2020年11月24日火曜日

世田谷一家殺害事件 (壱)

 【事件概要】


警視庁による事件の正式名称は「上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件」である。

本事件では一家4人が自宅で何者かによって殺害されたが、年月が経過した現在も未だに犯人の特定や逮捕には至っておらず、未解決事件となっている。また、最大2000万円の「捜査特別報奨金制度対象事件」にも指定されている。


・2000年(平成12年)12月30日23時頃から翌31日の未明にかけて、東京都世田谷区上祖師谷3丁目の会社員宅で、

宮澤みきおさん(当時44歳)

妻・泰子さん(当時41歳)

長女・にいなちゃん(当時8歳)

長男・礼君(当時6歳)

の4人が殺害された。


宮澤みきおさんは英国系の経営コンサルタント会社社員(正確にはCI、コーポレート・アイデンティティ)で、泰子さんは自宅で「公文式」の学習塾を経営していた。

隣りには泰子さんの実母と姉夫婦(入江杏さん)が住んでいた。


宮澤さん一家がここに越して来たのは1990年6月。

みきおさんや入江家、泰子さんのお母さんの3家が共同出資で購入を決めた場所だった。

当時はこの住宅地に30軒ほどの家が並んでいたが、公園用地拡張事業による整備が進んだため、他の住民は次々と引っ越しており、そのため事件当時は4世帯しか残っていなかった。


すでに土地売買契約を済ませていた宮澤さん一家も2001年4月までに埼玉県内に引っ越す予定だった。


被害者の胃の内容物などから、殺害の推定時刻は30日23時30分ごろとされている。


被害者4人の発見時、全員の顔に服や布団がかけられるなどして顔が隠れた状態であり、犯人が見えないように隠した疑いがある






【みきおさんの状態】


みきおさんの死因は「胸部刺創による心・大動脈損傷に基づく失血死」。

前頭部、顔面、胸部、左右上腕、左太股などに無数の切創群があり、文字通り、メッタ刺しの状態だった。


みきおさんの頭後部に、先端が折れた「関孫六(銀寿)」の柳刃包丁の残片が突き刺さった形で発見された。


遺体北側には、みきおさんの動脈から噴出したとみられるB型の飛泡血痕が付着した段ボール箱が遺体を覆い隠すように置いてあった。

その表面には頭毛をかたどった血痕がべったりと残されていたことから、みきおさんが力尽きて倒れたその場所にあった段ボールを犯人が後に移動させたとみられている。


みきおさんの殺害状況について当初、捜査本部内でも見方が分かれた。


「みきおさんは2階にいて犯人と鉢合わせして刺され、階段下へ突き落とされたのではないか?」という見方が当初あった。

しかし、みきおさんは太股を下から上にかけて刺されていた。

これは犯人が2階から下りていき、1階でみきおさんを襲ったことを物語っている。

みきおさんのスリッパは階段途中で脱げていたが、2階へ逃げようとしたみきおさんを犯人が後ろから刺したとみられている。


みきおさんの体の上には机の引き出しが乗せられていた。




【泰子さんの状態】


浴室とトイレの間にある2階の廊下では、泰子さんとにいなちゃんの遺体が重なり合うように倒れていた。


泰子さんの直接の死因は「心タンポナーゼおよび出血性ショック」となっている。

解剖医の解説によると、これは泰子さんに向けられた刃が心臓を覆う心膜を貫き、心臓まで達したため、心膜腔内に320ミリリットルもの血液がたまり、鼓動を止めてしまった状態を示すという。


だが、その遺体に残った無数の傷は犯人に刺されても刺されても、娘を守ろうと最後まで必死に戦い、力尽きた姿を浮き彫りにしていた。


泰子さんの頭部、顔面、頸部、背中、右左上肢には無数の切創、擦過、打撲痕があった。

(家族の中で一番状態が酷く、顔を執拗に狙われたとの報道もある)


血痕から犯人は、みきおさんをメッタ刺しにして先端が折れた関孫六の包丁を持って3階のロフト(屋根裏部屋)に上がり込み、ここで寝ていた泰子さんと、にいなちゃんをいきなり刺したとみられている。


