只今、「門」と「櫓」を兼ね備え、特に「大手」等の重要箇所を固めた最強の門であった「櫓門」シリーズをお届け中です。
今回は、第30弾の「新発田城」(新潟県新発田市)の「櫓門」です。
「新発田城 本丸表門」(重要文化財)
新発田には、鎌倉時代頃から「新発田家」が居館を構えて国人領主としてのし上がり、戦国時代には「上杉家」と対等の力を付けますが「上杉謙信」配下となり「上杉家」を支えます。その後、「上杉家」の跡目争いでは「上杉景勝」の勝利に貢献しますが、「新発田重家」の時に「景勝」に対して反旗を翻したことから「新発田家」は滅ぼされます。
「豊臣秀吉」の世になり、「上杉景勝」の会津転封に伴って、「新発田城」主となったのが「溝口秀勝」です。関ケ原の戦いの際には、東軍につきましたので「新発田城」が安堵され、石直しによって10万石に加増され、「溝口家」は幕末・維新まで続きました。
「本丸表門」は、「本丸」の南側に位置した正門で、その前には「土橋」が架かっていますが、かつては「木橋」が架かっていたそうです。
櫓門から「土橋」に向かって両脇の石垣が出張っていますが、かつてはその石垣の上に「土塀」が築かれ、門前面の空間に横矢を掛ける目的があったようです。
重文「新発田城 本丸表門」(門の手前に石垣が出張る、手前は「土橋」)
門扉の両脇には鉄筋が貼られた「脇戸」が付き、櫓部分との間には瓦の庇が付きます。庇の裏側には「石落とし」も装備されており守りを固めている一方、櫓部分の下部には、「天守」や旧「二の丸隅櫓」と同様に「海鼠壁」を設え美しさをアピールしています。
重文「新発田城 本丸表門」(壁の下部は「海鼠壁」)
重文「新発田城 本丸表門」(庇の裏には「石落とし」)
重文「新発田城 本丸表門」(「本丸」側から、脇の「雁木」から入口へ)
櫓門内部に入ると、前述の「石落とし」が表側に並んでいるのが良くわかり、梁はある程度加工され、規則正しく天井に並んでいます。
重文「新発田城 本丸表門」の内部(右側に「石落とし」が並ぶ)
重文「新発田城 本丸表門」の内部(梁が並ぶ)
重文「新発田城 本丸表門」の内部(東側の入口)
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