胃腸と膵臓と

その後ろ側のストレスによる激しい痛み。

 

 

 

 

線維筋痛症の悪化による

背中側の脊髄の合間にある神経が圧迫される悶絶激痛。

 

 

 

薄暗い部屋でアロマをしながら

大好きな

See You Again ft. Charlie Puth を聴いている。

 

 

 

 

 

 

涙が出たらどんなに良い事だろうか。

 

 

涙が出たらどんなに心が楽になれる事だろうか。

 

 

人間とは苦し過ぎたり辛すぎると

泣きたいのに涙が出ない。

 

 

 

体の痛み。

心の痛み。

 

 

大好きで優しい満面の笑みの父を思い出した。

 

 

 

父が昨年で三回忌。

毎日何度も思い出し夢でもよく逢うというのに

本当にいないの?

 

 

 

末期がんのステージ4で在宅介護で看取った。

 

 

 

とても苦しみ人間とはこんなに

声が出るのかと驚くほどに大声で叫んで苦しんだ姿。

 

 

 

虹を渡る2時間前

私は父を40分近く抱きかかえ続けた。

 

 

兄弟が間に合うまでの間。

 

 

 

父は痩せたとは言えど体格がとても良かった。

 

 

私は朝の4時までは気力で介護も看病を

余裕で出来てはいたが

基本、線維筋痛症で握力も力もない。

 

 

 

しかし40分は奇跡の力が出た。

苦しむから最初は私の首に力いっぱい

しがみついた父。

 

 

後に看護師から聞いて知ったが

その時の力とは物凄く強い力であり

本来はしがみつかれる側とは凄く痛いらしい。

 

 

 

しかし私は痛いと全く感じなかった。

 

 

 

痛いのは私ではなく父。

 

 

そう客観的に?

現実をありのまま受け入れるのが俊足に

出来ていたので私は泣く事なく

辛いのは私ではない父だと思い行動がとれた。

 

 

 

 

しかし父はその私の首にしがみ付く

手の力がどんどんなくなり

しがみつく力がなくなった。

 

 

 

だから私は父をお尻と背中ごと

抱きかかえなおした。

 

 

 

 

心の中では生き続けてくれているのに

もしも地球の反対側にいるとしたら

大嫌いな借金でもして、ヒッチハイクでもして

すぐに飛んで逢いにゆくというのに。

 

 

 

本当にもうどこにもいいないの?

 

 

介護ベッドで一緒にもっといっぱい寝たかった。

 

 

 

いや、元気になって

また一緒に森林力のドライブにも行きたかった。

 

 

父の夢だった

私と兄弟が中学生頃になったら

キャンプをしてバーベキューをする夢を

叶えたかった。

 

 

 

悔いて悔いてたまらないね?

 

 

もっともっと長生きしたかったね。

まだ71歳という若さ。

 

 

 

現役で美人で優しい彼女もいて

俺は幸せだな、がんちゃんがいても

 

 

そう笑顔で話してくれた事もあったね。

 

 

 

 

私の今の悩みや辛さを

1番よく聞いてくれて

1番のアドバイスをくれて行動してくれたのは

パパだった。

 

 

あまりにもすれ違い過ぎた父娘の人生だった。

 

 

 

たった11か月だけ

本当の親子になれた。

 

 

父の家に泊まりこみで在宅介護もしたが

それは余命宣告3か月が30日だった。

 

 

 

その前は毎日一緒にご飯を食べたり

沢山の話をしたりコントのような

お笑い芸人のような事をして笑い合ったり。

 

 

 

時に二人で泣いたり。

 

 

 

とても精神力が強く

とても儚過ぎる寂しい父の人生だと

知った時は私の胸が張り裂けそうになり痛んだ。

 

 

 

とても私がつらくなった。

とても可愛そうな父の子供時代の事からを知った。

 

 

 

その時、布団に横になって私を見つめる父に

こう言った。

 

 

 

「20代の〇〇ちゃん(父のニックネーム)に

45歳のおばちゃんである、たんちゃんが

こう言ってあげる。

 

 

おばちゃんの所に逃げておいで」

 

 

父はこくんと頷いた。

 

 

 

 

パパがいたら命がけで助けてくれたのに。

 

 

 

「お前は強い!本当に強い!

強い俺が言うから間違いない!

お前だったら、かあさんの在宅介護も

線維筋痛症の本の出版も仕事も出来る!」

 

 

そう励ましてくれた日が何度かあった。

 

 

 

 

「パパが調子が良かったら

たんちゃんを守ってあげて

沢山の事をしてあげるんだけど

出来なくて、本当にごめんね。迷惑かけてごめんね。

でもありがとう」

 

 

 

とても優しい父はこう言った日も何度もあった。

 

 

「迷惑だなんてとんでもないよ。

パパは悪くない。悪いのは病気だよ。

たんちゃんを守ってくれているんだよ。

なんでも言ってね?ありがとう」

 

 

 

大腸がんが胃と肝臓に転移した。

 

 

大腸と胃のがんは手術で摘出できた。

しかし肝臓の9割以上はがんになってしまった。

 

 

 

どんなに無念だったことだろうか。

 

 

瞳を閉じる時

一筋の涙がこぼれ落ちた。

 

 

最後の言葉は

 

「たんちゃん?パパと一緒に寝よう。

パパはたんちゃんと一緒に寝たい」だった。

 

 

介護ベットに飛び乗ったが

その数時間後の事だった。

 

 

 

パパがいたら抱きしめて

1回目の山場が来た時と同じように

私を抱きしめ

 

「愛している」と言ってくれるだろう。

 

 

 

パパがいたら両手を広げて抱きしめて

「パパがいるから大丈夫」と抱っこしてくれていただろう。

 

 

大人になり1度だけそんな事があった。

 

 

 

 

 

こう書いていたら涙が出て来た。

 

 

父の事で泣きたかったのはあるが

ブログの書き始めは実はそうじゃなかった。

 

 

 

涙が出たら少なくとも心が楽になれると思った。

 

 

 

葬式の時以来、父をどんなに1日何度想っても

一滴たりとも涙が出ないのだ。

 

 

 

それが今、涙が出始めた。

 

 

 

パパが私を抱きしめながら

プレゼントをくれているようだ。

 

 

 

 

#味覚障害

#PMS

#消化器内科

 

 

 

 

コメ返メッセージのお返事が

体調不良で出来なくてごめんなさいね。

 

 

 

 

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「ありがとう、ありがとう」と感謝しています。

 

 

 

 

 

 

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みなさんの心がほっこりする素敵な夜でありますように。

 

 

 

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