象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

リーガル・サスペンスの王道(前半)〜「潔白の法則」

2024年04月06日 13時53分34秒 | 読書

 法律用語のオンパレードで、読んでて鬱になりそうな時もあったが、これこそがリーガル・サスペンスの王道を突っ走るストーリーテラーの真骨頂と言えるのかもしれない。
 ま、理屈っぽいという点では私のブログも偉そうな事は言えないが、こんな濃密すぎる小難しいサスペンス巨編を次々に送り出すマイクル・コナリーの文才には頭が下がる。
 展開そのものは、タイトル通りに至ってシンプルである。この”リンカーン弁護士シリーズ”の第6弾では、主人公のミッキー・ハラー刑事弁護士が殺人容疑で逮捕され、法外な保釈金を要求された事から、収監された身でありながら自ら弁護人となり自身の潔白を証明しようとする。
 そこで今日は、上下の2回に渡り、マイクル・コナリー著の「潔白の法則」(2020年)を紹介します。


大谷疑惑から見た「潔白の法則」

 ハラーを真犯人と信じて疑わない検察側により不利な証拠が次々と提示され、看守の嫌がらせや収監者からの殺戮的な驚異に晒される。こうした絶体絶命のピンチに、リンカーン弁護士チームが一丸となり、(異常なまでにハラーの殺害容疑を追求する)検察側に立ち向かっていく様は圧巻だ。更に、リアルで臨場感ある法廷劇が終盤まで延々と繰り広げられる。

 警察や法廷のやり方を正確に把握し、司法制度の複雑さや矛盾に精通してるコナリーだからこそ、濃密で深遠なる物語が描けるのだが、それを持ってしても知識の豊富さには頭が下がる。
 それに加え、時計の様に正確な文章と推進力溢れるプロットを組み合わせたストーリーテラーは、リーガルサスペンスの極致を渡る。
 弁護士転じて被告になった事で、リンカーン弁護士ことミッキー・ハラーを通じて、監獄内に屯する囚人らの絶望を見事にあぶり出し、公判前の証拠開示プロセスに焦点を当て、強力な引力と魅力を与えている。

 と、紹介文を鵜呑みにすればの話だが、少し距離をおくと、検察側の非現実的に近い嫌がらせはフィクションならではだが、裁判官やFBIは明らかにハラー寄りである。
 勿論、ここでハラーの殺人罪が確定すれば、リンカーン弁護士シリーズは終結する。つまり、連載を続ける為にもリンカーン弁護士は不死身であるべきなのだ。
 そう思えば、結論から言えばだが、ハラーが負ける事はないし、安心して読む事はできる。
 ただ私がここまでのめり込んだのは、後半に進む程にフィクションの匂いが殆ど消え去るのだ。つまりこの小説は、潔白を証明するのが如何に困難かを教えてくれる。
 丁度、大谷選手の無実会見が行われたばかりなので、数ヶ月前に読んだ「潔白の法則」を思い出した。大谷は何度も水原氏を”ウソつき”と呼んだ。しかし、これが「潔白の法則」の中であれば、潔白の証明は不可能に近い。
 金の流れを含め、100%疑惑が晴れる事を証明する必要があるからだ。少なくとも”ウソつき”を連呼するだけでは、陪審員はおろか、アメリカ国民も納得はしないだろう。
 つまり、そんな事で疑いが晴れるなら、「潔白の法則」は780頁ではなく僅か数頁で収まる。数学と同じで”明白”を証明するのは非常に困難な作業を有するのだ。


弁護側vs検察側vsFBI

 FBIは事件の本質を秘密裏に追う為、検察側と弁護側の捜査を邪魔しようと圧力を掛ける。
 一方で、弁護側は被告(マイクル・ハラー)の無実(潔白)を証明する為にサム・スケールズ殺害事件のカギを握る悪玉を探す。しかし検察側はあの手この手を使い、ハラーを有罪に持ち込もうとする。
 つまり、FBIと弁護側と検察側の三つ巴の(憎悪にも満ちた)戦いが繰り広げられる訳だが・・結局は、被告(ハラー)vs州政府という一騎打ちの様相も垣間見える。

 ”裁判は素手の殴り合いみたいなものだ。
 どちらも相手を潰す為には何でも利用する。検察は私をブタ箱に入れ、殆ど動けなくしてから私の論証を弱め、時間を稼ぎ、この公平さを欠いたインチキめいた闘いに勝利しようとする”

