只今、「門」と「櫓」を兼ね備え、特に「大手」等の重要箇所を固めた最強の門であった「櫓門」シリーズをお届け中です。

 

今回は、第33弾で「福井城」(福井県福井市)の「櫓門」です。「福井城」来訪時には、まだ「山里口御門」が建築中でしたので完成写真を掲載できていません。スミマセン!

 

福井城  山里口御門」(木造復元)

 

「織田信長」の家臣「柴田勝家」が「北の庄城」を1575年に築城しますが、「信長」死後の1583年に「豊臣秀吉」との間で争われた「賤ケ岳の戦い」で敗走して当城で自害し焼失しました。

 

関ヶ原の戦の後に、「徳川家康」の次男で「秀吉」の養子となりその後「結城家」の当主となった「結城秀康」が「北の庄」を与えられます。

 

「北の庄城」を取り込んだ形で「福井城」が天下普請で築かれ、1606年には四重五階の天守を持つ大城郭が築かれました。

 

「秀康」は姓を「松平」に戻し、「越前松平家」を興し、その後は幕末・維新まで統治しますが、「秀康」の嫡男「松平忠直」が、「大坂夏の陣」での働きに対する恩賞に不満を抱き、その後乱暴狼藉が激しく一時的に取り潰しとなりましたが、弟「忠昌」が継ぐということがありました。

 

山里口御門」は、「本丸」の三つの「虎口」の一つで、「本丸」を取り囲む「二の丸」の一部で西側に位置する「山里丸」へ渡る「廊下門」への出入口となっています。

 

木造復元「福井城 山里口御門」のコンピューターグラフィック写真(奥に見えるのが門、手前は廊下橋、現地に掲出写真)

 

「櫓門」と「棟門」、「土塀」で囲われる「桝形」を形成していて、櫓部分は「白漆喰総塗籠」、門の上には瓦の庇を備えています。

 

「棟門」からは、「御廊下橋」に直結していて、幕末には「西三の丸」にあった「御座所」から「松平春嶽」が、「御廊下橋」を渡り、「山里口御門」を抜けて登城したようです。

 

古写真や絵図、発掘調査等によって2018年に木造復元されました。

 

私が訪城したのが2017年8月、丁度復元工事真っ最中で、その工法や土塀の構造や完成予想CG写真の展示がされていましたので、その写真を掲載するとともに、福井城のホームページのURLを貼り付けますのでご覧ください。

 

木造復元「福井城 山里口御門」のホームページ

 

木造復元「福井城 山里口御門」工事中の写真と復元された「廊下橋」

木造復元「福井城 山里口御門」工事中の写真と復元された「廊下橋」

木造復元「福井城 山里口御門」工事中の写真と復元された「廊下橋」

木造復元「福井城 山里口御門」の「棟門」の構造展示

木造復元「福井城 山里口御門」の「棟門」の構造展示

 

 

 

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