すでに「速報」でお届けしていますように、8/2(火)~4(木)の二泊三日で、「夏好例のお城巡り一人旅」に出かけました。
一夜明けて、ホテルで6時半から朝食を取りました。4城目は「桑折西山城」(福島県伊達郡桑折町)の山城ですので、エネルギー確保の為に珍しくご飯を中心にバイキングしました。
「福島駅」から「青春18切符」2回目を使用して、7時3分の列車に乗り込み13分の乗車で「桑折駅」に降り立ちました。今日の天気予報及び雨雲レーダーによると、1時間後位から雨雲がやってきそうでした。
JR東北本線「桑折駅」
「桑折駅」から登城口までは約1.3km、そこから+αの距離ですので「本丸」跡まで約40分程です。途中、「東北新幹線」の高架下を抜けると、お城が有る「高舘山」が横たわり193mの山頂は、木々がカットされていて「本丸」跡が良く分かります。
「高舘山」の山頂に築かれた「本丸」跡が見えます
「方正寺」の非常に大きなカヤの木を見ながら高速道路下を潜るともう右手に上がる道が見え「登城口」に辿り着きます。
「方正寺」の大きなカヤの木
登城する前にまず、「桑折西山城」の歴史と城主について触れておきましょう。
「陸奥国」の守護職に任じられた「伊達稙宗(たねむね)」が1532年に築きますが、1542年に嫡男の「晴宗」によって幽閉されという「天文の乱」が起こり「伊達家」が二分されて乱が続きます。
1548年に嫡男の「晴宗」が米沢に移ることによって城は破却されますが、その後戦国時代末期には「伊達家」の支城として使用されたようです。
「桑折西山城」の「縄張り」は、「本丸」「二の丸」を中心とした部分と、「中館(なかだて)」「西舘(にしだて)」を中心とした部分に別れていて、各曲輪間は「堀切」による「空堀」で分断されたり、「切岸」によって守りを固めています。
「中館」「西舘」は、戦国時代末期に大改修されて使用され、敵方から突破されにくい「桝形状虎口」を採用しています。
縄張図と各々の解説図(現地に掲出)
縄張図の拡大(現地に掲出)
さて、獣からの保護用柵を越えて続く真直ぐの「大手道」は現在通行不可ですので、私は左手の山道から上っていきます。少しつづら折れでシンドイでしたが、比高差は80m程ですので難無く「大手門跡」に辿り着きました。
登城口(大手口)
途中の山道
「大手門」跡
左へ上がると「本丸」跡、正面は「本丸」跡南側の「腰曲輪」的な曲輪が段となり拡がり、右手の「土塁」上には「砲台」跡があります。
「砲台」跡のある「土塁」
「砲台」跡は、「戊辰戦争」の時に「伊達藩」がこの場所に設けた曲輪で、「砲座」跡が「土塁」を切った形で残っています。
「土塁」を切って「砲座」跡に設定
「砲台」跡から北東方向から延びる曲輪から「本丸」跡を見上げると、数段の「腰曲輪」跡が見られます。
「本丸」跡下の「腰曲輪」跡群
「本丸」跡へは石段を上がると「本丸表門」跡がありますが、両端は石を使い、門形式は礎石を使用した「冠木門」で「控柱」は掘立柱を使用していたようです。
「本丸表門」跡
「本丸表門」跡から東側にかけて東西100m×南北50mの長細い「本丸」跡が拡がり、「高館城跡」碑、「本丸跡」碑が立つ後方には、政治や特別な儀式を行った掘立柱形式の建物の平面表示のエリアがあります。
「本丸」跡の曲輪図
「高館城跡」碑、「本丸跡」碑
「本丸」跡内の「掘立柱形式の建物」の平面表示
また、「本丸」跡の東端には「本丸裏門」跡があり、内部が見通せないように塀が造られていたそうです。
「本丸裏門」跡
「本丸」跡と「腰曲輪」跡の間には、「空堀」の「横堀」が残ります。これは「二の丸」跡まで続いていたそうですが現在はその部分は無いそうです。また、「横堀」には「土橋」が見られました。
「本丸」跡と「腰曲輪」跡の間に横たわる「空堀」
「本丸」跡と「腰曲輪」跡の間に横たわる「空堀」に架かる「土橋」
「本丸」跡から「二の丸」跡へ向かう「土橋」の両脇には、二つの曲輪を仕切る「堀切(空堀)」が有り、堀底を土塁で仕切る「畝堀」が見られます。「堀底」まで下りてその深さを実感してみました。
「本丸」跡から「二の丸」跡へ向かう「土橋」
「本丸」跡から「二の丸」跡の間を仕切る「堀切(空堀)」
手前は「土塁」を盛り上げた「畝」になっている
「二の丸」跡は結構な広さを感じ、西端の縁沿いには「土塁」が遠くからでも見えます。近くに行くと高さが有り、その裏側に廻った所は道路になっていましたが、「土塁」裏の深い「空堀」の「横堀」となっていました。
「二の丸」跡西端の「土塁」
「土塁」を近くから見ると高さが有ります
「二の丸」跡西端土塁の西側は「空堀(横堀)」
「二の丸」跡西端土塁の西側は「空堀(横堀)」
「空堀」の対岸にある広々とした草だらけの敷地を「中館(中館)」と当初勘違いをしていて「中館桝形状虎口」跡を探しましたが判らずでしたが、そこから見える山肌が黄色く見えている箇所が「中館切岸」だと分かり、位置関係がやっと理解ができました。