その後、犯人はいったん、ロフトの梯子を下り、2階の台所にあった洋包丁を取りに行った。

この隙に泰子さんは傷口から血を流しながら、にいなちゃんを抱え、ロフトの梯子を下り、逃げようとしたとみられている。


現場に長女の血のついたティッシュペーパーが落ちていたことから、犯人は母親が負傷した長女の手当てをしているのに気がつき再び襲った可能性がある


梯子の周囲には泰子さんの血が真っすぐ滴り落ちた痕が多数、残っていた。


まだ生きている事に気付いた犯人が阻止しようと洋包丁でトドメを刺したと思われている。


顔にはたんすから物色されたとみられる洋服がかぶせられていた。




【にいなちゃんの状態】


最後まで生きていたのはにいなちゃんとされる。

正座したような格好のまま、うつぶせで死亡していた。


にいなちゃんの死因は「後頭部刺創による頸髄損傷」となっているが、解剖所見では頭蓋骨に硬膜下出血、外傷性くも膜下出血の跡があること、上顎左から1本目と下顎右から3本目の歯がそれぞれ欠損していたことが記されていた。

硬膜、くも膜下出血は生存中でなければ、血腫が鮮明に現れない。


なので、これらの傷跡はまだ生存中、犯人から逃れようとしたにいなちゃんが殴打されるなどして歯を折られた可能性がある。


犯人はにいなちゃんの首の後ろから洋包丁で頸髄、甲状腺、食道までを貫き、殺害したとみられている。


母親の脇でうずくまるように顔を下に向けていた。




【礼君の状態】


礼君は2階の子供部屋のベッドの上でうつぶせのまま、死亡していた。


礼君の死因は「頸部圧迫による窒息死」で、その首筋には左側に3点、右側に1点の内出血痕があったことが捜査報告書には記されていた。


これは犯人が右手とその指を使って気道を圧迫し、扼死させたことを示している。

現場の状況から礼君が最初に殺害された可能性が高いというが、なぜ、一人だけ扼殺だったのか、未だに謎は解かれていない。


二段ベッドの下段にてうつ伏せの状態で、頭から布団が被せられていた。




【犯人の行動】


家中のタンスを引っかき回し、みきおさんの遺体のすぐ後ろにあった納戸などの引き出しはすべて引き抜かれていた。


その引き出しの1本を2階まで運び上げ、中にあった物を全部、浴室の浴槽内へ投げ込んでいた。


犯人は泰子さんのハンドバッグ2個も2階トイレへ持ち込み、便座に座って用を足しながら、物色した形跡もある。


水を張ったままの浴槽には泰子さんの薄緑色の財布、みきおさんの財布、家の鍵、書類などを投げ捨てており、その中に混じって犯人のA型の血液が付着し、血を拭ったとみられる白いタオル、つぶれたアイスクリームのカップ状容器1個など、さまざまな物が浮沈していた。






【殺害時の順番】

犯人は2階子ども部屋の二段ベッドで寝ていた長男を殺害後に、異変に気づき2階に上ってきた父親を襲い殺害。


屋根裏部屋の布団から母親と長女の血液が発見されたため、最後に屋根裏部屋(3階)で寝ていた母親と長女を襲って殺害したとみられている。








【事件の発覚】


犯人は被害者宅の電話線を抜いていたとみられている。


料理に使う白だしを泰子さんに貰おうとした実母が、内線電話を鳴らすが通じないのを不審に思い31日の午前10時40分すぎに被害者宅を訪問。

呼び鈴を鳴らしても反応がないため合鍵で中に入り事件が発覚した。


気丈にも実母は家族全員を確認。

その時に浴室の窓が開いている事も確認している。


惨状を目の当たりにした実母は、入江宅に戻ると入江さん一家を伴って再度みきおさん宅へ行った。


その後すぐに通報。


警察に通報があったのは午前10時56分ごろ。






【犯人の入出経路】


犯人の入出経路は、被害者宅の裏(公園側)にある2階浴室の窓とみられているが、普通に被害者宅を訪れた可能性もあり、玄関から入った可能性も指摘されている。


浴室の窓は開いており、網戸は外にはずれ落ちていた。また、窓の真下の地面辺りから犯人の靴跡とよく似た大きめの足跡が発見されており、同じく窓の真下の公園フェンス付近の木の枝も折れていた。

