わたしはいつも自分の心を表す言葉や形を探していた。



空が青くて綺麗で、綺麗なのに泣きたくなるのはどうしてなのか。
泣きたいその奥につよくつよく呼ぶようななにかが湧いていて、ノックするように何度も心臓の奥から飛び出してきそうになるのはどうしてなのか。



木をみると「今日もありがとう」と言いたくなるのはどうしてなのか。

石をよしよしって撫でるときの嬉しい気持ちはどこからやってくるのか。


こどもたちの肌に触れたときに、何もかもをゆるせるくらいにただ感動するのはどうしてなのか。







わたしを通して、
わたしが触れるものや知ってゆくものをなんて表現したらいいんだろう。



呼吸するたびになにかがぐるりと巡りゆくのを感じると、生まれてきてよかったって思うの。


空の向こうは見えないのに、向こうがあって繋がっているとたしかに感じられる。


あなたの言った言葉の奥にあるものをもっと知りたい。


あなたがした経験を、
わたしがしたら、
どんなふうに何を感じるのか知りたくなる。


あなたの世界はどんな世界?


わたしがみている世界は、
どんなふうに言葉にできるんだろう。
どんな色で描けるんだろう。



わたしは、わたしを通して、
この地球にあるいろんなことを感じたくて、
そして、それをわたしもなにか形にしてみたいの。いつも、いつも。



わたしはこの世界のぜんぶと繋がっていることを感じながら、
それと同時に、
わたしはわたしだということをもっとちゃんとわたしがわかりたいのです。




それは、いつも外側にあるのではなく。




それは、いつも外側と触れ合ったわたしの中の底の奥から、ぼこっと湧いて、ふわりと舞い上がって、肉体中を巡り、いっぱいにしていく。



そして、この肉体からいろんな形や行動に秘められるように込められて、
放たれていく。


それは意識していなくても、込められて、放たれていく。









だから、わたしがもっとわたしをみて、
わたしを使って込めたいことはなんなのかちゃんとみて、
そして、この肉体を動かすならば。



放たれていくものはもっともっとわたしの密度が濃くなって、
そうすると、生きていることだけでとてもとても満ちていて溢れていてあたたかいことになっていく。気がする。



特別ななにかや、
特別などこかや、
特別な誰かを、
これじゃないあれじゃないって探しにばかりいくのは、
本当に疲れちゃう。


それがないと自分がダメだとか、
もっともっと良くしていかないと!とか、
こうじゃないとバカにされるからとか、
怖いと思っちゃうものを避ける方ばかりに
ついつい目が向いて意識も向いていっちゃうけれど。




それでも。
わたしは、何度も何度も自分の奥に立ち返って、



大切にしたいものや愛していきたいものを
わたしが選んで、
大切にしたり、
愛したりしたらいいんだ。
そうしたいから。





どんだけフラフラしたりしても、
ぐわんぐわんと揺さぶられたとしても、
落ち込んだとしても、
迷走したとしても、


何度もここにかえってくればいい。
それでいい。それがいい。




そのプロセスを、もっともっと愛せるようになりたい。
もっと濃く、奥深く、みつめたい。


わたしはもっとしりたい。


わたしの原動力。