「中館」と「西舘」の曲輪図
「中館切岸」
「中館切岸」は、かなりの規模で、近くから見るとその急斜面の凄さが実感できました。戦国時代末期にこのように改修されたとのことです。
「中館切岸」
「中館切岸」
結局、「中館桝形状虎口」跡は、右往左往しながら雨で濡れた草がボウボウの中を横断してそこに辿り着くことが出来ました。「虎口」跡は、「中館」の南沿いの「土塁」に沿って、L字型の土塁で囲った虎口ですが、虎口に入って右に折れると「中館」の上から攻められるような仕組みになっています。
「中館桝形状虎口」跡(左と先にある「土塁」が囲い右へ折れる)
「中館桝形状虎口」跡(上から見下ろす)
この辺りから雨が激しくなってきて傘を差さざるをえなくなりました。傘を差しながらの写真撮影は、帰宅してから見るとブレブレ写真が一杯でしたので、いい写真の掲載ができていません。
「中館」跡
「中館」の西端の「土塁」上を少し北に進むと目の前に現れたのが、先が見えないくらい長くて深い「空堀」の「横堀」です。これには、最大級の興奮が襲ってきて、ビシャビシャになりながらも「堀底」へ自然と足を向かわせました。
手前「中館」から見下ろす「空堀(横堀)」(左が「西舘」)
特に「中館」側の「土塁」側からの方が深く私の5人分位の深さが有りそうでした。下りた所から北西向かって往復しましたがかなりの距離を歩いたと思います。
「西舘」(左)と「中館」(右)の間の「空堀(横堀)」
「中館」(左)と「西舘」(右)の間の「空堀(横堀)」
「土塁」上の低い「西舘」の方へ上がった所が「西舘(にしだて)」の広場です。その南側に私が最も見たかった「西舘桝形状虎口」跡が有りました。傘を差しながらも見つけた時の喜びは最高潮となりました。
危険防止の為か、手摺が下まで付いていています。「西舘」跡の南辺の「土塁」と平行にL字型の「土塁」の中へ右折れで入り階段を上ると左折れをして真下に降りる石段になり、このエリアが「内桝形」になっていて、斜面には「石垣」が見られます。
「西舘桝形状虎口」跡の全体像
「西舘桝形状虎口」跡の構成図(現地に掲出)
「西舘桝形状虎口」跡の最上段の「土塁」へ(「内桝形」部分)
「石垣」が見られる「内桝形」
真下に降りる石段を下りると途中に踊り場となっていて右手に折れて直ぐに左手に折れて再び下に降りる石段が続きます。この部分が「外桝形」になり、下りきった所を左に進むと「化粧道」になっていますが、現在は通行不可になっています。
途中の「踊り場」で右に折れ左に折れて下る(外桝形の部分)
「踊り場」(外桝形部分)から真下に下りる
下まで下りきって、今下りてきた虎口跡を見上げると、これは物凄い遺構であることが実感できました。敵側からすると、下から上りながら何度かの折れを通りすぎながら攻めて行かなければならないので勢いは十分に削がれてしますこと明白です。
「西舘桝形状虎口」跡を下から見上げる
この脇に石垣が築かれていましたが、「土塁」上に置かれた石積みのような遺構は近代の開墾によるものと説明板に記載されていましたが、この石垣もそうなんでしょうか。
下りた広場脇に築かれた石垣は近代のものか?
ここまで来て、もう手にしていた縄張図も雨に濡れてヨレヨレのクチャクチャとなりましたが、ほぼ全ての見所を制覇した喜びで、山から下山していく足取りは軽いでした。
「高速道路」の下を潜るころには、あれだけ降っていた雨もポツリポツリとなり、JR「桑折駅」へ着いたのは予定時間よりも1時間も早く到着しました。
雨と汗とで、Tシャツと空調服は勿論、ズボンもボトボトで暫くは駅舎内のベンチで休息を決め込みました。駅から徒歩20分位の所にある「桑折寺山門」は、「桑折西山城」から移築された「城門」だとの伝説が有るらしいので時間が有れば是非行く予定にしていましたが、流石に一度ベンチに腰を下ろしてしまうと、もう立ち上がって見に行く気力も失せてしまいました。
「桑折寺山門」(「桑折西山城」から移築された「城門」、パンフレットの写真より)
少し落ち着いて駅舎内を見回すと、面白いポスターを発見。それは「御城印発売中」のモノで、その中に昨年の10月ですが「桑折西山城」で「山城サミット」を開催し「千田嘉博」「春風亭昇太」両氏が来訪するとのことです。「桑折西山城」も有名どころのお城であることを嬉しく思いました。
「山城サミット 桑折大会」の記事が書かれたポスター
9時15分発の列車で「二本松」へ向かうのですが、今後の雨の状況が気になり雨雲レーダーでしきりにチェックを行いましたが、約2時間後には「二本松」付近には雨雲が差し掛かるようでした。
「福島駅」まで戻り、「福島駅」10時39分発の「白河」行に乗車して11時2分に「二本松駅」に到着しました。
「福島駅」まではこの列車で移動
次回ブログは、5城目「二本松城」です。
「ポチ」をどうぞよろしくお願いいたします。
「フォロー」の方もどうかよろしくお願いいたします。
もしよろしければこちらにも「ポチ」をお願いいたします。