明日もシアター日和

明日もシアター日和

観たもの読んだものについて、心に感じたことや考えたことなど、感想を綴ってみます。

脚本/監督 アンドリュー・ヘイ

アンドリュー・スコット/ポール・メスカル/ジェイミー・ベル/クレア・フォイ

 

 良い映画だったー🎊 主人公の孤独や悲しみが胸に突き刺さり、その痛みが全身に沁みわたる感じ。感情を揺さぶられました😭 ハッピーエンドではないけれど、暖かさを感じさせるラストシーンが脳裏に焼き付く。(私は未読ですが)山田太一の小説「異人たちとの夏」をもとに大胆に翻案した作品。映画の原題は「All of Us Strangers」で、strangerの意味からすれば、「異人たち=(他と?自分と?)異なる人たち」というより「私たち皆、見知らぬ者同士」ですね。

 

 ネタバレあらすじ→現代のロンドン。クィアのアダム(アンドリュー・スコット)は12歳になる前に両親を交通事故で亡くし、40代半ばの現在は、高層住宅で脚本家として一人暮らし。ある晩、同じ建物に住む、やはりクィアの青年ハリー(ポール・メスカル)が「一緒にお酒を飲まないか」と尋ねてくるが、アダムは断る。アダムは両親の物語を書こうと、1987年の自分が育った家を訪ね、そこで両親の亡霊/幻影に会う。両親は彼を迎え入れ3人は再会を喜ぶ。マンションに戻ったアダムはハリーと遭遇し、2人は交際を始める。(その後、アダムの、両親との邂逅&ハリーとの交際の進展が交互に展開する)。やがて両親はアダムに「あなたが幸せを掴むには自分たちのことはもう忘れハリーとの人生を進んでいくべきだ」と諭す。両親に別れを告げたアダムはマンションに帰りハリーの部屋を訪ねるが、ハリーはそこで死んでいた😖 アダムはハリーの亡骸をベッドに寝かせ、寄り添って抱きしめる。終わり。

 

 ラストは、抱き合う2人の姿がグングンとズームアウトしていく→ひとつの光になる→漆黒の夜空をバックに星になる→周りにいくつもの星が現れ、2人の星もその中の1つになる、そこに(冒頭でハリーがアダムを誘いに来た時アダムが聴いていた曲)Frankie Goes To Hollywood「Pawer of Love」が流れ……という、それはそれは美しいシーンでした✨

 アダムが会う両親は、アダムが幻想の中で登場させた幻影/亡霊だけどアダムがハリーと育んでいった愛も現実ではなくアダムの願望としての幻想、ハリーも幻影なのです。冒頭でアダムの部屋を訪ねたものの断られたハリーは自室に戻り、ウイスキーと麻薬の過剰摂取で死んだと推測できる。幻影としての両親と別れ、ようやく改めて現実のハリーと会う勇気が出たときには、彼はすでに亡くなっていた、というね……😢

 

 クィアであるアダムは学校でいじめに遭い、両親には打ち明けられず、その両親とも少年期に死別し、80~90年代はAIDSの恐怖と闘い、同性愛嫌悪の激しい嵐が吹き荒れた時代を生きてきた。その苦しみを誰かに打ち明けるどころか、社会的理解を得られないまま、いつしか心を閉ざして生きるようになった。社会における疎外感と痛み、愛を語れない悲しみと孤独、居場所が見つからない不安、人を愛することへの恐怖(冒頭でハリーの誘いを断ったのは「人と関わるのが怖かったからだ」と)。それらを抱え、人生の袋小路に入り込んでいた彼は、そこから抜け出て前へ進みたい、それには過去の自分と向き合って心のわだかまり清算し、自己受容しなければと思ったのかな。

 それで幻想の中で両親を登場させ、かつて話せなかったこと、我慢してきたこと、解決したかったこと、聞きたかったことなどを伝え、ひとつずつ整理していく。両親との対話は言わば自分の願望。だから、クィアであることをカミングアウトして両親に受け入れてもらい、独りで泣いていたときにして欲しかったように父に抱きしめてもらい、何度も「お前は大丈夫だよ」と言ってもらうのです。

 そうやって少しずつ過去の痛みから快復していく過程で、同じく幻想の中でハリーとの交際を始め、彼に自分を曝け出すことで本来の自分を取り戻す、ハリーと愛し合っていけそうだと思うようになる。両親との邂逅、ハリーとの交際を通して「自分は愛されている」と自信を持つことができ、その愛をもって今度はハリーを守ろうと思ったのでしょう。最後、アダムはハリーの亡霊に「君には僕がついている。君を襲ってくる吸血鬼を追い払ってやる」と語りかけるんですよね……もう手遅れだけど😢

