「ほわほわ」体感は人を変える~『鬼滅の刃』で刺さった言葉 | 無言歌 songs without words

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このブログにお越しくださってありがとうございます。

『鬼滅の刃』の勢いが止まりませんね。
煉獄さんは晴れて300億の男になり
勢いはまだまだ加速していくようにも感じます。

この作品の端々に出てくるセリフに
ときおりぐっと心をつかまれます。
それこそ、刃が刺さるような感じもします。

そんな「ひと言」から感じたことを
ちょっと残しておきたいと思い
今日は四つ目の言葉について書いてみます。
(今回はネタバレは無し)

四つ目は、伊之助のセリフ(というか状態?)

「ほわほわ」 (第4巻 28話 他)


伊之助が「ありがとう」と言われたり
人のやさしさや温かさに触れたときの
感情・感覚を表した言葉(表現)です。

伊之助はイノシシに育てられたため、
圧倒的に人とのふれあいが少ない環境で
生きてきました。

そんな伊之助が、炭治郎や
藤の花の家紋の家のおばあさんの
優しさやあたたかさに触れるのですが、
最初彼は、それが「やさしさ」であることさえ
おそらく頭では理解できていなかったようです。

それでも
理屈ではなく
頭以外の何かで感じたのが、この
「ほわほわ」
です。

その何かとは、私は
「全身」
だと思うのです。

全身とは、体と感覚。
体感です。

伊之助がやさしさを感じると、
「ほわほわ」という体感になるのです。


人のやさしさを感じたときに
それを体感まで落とし込んで感じられることは
幸せになるための鍵となると
私は思います。

体感で得た優しさは
頭で理解する優しさよりも
はるかに深く、自分自身の芯にまで
沁みていくような気がするからです。

そしてそれは
「揺るぎない確かさ」という感覚をも
与えてくれるように感じます。

なぜならそこには、
「理由」が存在しないからです。

感じることには理由は必要ないと

私は思うのです。

ただ、感じるから、
それが「ある」ことがわかり、
またそれを自分が「受け取った」ことがわかる。

そこでは知識を通り越して
体験、経験になる。


人は自分が持っていないものは
人に与えられないと言います。

例えば優しい言葉や行動、
「ありがとう」という気持ちや言葉を
外に出さない人たちがいます。

その人たちはおそらく、育っていく中で
「ありがとう」と言ってくれる人が周りにいなかったり、
優しさをもらえる機会が少なかったのかもしれません。

知らないだけなんだと
私は思います。

だから「ありがとう」を言わない人を
ダメな人だと批判するのではなく、
本当にその人のことを思うならば、
こちらからどんどん「ありがとう」を
言ってあげればいい。

炭治郎が、まさにそんなタイプの人。
(彼は別に伊之助を変えようという意図はなく、
 自分の心のままに優しさを伝える人ですが)

だからこそ伊之助の中に
たくさんの「ほわほわ」がたまっていって
どんどん仲間思いの人間に
変わっていったのだと思います。



ただ私が注意しているのは、

ありがとうを言うのも言わないのも

その人の自由な選択であり、

その人の生き方だということ。

相手を変える必要はなく、

相手が変わることも期待せず、

相手がどうあれ自分が自分の選択を

生きればよいとも思います。

変わるのも変わらないのも

本人の自由意志次第。



しかしながら体感で得たものは
その人を変えていくほどの力を持つと
私は思っています。

だから私は
人からやさしくしてもらったら
ちょっと時間をとって
じんわりとしてくるまで
味わってみるようにしています。

そうすると本当に
「ほわほわ」した
あたたかい感じが体中に広がります。

それはとっても
幸せな心地です。


次第に心の中に

ありがとうという気持ちが満ちてきて

その「ほわほわ」を他の人にも

味わってもらいたくなってきます。





最後まで読んでいただいてありがとうございました。