先日(2/27)、孫の初節句と1歳誕生日で熊本行きにかこつけて、途中下車と寄り道して「小倉城」(福岡県北九州市)と「佐賀城」(佐賀県佐賀市)を訪城しました。

 

「小倉城」に登城した後、「佐賀」へはJR(新幹線+在来線)で移動して「佐賀駅」に着き、「佐賀バスセンター」からバスで「佐賀城」(佐賀県佐賀市)へ向かいました。

 

私は、県庁手前の「北堀」北側で下車して、「徴古館」へ向かいました。駅で貰った「佐賀城下ひなまつり」のパンフに「鍋島家の雛祭り」を開催中であることを知り、それをまずは見たくて下車しました。

 

「懐古館」

 

「懐古館」とは、1927年に12代当主「鍋島直映」氏によって建築された博物館で、国の「登録有形文化財」にも指定されている由緒ある建物です。そこで、鍋島家11代夫人「栄子(ながこ)さん」と13代夫人「紀久子さん」のお雛さんが飾られていました。

 

やはり、元大名であり旧華族のお姫さまのモノらしく、大雛壇にお内裏さま(男雛と女雛)が何体も並び、その下にはこれまた何体もの女官などや雛道具がズラリと並ぶ豪華で品がある品々でした。

 

鍋島家11代夫人「栄子(ながこ)さん」の御雛さん

 

市内の各所にも雛人形が展示されているようでしたが、今回はこの立派なモノを見た後はお城跡へ急ぎました。東側に隣接していて「鍋島直正」「鍋島直大」が祀られている「佐嘉(さが)神社」の境内を経由して、南側に横たわる「北堀」を渡ると、もうそこは「佐賀城」の城域となります。

 

「佐嘉神社」

「佐嘉神社」境内に置かれた複製150ポンド「カノン砲」

 

「北堀」沿いには、「土塁」が残っていていますが、体育館や図書館の敷地となっていました。その間を抜けるた所は住宅地となっていますが、昔は武家屋敷が並んでいたそうです。

 

「北堀」(西方向)

城堀の土手(土塁、「市村記念館」北側)

 

住宅地を抜けると目の前には、西側から「天守台」「鯱の門」「鍋島直正像」が一度に目に入ってきます。

 

「天守台」

「鯱の門」

「鍋島直正像」

 

「鍋島直正」は、江戸時代末期に10代藩主となり、財政改革などの藩政改革を断行して、教育に力を入れると共に、最先端の軍事技術を基にした近代化も進めた藩主でした。蒸気機関の開発や大砲製造に必要な反射炉などを開発しました。

 

既に「直正」について述べましたが、「佐賀城」の歴史と藩主についてもう少し触れておきます。

 

元々佐賀は「龍造寺家」の領地でしたが、「龍造寺家」の後継ぎが暗寓であったので家老の「鍋島直茂」が「龍造寺家」一門から領国政治の委任を受けるという変則的な形を採っていました。

 

「豊臣秀吉」は朝鮮出兵後に、肥前国を「鍋島直茂」に任せるとともに、「直茂」は豊臣政権の一躍を担います。 

 

関ケ原の戦いでは、「直茂」自身は、東西両軍を天秤にかけ「家康」が優位という情報を得て、西軍の拠点であった「立花宗茂」の「柳川城」を攻めました。その結果、本領を安堵されましたので、「家康」に恭順の意を示すために、息子「勝茂」の弟を江戸に人質として置くことで幕府から好感を得て1609年から築城を行いました。

 

そして「龍造寺家」を継ぐ者が相次いで亡くなり、「勝茂」がその家督を継ぐことを幕府から承認され、幕末・維新まで「鍋島家」が佐賀の地を治めることになります。

 

佐賀城」の縄張りは、「本丸」を南東隅に置き、北から東にかけて「二の丸」を「本丸」に接して配置します。「本丸」「二の丸」の周囲を「水堀」で囲い、その西側と北側にかけて「三の丸」「西の丸」「重臣屋敷」を置く、「梯郭式縄張り」の「平城」です。

 

「縄張り図」(現地にて掲出分)

 

「本丸」の西側と北側は「石垣」を築き、他は「土塁」を築いています。「平城」であることから、非常に幅広い「水堀」によって囲われています。

 

 

それでは、「二の丸」跡に立つ「鍋島直正」像の前を横切り、重要文化財に指定されている「鯱の門」を潜ります。この門は、天保年間の火災によって焼失した「二の丸御門」の後の1838年に築かれた門で、内部が2階となっている「続櫓」が連結しているので、横矢を掛けることができる攻撃力のある門です。

 

重要文化財「鯱の門」(左側は「続櫓」)

重要文化財「鯱の門」の「続櫓」

重要文化財「鯱の門」(「本丸」側から)

 

屋根の上には立派な銅製の「鯱」が乗っていて、冠木には鍋島家家紋「杏葉(ぎょうよう)紋」が付く他、扉には大きな「饅頭金具」や「八双金具」が付きます。また、入って左側の「本丸」側には「番所」も付随しています。

 