 

 アダムを演じたアンドリュー・スコットが申し分なく素晴らしかったです。真っ直ぐに見つめるときの黒い瞳、微笑んでいるのに半泣きに見える口元、うつむいた時の寂しげな翳り、遠くを見る空寂を湛えた表情、彼が見せる表情からして役にはまっている。もちろんその繊細な演技も秀逸で、彼が流す涙に温か味を感じ、両親と語り合いハリーと愛を育むことで自分を解放していく姿には説得力があった。

 ハリー役のポール・メスカルもいい味を出していました。アダムより若く(メスカル自身は28歳)、クィアに対する社会のあり方が変わりつつある時代の青年の役だけど、自分を拒否する家族から受けた傷はアダムより深く、その痛みを抱えながらアダムを愛そうとする姿が痛々しい。「自分は、家族の枠組みから弾き出されていた、端っこに、社会の枠のフチに追いやられていた」というセリフに胸が締め付けられました😢

 映画「リトル・ダンサー」で主役ビリーを演じたジェイミー・ベルがアダムの父親役で、すごくいい演技をしていました。息子を理解してあげられなかったことを謝罪し、息子に穏やかだけど深い愛情を示す演技、静かに教え諭すセリフが心にジワ……と響きました。

 

 音楽のチョイスが最高。上述した Frankie Goes to Hollywood 「The Power of Love」とか、Pet Shop Boys 「Always on My Mind」とかね。要所要所で使われる曲は単なるBGMではない、そのいくつかは、そこに流れる歌詞が人物の心情を代弁しています。歌詞を知ったうえでそのシーンを見れば落涙必至💦 映像も美しかったです。上述したラストシーンのほか、例えばオープニングの、高層住宅の上階からアダムが眺める夜明け前のロンドン。ビル群が描く漆黒のスカイライン、その上に広がるブルーと淡いオレンジ色の空、その空漠とした風景はアダムの疎外感を視覚化しているようだった。

 クィアとして生きることの言い知れぬ苦しみを思うと同時に、人は底なしの孤独に落ちた時、誰かを愛することでそこから抜け出せるのだろうか、そんなことを考えた映画でした。

 

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作 デイヴィッド・アイルランド

演出 大澤遊

池田努/椙山さと美/前田一世

 

 2018年イギリス初演のブラック・コメディーです。作者のデイヴィッド・アイルランドは北アイルランド出身の劇作家。同作家の「サイプラス・アヴェニュー」という作品をリーディング上演で観たことありますが面白かった記憶がある。両作で賞を獲っているらしい。

 

 ネタバレあらすじ→俳優のジェイ(男)はアイルランド系アメリカ人でカトリック。北アイルランド紛争を題材にした芝居で主役を演じることになり、その打ち合わせでロンドンにやってきた。演出家のレイ(男)はイギリス人で無宗教でイギリスのEU離脱反対派。2人は、自分たちはフェミニストでありハラスメントや差別は許せない行為だと雑談している。そこに到着した戯曲家のルース(女)は北アイルランド在住でプロテスタントでイギリスのEU離脱賛成派。ジェイは自分が演じる主人公は「アイルランド統一を目指すカトリック」であり、ルーツを同じくする自分にぴったりだと思っていた。しかし実は「それに敵対するプロテスタント」の役だと知り、戯曲を書き直せとルースに迫る。ルースは、自分は北アイルランドに住んでいるがイギリス人であり、その立場で戯曲を書いたのだと書き直しを拒否。レイは演出という立場から日和見的な態度。そこから3人のバトルが始まり、さらに男2人のミソジニーなど隠れた偏見もあらわになり、それぞれの言い分は飛躍し互いに罵倒し合うまでになる。とうとうルースはレイを絞殺し、ジェイを傷つけて不具者にする😱 おわり。

 

 最後はとんでもないことになるんですが、全体をブラックコメディー風に仕立ててるところが味噌。風刺や皮肉に富んだ会話が繰り広げられ、男同士のマウント取り合いみたいなやり取りやハリウッド映画がらみの小ネタは結構笑えました。