 つまり、正義を掛け金にして検察が行う”インチキ博打”に対し、ハラーはどう立ち向かうのか?ハラーが主張する真実の追求は認められるのか?
 一方で検察側は、被害者の為の真の正義を追求する職責があるとして、訴因のやり直しや裁判の引き伸ばし戦術の正当性を訴えるが・・
 しかし、被告(ハラー)が僅か7万5千ドルの為だけに第一級の殺人を犯すという検察側が企んだ罠は、我が読者の素人目で見ても矛盾するものだ。
 但し、検察側も立証責任がある。
 つまり、大陪審が認めた起訴理由を遥かに超えるレベルでの有罪の証明を裏付ける責任がある。故に、弁護側が背負う危機と同じ重さを背負うのだ。

 結果として判事は、ハラー被告に仮保釈のまま裁判を長引かせるか?仮保釈を撤廃し迅速な裁判を求めるか?の二者択一の選択を迫る。
 ハラーは後者を選択したが、理由は自明であった。ブタ箱に舞い戻りしてでも1日でも早く、このインチキな喧嘩を終わらせたかったのだ。

 こうした序章を含めた前半は、法律用語や法廷劇の矛盾や裏物語を一々紹介し、多少は間延びするが、それでも後半に入ると、一度は釈放され、再び勾留されたハラー容疑者が獄中内で何者かが襲撃する所から始まる。まさに、後半からがコナリーの本領発揮である。
 ただ、ハードボイルド小説みたいにチンピラを蹴散らす訳でもない。刑務所内の重刑者からチェーンを首に巻かれ、フルボコにされ、窒息死したと思われた所を、間一髪で救命隊員により蘇生されたのである。スカっと爽快とは行かない所が、コナリー独特の演出なのであろう。
 それでもハラーはめげず、敏速な審議を急ぐ。検察やFBIが、それとも殺害事件の悪玉らがあらゆる手段を使って裁判を長引かせようとしていたのは、明らかだったからだ。


陪審員選定へ

 勝負はいよいよ、陪審員選定というクライマックスに差し掛かる。
 裁判では、弁護側に有利な裁定を下す為の確かな陪審員の選定が必要になる。これこそが勝負を決する重要な決め手となるのだが、そこで必要になるのが”人を見抜く”直感である。
 この陪審員選定のプロファイリング能力では弁護側が検察側を上回っていた。更には、冒頭陳述でも検察側は余計を喋りすぎた。

 つまり、陪審員を味方につけるには火薬(感情)は少ないほど効果的である。
 事実、検察側のそれは感情に先走っただけの証拠も何も提示しないグタグダと長いだけの”ただの話”であった。それに対し、弁護側は民主主義の公平さと真実の追求の重要性を語る、必要最小限のシンプルな挨拶であり、”全てを疑う事こそが真実の追求だ”と主張した。つまり、弁護側の言葉には異様なまでの説得力があったのだ。 
 弁護側は徹底的に証拠に拘った。
 そうする事で陪審員を巧く味方に付け、検察側の出鼻を挫く。お陰で、焦りを隠せない検察側は道を大きく踏み外し、被告の黙秘権にまで言及してしまうミスを犯してしまう。

 検察側が用意した挽回の為のストーリーテラーは尽く裏目に出て、陪審員らをも退屈にさせた。が、弁護側もこの延々と続く検察の被告への追求をどこかでシャットアウトする必要があった。つまり、このままでは陪審員らに被告の有罪性ばかりが記憶に残るからだ。
 裁判の流れを変えようと焦る検察側は、開示ルールの初歩的なミスを犯した。つまり、リストにない開示資料を証拠として提出しまうという違反を犯す。
 これには、カンカンに怒りまくったハラーだったが、お陰で検察側の執拗な追求をシャットダウンする事に成功する。短気は損気と言うが、ここでは良い方向に出たのだ。

 しかし、多くの難題もハラーを悩ませてはいた。サム・スケールズ殺害事件の黒幕(ルイス・オリバジオ)の召喚やFBI捜査官(ドン・ルース)の協力が可能か?は全くの白紙であった。 
 検察側は以降も、ハラー有罪のシナリオを延々とまくし立てる。一方で弁護側は、検察側の証人に巧みなハッタリを噛ませ、証言の無効性を主張した。  
 ”富と力の及ぶ範囲だけなら検察は圧倒的な力を持つ。が、ここ裁判所では陪審員の判断が大きな影響力を及ぼす。裁判はギャンブルと同じで、検察が胴元でゲームのカードを配り、陪審員らはあらゆる可能性を考えてカードを切る”