銅製の「鯱」

鍋島家家紋「杏葉(ぎょうよう)紋」

「鯱の門」に付随する「番所」

 

「門扉」や「柱」には、1874年に勃発した「佐賀の乱」の際に受けた銃弾痕が多数見られます。

 

「佐賀の乱」の際に受けた銃弾痕

 

門を潜ると「本丸」跡は広々していて、その右側には2004年に復元された「本丸御殿」が建ちます。現在、「御殿」復元ブームで各城の「御殿」が復元されていますが、他城に先駆けて木造で復元されたモノです。

 

復元「本丸御殿」の「御玄関」と「式台」

復元「本丸御殿」の「御玄関」

復元「本丸御殿」前の塀と「鯱の門」

「本丸御殿」の「御玄関」と「式台」、「鯱の門」(古写真、現地にて掲出)

 

復元されている部分は、全体の1/4位だと思われますが、「表」「内」「奥」「外」というエリアに分かれていて木造復元されているエリア以外は、平面表示して部屋の位置が判るようになっています。

 

「本丸御殿」平面図(「表」=緑、「内」=黄、「奥」=赤、「外」=青)

 

「表」は主に藩の公式行事や応接などが行われた空間で、「大広間」「御料理間」が有りました。「内」は、藩主の生活を支える役所が集まる空間で、「御座の間」「御小座」等がありました。復元では、主に「表」と「内」の一部分が再現されています。

 

「奥」は、「藩主」の私邸であるとともに女性が詰める空間で「奥御寝所」「長局」等がありました。また「外」とは、藩政を運営する部局が集まる空間で請役家老が詰て合議をしたりする「請役所」等がありました。

 

立派な「御玄関」を入ると「式台」となっていて、お客の応接間、色々な行事を行う部屋となっていました。現在は、「藩校」の紹介や受付、ショップとして使用されています。

 

「式台」

 

「式台」の裏は「外御書院」という建物が続き、東側を「床の間」とし、西に向かって「一之間」~「四之間」、畳敷きの廊下を併せて320畳もの「大広間」となっていて藩の公式行事が行われた場所でした。訪城当日は、「こども雛」の展示で畳一面に子供たちが作成したお雛様が並ぶ、色彩豊かな部屋となっていました。

 

「外御書院、御三家座」の外観

「外御書院」の「床の間」

「外御書院」の「大広間」

320畳の「外御書院(大広間)」の北廊下 

 

西側突当りが、「御三家座」と呼ばれる部屋で、「佐賀藩」の分家(独立した藩になっていた)である「小城家」「蓮池家」「鹿島家」御三家の部屋です。

 

「御三家座」

「屯の間」と「御三家座」からの廊下、「外御書院」の外観

「屯の間」と「御三家座」からの廊下の外観

 

「大広間」の南西端から廊下で「屯(たまり)の間」に続きます。この部屋は、家臣が集まり、控の場所として使用されていたようで、現在は休憩所、映像コーナーとなっています。映像コーナーでは、CGによる「本丸御殿」が再現された映像が流れていて、建物が密集した様子が良く解ります。

 

「大広間」から廊下で「屯(たまり)の間」へ

「屯(たまり)の間」

CGによる現在の姿

CGによる当時の姿

 

「屯(たまり)の間」から細い通路を渡ると「御小書院」があります。ここは、「御三家」との面談や側近との会議の場所として使用されていましたが、現在は企画展示室として資料展示されていましたので内部の撮影はできず、外からの撮影だけです。

 

「屯(たまり)の間」と「御小書院」を繋ぐ廊下

「御小書院」

「御小書院」の外観

廊下部分と「御小書院」(外観)

 

そして「御小書院」から東に廊下があって繋がる建物が「御座間(ござのま)・堪忍所」です。この部屋は藩主「鍋島直正」の居室でしたが、1958年に「南水会館」として「大木公園」に移築していました。そして2004年の「本丸御殿」復元に併せて元の場所へ現存移築した建物で、市重要文化財に指定されています。

 

「御小書院」から「御座所」への廊下

「御座間」

移築現存の「御座間」(南面外観)

移築現存の「御座間」(北面外観)

 

「御座間」は、「直正」建築当時の柱がそのまま残っているので、柱の傷やよごれはそのまま目にすることができます。また、当時大きな紙を漉く技術がなかったので、障子の紙に継目がある「石垣張り」もそのまま見ることができます。

 

「御座間」(当時のままの柱)

「御座間」の南側廊下

障子の紙に継目がある「石垣張り」

 

「御座間」から一旦「大広間南廊下」を通り、「式台」から東側に延びる「御料理間(おりょうりのま)」へ移動しました。こちらは、家臣や藩外の人達との対面、食事の場所となっていましたが、現在は「直正」の人となりや幕末に藩が推進した科学技術の成果が披露されていました。

 

「御料理間」

「御料理間」と「御納戸」の外観

 

この東端には「御納戸」の建物が続きますが、ここは現在は事務所のようです。

 

これで「本丸御殿」内部をグルっと廻ってきましたので、「御玄関」を出て「本丸」跡を散策しました。「後編」は、「天守台」からお届けしていきます。

 

 

 

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