(読売新聞 2002年12月28日付)


特別捜査本部が検証した結果、若者なら2階の浴室から無理なく侵入可能なことが明らかになっている。


現場に残されていた犯人のものと思われるダウンジャケットには擦れたような跡もなかった。





【犯人の滞在時間】(パソコンの話も含む)


当初、犯人は翌31日の朝方まで事件現場に居座っていたと推測されていたが、事件発生から14年が経過した2014年、別の疑いが出てきた。


犯行後、犯人が朝方まで居座っていた根拠となったのが、PCの起動履歴であった。

住宅1階にあったパソコンは、31日午前1時18分と午前10時ごろの2回、起動していた。

そのため、警視庁は「犯人は朝まで宮澤さん宅にいた」と見ていた。


しかし、後々の捜査で、正確にPCが起動していたのは、31日午前1時18分から5分18秒の4分間だけと判明。

(ちなみに、この4分間内にフォルダを作成したり、劇団四季のホームページにアクセスしていたことが判明している)。


それが再び起動したのが、おおよそ9時間後となる午前10時だが、その際には、一つのウェブサイトを表示したまま移動はしておらず、マウスは机から椅子の上に落下した状態だった。


第一発見者である泰子さんのお母さんが現場の部屋に入ったとみられているのが午前10時ごろ。それらを考慮し直し、警視庁は「午前10時のPCの起動は、泰子さんのお母さんが誤ってマウスを落とし、その落下によって生じた誤作動の可能性がある」という結論に至った、と報道ではある。


しかしながら警察発表とは明確な時差が生じる。

実母は31日の午前10時40分すぎに被害者宅を訪問しており、パソコンが起動したという午前10時とは辻褄が合わない。


そして警察に通報があったのは午前10時56分ごろ。


実母は宮澤さん一家全員を確認し終わった後、入江杏さん宅に戻り、入江杏さんらを呼んで再度宮澤さん宅を確認しに行っている。

そうして通報という流れだ。


時間的に見ても実母が宮澤さん宅に行ったのは午前10時40分過ぎで間違いないと思う。





一部報道では、31日未明には被害者宅の電気が消灯していたという通行人の証言も出ている。





【警察の捜査】


警視庁は、事件に少しでも接点を持つ人物をしらみ潰しに捜査してきた。

殺害されたみきおさんや泰子さんと仕事上の関係があった人。

自宅周辺住民や交友関係。

さらに事件発生日に現場近くの千歳烏山駅や成城学園前駅などを利用した人達の切符類を回収して、指紋を調べる捜査まで行っている。

警視庁は事件直後に出国した人物に関しても捜査を行ったが、追い切れていないと言うのが現状であろう…

事件から20年が経ち、警視庁は犯人が既に死亡している可能性も含めて捜査を行っている。

実は事件直後の2001年1月以降、世田谷、狛江、調布などその他周辺で起きた自殺や死亡事故を捜査したこともあったという。








【入江 杏さんの著者、疑問点】


・みきおさんの死亡時の服装は黒のタートルネック、黒のズボン、ベルトである。

これから寝る前の服装とは思えない。

単純に就寝前か、来客の予定があったのか?


姉が色も鮮明ではないポラロイド写真にて判別したが、事件前に母、姉、泰子さんが車でUNIQLOに一緒に行った。

その時に購入した黒のタートルネックではないか?との事。

だとしたら寝間着にするには早すぎると思ったと…


・泰子さんの死亡時の服装は黒のスウェット上下、下着はブラジャー。

姉曰く、普段寝る時はブラジャーはしないと思う、との事。



●みきおさんが設立した祖師谷パークスタジオの看板が現在も玄関先にも掛かっている。

(塗料はこの可能性??警察は流石に調べているか…)






