですが、(言われる通り)TVドラマには正義を信じて現実を生きる事のできる世界が存在します。
これこそがエンタメの大きな使命かもですね。お陰で、こちらこそ色々と勉強になります。

コメントを投稿