日々の緑翆のお仕事の様子や日常雑記・業務連絡など。
緑翆に関わってくださる方々との交流の場です。
よもやまばなし、ぶろぐでつぃーと。
下記LINEのクライアント様はそんなことはないのですけれども、他の方であまりにも朽ち果てたような神社や祠に魅せられていた方がおられたので四方山話的にちょろっと書いておきますね。
休憩時間にでも読んでくだされば。
自宅から最も近い神社。
まずそこを一番大事にしないと。
自由が丘の熊野神社の宮司さんもおっしゃっておられたよ。
台湾の先生にも教えてもらったし祖母みつ子も同じことを言っていましたね。
ただし誰も管理者がいない打ち捨てられたり朽ち果てたりしている神社仏閣や祠には近づかないこと。
私も岩手の超山奥に行った時にうち捨てられたそういったところを垣間見ましたが確かに得体の知れないものがけっこういました。
彼らには彼らの行動原理があり悪気などはないけど、こちら人間側の都合など一切考えてくれませんから。だから要注意。
いわゆる自然霊(精霊など)というのは人間など意に介さないからね。
例えば、きちんと神社仏閣に所属している龍神と自然龍は全く別物です。
どっちが良い悪いではなく自然龍などは人間社会など意に介さないということです。
それは他のきつねやらたぬきやら狛犬やらビハインドアニマル(聖獣)と呼ばれているものもそうです。
例えば豊川や伏見系稲荷の年若い霊狐などは、ご縁ある人間にくっついて来て(人間のもとにやってきて)人間と人間心理や人間社会というものを学んでくれているわけです。一人前の眷属になるべく行儀見習いに来てるということですね。
豊川や伏見などのきちんとしたところの眷属の霊狐(狐の姿を借りた神使)と得体の知れない狐の姿を借りた“なにか”とは全く別物です。
そこのところを理解せずに狐=全て悪と勘違いされている人が多すぎる。
閑話休題。
自宅の氏神様を大事にしろとは言ってもね、打ち捨てられている神社や祠ではなく、きちんと管理されているところね。
きちんと管理されていない祠などは言われている神様が居らず(とっくの昔にどこかに行ってしまったり移動してしまったりしているから)全然別次元の別のものがなりすましてることもあるのでね。
その神社や祠を管理している人(神職の人や氏子総代など)と移動している神仏も存外多いです。
あまりにも打ち捨てられた神社仏閣や祠などに魅せられているということは、そういったものがくっついてしまっている可能性も大いにあります。
人間の都合や倫理など慮ってはくれず、お構いなしで手に負えないんですから、そういった打ち捨てられた神社仏閣や祠などには近づかないことです。
ではまた。愛と感謝を。
クリックしてくださると今のあなたに最適にレイキが流れます。お礼までに。
怖がらなくていい物を怖がって、怖がってしかるべきものを怖がらない…サードディグリーを受けるとそういったバランスに欠けたところも中庸になりますよ。
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