 2人の男は冒頭で進歩主義を装った会話をするんだけど、実はそれとは真逆の “無意識の” 偏見の持ち主だということが見え隠れします。そしてそれが最後にあらわになる。ルースはオスカー俳優であるジェイに対して最初は媚びるけど、立場の違いが分かると豹変し態度を硬直させ強くなる。最後に彼女が暴力的行動に走るのは、男2人が女性のレイプを正当化するような会話を面白おかしく交わしていたのを知ったのが引き金になったんだけど、彼女が2人にした行為は、彼女が支持するプロテスタント系右派組織(アルスター義勇軍)の過激テロ集団が市民に行った残虐行為と同じなんだよな😑

 

 で、面白くなかった訳ではないんだけどねー💦 3人の言葉のバトルシーンが結構長くて、そのぶん会話がグルグル回り、次第に人物描写が画一的になり、観ている途中から話の収拾先が見えなくなってちょっと疲れてしまった。

 そもそも、3人の文化的・政治的・社会的アイデンティティーが多様&対立しすぎていて、戯曲として焦点がぼやけてしまったように感じました。北アイルランドにおけるナショナリスト(カトリック)vs ユニオニスト(プロテスタント)問題なのか女性差別問題なのか、どっちかにしてほしい。そこにさらにレイシズムやマンスプレイニングや政治(ブレグジット)問題の話を入れるとややこしくなるだけでは?……ってなる。また、男性2人がたとえ話として雑談するレイプに関するジョークが too much、しつこかったー😔

 役者さん3人ともセリフは良かったけど、バトルが激しくなって身体表現(掴み合いとか)になると、段取りめいたぎこちない動きになっていた。初日すぐだったので絡みのアクションがまだこなれていなかったのだと思う。

 

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愛之助/歌六/橘三郎/菊之助/米吉/巳之助

 

 愛之助はご存知の通り、大阪生まれ大阪育ち大阪住まい。この芝居は大阪が舞台なんだけど、主人公の団七を「関西がルーツの、上方歌舞伎の役者が、歌舞伎座で演じる」のは、これが初めてなんだそうです。意外だ~。愛之助団七の初役は2007年大阪松竹座。そこから数えて6回目の今回、満を持して歌舞伎座で!ということですね。

 

 その愛之助の団七、とっても良かったー🎉 愛之助の持ち味というのか、それを上方の味と言っていいのか分からないけど、全体的にコッテリ味がある。大阪の夏、祭りの日という、ジトッと汗がまとわりつく感じと愛之助の芝居との相性、とても合っていたと思う。

 まず「鳥居前」。牢から釈放されたばかりのむさ苦しい無精髭面がちょっと可愛く、床屋を終えてスッキリした侠客姿で現れた愛之助団七の、シュッとした姿にほほ~っ✨となる。さっぱりした浴衣姿が夏らしさを演出してる。威勢のいいセリフは少しねっとりしていて、情の濃さを感じさせます。徳兵衛(菊之助)との立ち回りは見得が何度もキリッと決まって気持ちいい。愛之助の動きは菊之助との対比で見ると少し丸っこさがあったかな。

 

 続く「三婦内」。この幕から囃子方の音楽が、遠くから聞こえる祭囃子っぽくなり、今日は祭りの日=このあと団七の舅殺しなのかーと、お話を知ってる人には不穏な空気をボンヤリ感じさせる演出になっている(と思う)。

 愛之助は二役で(徳兵衛女房の)お辰も演じるんですね。団七&お辰の二役っていうのはかつて海老さん(現・團十郎)で観た記憶があります。愛之助のお辰は声を無理に高くしてなくて、でもセリフのキレが良く、かえって色っぽさが出ていた三婦(歌六)の「こんたの顔に色気があるゆえ……」という、磯之丞(種之助)を預けられない理由を納得させるに十分の美しさ。去り際に花道で「こちの人が好くのは……ここでござんすっ」と胸をポンと叩く見せ場も気持ちよく、まさに男前のお辰でした👍 

 すぐに団七の役に戻って登場し、琴浦(莟玉)を乗せたカゴを追いかけるところで、だんじり囃子、特に鐘の音がだんだん大きくなる。それが団七の焦る気持ち、早まる心臓の鼓動みたいに聞こえ、愛之助のキッと先を睨む表情とも相まって、ドラマティックな引込みでした。

 