”10月のサプライズ”

 裁判も3日目となると、事件の確信に迫る(リスト上の)証人らが次々と登場してくる。いや、リストにない新たな証人(=逆ブラフ)が出てくるかもしれない。つまり、検察も弁護側も”10月のサプライズ”を用意してるのだ。

 4日目は、検察側優位で進む。
 事故現場分析・DNA鑑定・弾道計算と、被告が引き金を引いた事こそ証明できなかったが、”被害者が被告の車庫で、かつ被告の車の中で殺された”という常識的証拠には合理的な疑いの余地はあったが、陪審員らにとっては説得力あるものでもあった。 
 最初にサプライズのカードを切ったのは検察側であった。
 (元教師で)夫を故殺による15年の刑に服役中のリサ・トランメルは、故殺以外にある殺人事件でハラーの元依頼人だった。当時ハラーは、彼女に掛けられた殺害容疑を覆し、ルイス・オリバジオに罪をなすりつけた。が、サム・スケールズと同様に、彼女もハラーに弁護料の支払いをしなかったし、(故殺を隠していた)典型の詐欺師でもあったのだ。

 つまり検察は彼女を利用し、スケールズ殺害の動機を裏付けるつもりだ。一方で弁護側は(サプライズカードの筈だった)ルイス・オリバジオを見失ってしまった。
 検察側は、トランメルの証言を巧みに利用し、”被告が彼女を脅して無一文にし、マスコミの称賛を得ようとした”と、一方的に主張する。
 追い詰められたかに思えた弁護側だが、ハラーは逆にトランメルを利用し、オリバジオを誘い出し、彼女を潰す事を思いつく。つまり、相手のサプライズをささやかなサプライズで打ち返すのだ。

 トランメルの供述は、嘘であるが故のある種の奇妙な説得力を備えていた。
 彼女は金融危機による差し押さえで自宅を奪おうとした銀行員(ボンデュラント)を殺害したが、無実になった。が故に、多くのマスコミの感心を集め、その事件は映画にもなった。
 その際”ハラー氏は、映画の興行収入の一部を要求し、更に25万ドルを彼女に要求し、それで両者共に諍(いさか)いが起きた。それでハラー氏から脅迫を受けた”と彼女は証言した。更に、彼女が弁護料を払わなかった事で”ハラー氏は夫の故殺を警察に密告した”とも言い放ったのだ。
 陪審員らの表情には彼女への共感が明らかに見て取れた。一方で判事は、彼女の証言を(”伝聞であり証拠ではない”と判断し)暴言だと見なして、トランメルの発言を打ち切る。
 事実、冷静に考えると、彼女の証言はハラー被告が(弁護料未払いの為に)サムを殺害したという論理と大差ない。つまり、論理の飛躍であるのは明らかだったのだ。

 しかし、トランメルに関する正式な書類が弁護側に取り寄せられると、場の空気が変わった。
 少し長くなったので、今日はここまでです。次回後半はスリリングな急展開が待っています。どうぞお楽しみにです。



2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
何でもアリ (paulkuroneko)
2024-04-18 17:36:44
裁判というものは
確かに”素手の殴り合い”みたいなもので
法が通用するどころか、陪審員を味方につける為には偽装や偽証も含め”何でもアリ”ですよね。
逆に無罪を勝ち取るにはそこまでする必要があるのですが、故に”有罪か有罪でないか”だけを決める陪審員裁判制度が出来たと思います。
日本を含め法治国家は法の下で平等とありますが、そんな綺麗事は最初から通用しない世界でもあります。
だからこそ、こうしたリーガルサスペンスがアメリカでは受けるのでしょうか。 
paulさん (象が転んだ)
2024-04-18 23:34:08
今、ボッシュシリーズ(古い方)のドラマを見てんですが
確かに、”何でもアリ”の世界なんですよね。
偽造や偽証なんて当り前、相手を打ち負かす為には正義だって犠牲にする。

これは今のアメリカにも言える事ですが
法律はあってないようなもので
カウボーイじゃないですが、俺は俺のやり方で裁くって事なんでしょうか。

コメントを投稿