【2チャンネルでの犯罪予告】


2チャンネルの「ペット大嫌い板」の「妄想不可★本物の虐待体験のみを語ろう!」というスレッドにて事件以前に犯罪予告ともとれる書込みがある。


以下原文↓


170 :黒ムツさん:2000/12/27(水) 17:03

俺は3歳のガキの頃から鼠を刺し殺し、又はては烏に与え、これを13歳に成った今でも続けている。其れと並行して犬も殺すことを7歳の頃に覚えた。最初に殺すのもあまり躊躇いは無かった事が鮮明に記憶に残っている。俺に突然噛み付きかかって来た体長約60cmの少し大き目の犬だった。一発蹴るとまだ噛み付きかかって来やがるので、俺は犬の腹を引き続き蹴った。何発蹴ったのか覚えていない。死んだ時には其の犬は口から大量の血を流し、腹からは内臓が少し食み出ていた。勿論今でも此れは野良犬を見掛けるとやる。いまでは蹴る力も倍増し、手でバラバラにする事さえ躊躇わないようになった。悪臭がするがそんなこと気に為ない。猫にも時々同様のことをやる。猫を顔を含め包帯でぐるぐる巻きにした上で、内臓を切り裂いて取り出し、道路に放り出して置く。すると烏が咥えて持って行ってしまうか、自動車に引かれて余計に悲惨な光景に成る。が、其れがまた快感だ。友達とどちらの結果に転がり込むか賭けをしたことさえある。最近では人間を切り裂いて内臓を見たいとも考える。あの歌舞伎町で起きたビデオ屋爆破事件の容疑者の少年が供述していたように。今では隣の幸せそうな家族を見るとあの大分一家殺傷事件のようにしてしまいたいとも思う。決行日は12月31日午後11時59分だ。21世紀がやって来る前にちゃっちゃと殺ってしまおうか考えている。



以上の書き込みを読むと、





た、その他にも犯行前後の2000年12月26日および翌年1月4日において「主犯」と「実行犯」がネットで連絡していたのではないかと騒がれた書き込みもあった(それぞれ「J9」「H」と名乗っていた)








【韓国が指紋認証に応じてくれない噂】


・世田谷一家○○事件 の犯人は韓国人が一番有力視され、ICPOを通じて韓国政府に捜査協力要請しているが、応じてくれないという噂があった。

しかし、その後、韓国警察庁に指紋照合を要請した結果、韓国側は自動指紋識別システム(AFIS)に登録された指紋の中に一致するものはなかった、と回答してきたという情報あり。(一回目は拒否、二回目で照合してくれたとの話もある。)


ネット上では嫌韓のネタにする様に韓国が指紋照合に応じてくれないと書かれるがそのような事実はない。


・東亜日報・

日本警察、一家殺人犯を最後まで追跡する 東亜日報 02, 2015 08:24,

現場では、数十個の指紋も検出され、前科照合をした結果、初犯であることが分かった。


犯人が履いていた運動靴が韓国製ブランドだということが分かり、韓国にまで捜査員を派遣して、韓国人前科者らの指紋と照合したが、同じ指紋を持った韓国人を探すことができなかった。

(他に読売も書いていたとの情報あり要確認)




【韓国の指紋事情】


・韓国では満17歳以上の韓国国民の場合は住民登録証を作る過程で指紋情報を登録する。

韓国は全国民に一連の個人識別性を持つ住民登録番号を付与し、全国民の10指の指紋採取が義務化されている世界でも例がない国。

そのため、指紋を採取すれば2時間以内に身元確認が可能。 


・韓国捜査チームの指紋鑑識技術の優秀性は2004年12月にタイで発生した津波事故現場で知られている。

米連邦捜査局(FBI)も韓国の指紋鑑識技術に関心を持ち技術を学んだりした。 



ネット上では「ある一冊の本」のせいで犯人プロ説(韓国人軍人説)というものが根深いが、僕はこの説には甚だ疑問である。

何故ならば韓国人であれば上記の様に指紋情報は必ず登録されるし、韓国での従軍経験があるというのならば指紋照合に引っ掛からないのは何故だろうか?(過去に他の国に居ようが韓国で従軍するのならば確実に指紋は登録されそうなものだが…)


戸籍を抹消されるようなガチのプロなのだろうか?(そのような存在がいるのかはともかく)

上記の様に、政府が関与する様な公認のプロであればこの様な手荒で雑な犯罪は起こさないであろう。










●ピッキングツールを使用しての鍵開錠?


「犯人は、改造錠解器具がついた特殊なスイスアーミーナイフ(万能ナイフの一種)をつかって玄関のドアの鍵を開け、そして、ドアのチェーンまで叩き切って侵入。」と一橋文哉氏の著書にあるが、正直???である。


それであれば警察は玄関から侵入で間違いないと断定するはずだし、ピックツールを使用するのならまだしも鍵解除器具が付いた十得ナイフ状の物を使用する意味が分からない。(絶対使いにくいと思う)


複数種類がまとめられたピッキングツールであれば幅広い鍵に対応可能だし、ドアのチェーンをたたき切るような行為をすれば大きな音が出るのは明白である。

静かなピッキング行為をするのに何故チェーンを叩き切るのか謎。

それならバール使用してのこじ開けや、窓を割れば良いと思うだが・・・





●一階の仕事部屋で採取された徴量のグレーの皮革片


一階の仕事部屋で採取された徴量のグレーの皮革片は、鑑定の結果、「プレイデッド・タスラン・ブーツ」と呼ばれ、 足音を消去するため軍隊などで使われる特殊な革製ブーツのものと判明。(世田谷一家殺人事件 韓国マフィアの暗殺者/一橋文哉)


と言う様な情報があるが、確度の低い情報と言わざるを得ない。

そもそも僕自身ミリタリー装備好きだが「プレイデッド・タスラン・ブーツ」なる物を知らないし、世田谷事件関連以外での検索ヒットは無い。

軍隊や特殊部隊で採用されてようが軍隊で正式採用された装備はミリタリーオタク達が知らない筈がない。

検索にも引っ掛からない、オタク達の話題にも上らない、というのは異常である。

個人的にも興味があるので是非実物をお目にかかりたいものだ。




●宮澤さん宅で発見された止血帯のラテックスゴム破片


浴室内より採取されたゴム編は、軍隊で止血帯として使われているラテックスゴムの破片と判明。

右手を怪我した犯人は最終的にこれを使って、完全に止血していたとみられている。(世田谷一家殺人事件 韓国マフィアの暗殺者/一橋文哉)


とあるがこの情報については、本誌でしか触れられておらず情報としては不確かなものである印象を受ける。

他の情報ソースも調べてみたが該当する情報は無かった。











●当日みきおさんと口論する男(公園で)とかローダミンとか西友のカメラ

●事件当日の夜22時頃に、泰子さんと男が言い争う声が聞こえたという証言

●フリーライターの唐沢俊一氏もみきおさんとはアニメ同好会の知人で指紋とられたようだ。

●警察は地蔵を重要視している?

一般人には知られていない恐らく重要な証拠があったのではないか?

例えば犯人と同一のDNAが付着していたとか…










●虚偽の捜査報告

5月12日、警視庁は虚偽の捜査報告書を作成したなどとして、小平署地域課の警部補(当時57歳)を虚偽有印公文書作成・同行使容疑で書類送検し、停職3ヶ月の懲戒処分とした。警部補は周辺住民から任意で指紋を採取するなどしていたが、自分や妻の指紋を添付した報告書を提出していた。

同日、警部補は辞職した。調べでは、警部補は捜査本部がある成城署に生活安全課員として勤務していた2001年(平成13年)5月~2004年(平成16年)6月の間、現場周辺の聞き込みや指紋採取の報告書を偽造し、捜査本部に提出した疑い。

提出された報告書は35通で、住民ら延べ44人に対する虚偽の聞き込み内容と採取指紋が添付されていた。指紋は自分と妻のものだったという。「住民が不在だったり、捜査への協力が得られないことがあった。

放置すると全体の捜査が遅れると思った」と動機を供述しているという。

 

6月22日、東京地検は虚偽有印公文書作成などの容疑で書類送検された元警視庁警部補について起訴猶予処分とした。

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