 そうして「泥場」。夏祭りの明るく賑やかな風情と、血と泥にまみれての陰惨な舅殺しとの対比が素晴らしい。後ろの塀の向こうでは(だんじりというより竿燈祭りっぽい)提灯が夕闇の中を下手から上手にのんびりと動いていく、その橙色の光が闇の中でボワっと浮き上がる。その手前のドヨ~ンと薄暗い中ではむごたらしい舅殺しが展開している。この照明の対比も見事。塀一つ隔ててあっちとこっちで全く違う日常がある……、美しさと哀しさと寂しさが混じった不思議な感覚に包まれる幕です。

 義平次(橘三郎)に、扇子で顔を叩かれても、足蹴にされても、雪駄で顔を殴られても、額から血を出しても、思わず刀に手をかけても、その度にグッとこらえる団七。舅のいびり・いじめを受け、怒りを飲み込み忍耐する愛之助の顔が良い。そうしてタガが少しずつ緩んでいく間の、妙に明るい祭囃子の鐘の音が物悲しく、団七の心情を代弁しているよう。結局、義平次に抜かれた刀を奪い返そうと争ううちに誤って斬ってしまい、その血を見て「しもたぁぁぁ……😖」と言うところで、殺すしかないと覚悟を決める団七。そのあとの殺しは様式美のひとつの極みですね。決めの形はどれも力がこもっていて緊迫感があり、しかも綺麗。息を呑んで見入りました。義平次に止めを刺し→脚の泥を井戸の水で洗い流し→浴衣を着てさばけた髪を手拭いで隠し→囃子言葉を呟きフラフラと踊りながら引っ込むまで、生々しいリアリズム風でした。

 

 歌六の三婦は手慣れた味わい。若い頃はさぞ暴れただろうなと思わせる、人生を味わい尽くした老侠客の思慮深さと貫禄はもちろん、男気もまだあって荒っぽい感じもよく出ていました。橘三郎の義平次も盤石。小柄で華奢なのでちょっと見では憐れみを感じちゃうんだけど、いったん婿イジメが始まると、欲の皮が突っ張った老人そのもの。ギスッとした雰囲気や意地汚いセリフや因業な仕打ちが見事で、我慢に我慢を重ねた団七がとうとう切れてしまうのも仕方ないよねーと思っちゃう。体を張っての殺されシーンでは流石にお体を心配してしまいました🙏

 団七女房は米吉で、しっとりした大人の女性、なおかつ気っ風の良さもうまく出していて、こういう役も板に付くようになったなあ(しみじみ☺️)。そしてですね! 髪結が巳之助なんだけど、巳之助が今月このお役だけってあんまりじゃない? 気の毒すぎる。だったらせめて磯之丞を演じるべきなのでは?(なんなら徳兵衛でもいいくらい)と思いましたね😤

 

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原作 ウィリアム・シェイクスピア

音楽 セルゲイ・プロコフィエフ

演出/振付 マシュー・ボーン

パリス・フィッツパトリック/モニーク・ジョナス/アダム・ガルブレイス

 

 2020年にシネマ上映で観た時その翻案の斬新さに驚き、ぜひ生で観たい!と思ったんですよね。なので来日公演が発表になって以来ずっと楽しみにしていました。意外だったのは、いざ生舞台を観てみると感動は最初に観た時ほどではなかったこと。何故?🤔 原作の登場人物やシチュエーションやプロットをモチーフにして、新たな物語として構築した作品なので、一応あらすじを書きます。

 

 ネタバレあらすじ→社会の一般的価値観に適合しない若者を収容する矯正施設。そこに収容されているジュリエット看守ティボルトに執拗にレイプされている。他の若者たちはそれを止めることができず、ジュリエットは精神的に傷ついているが黙して耐え、皆の前では気丈に振る舞っている。マキューシオバルサザーは男性同士で愛し合っている。新たに入所してきたロミオはジュリエットと恋に落ちる。仲間たちは2人を祝福し、遊びで結婚式を挙げて祝っているところに、酒瓶を手にティボルトが現れる。酔った勢いでジュリエットに愛を乞うところを若者たちに笑われたティボルトは取り乱し、嫌悪しているゲイカップルの1人マキューシオを怒りに任せて撃ち殺す。若者たちは騒然となり、ロミオとジュリエットが中心になってティボルトを絞殺。ロミオは自分1人の犯行だったことにし、隔離される。ジュリエットはロミオがいる部屋をこっそり訪れるが、そこにティボルトの亡霊が現れる。レイプのトラウマが蘇ったジュリエットは錯乱。(亡霊が見えてない)ロミオが制止するのも聞かず、ティボルトを短剣で刺すが、刺されたのはロミオだった😭 我に返り絶望したジュリエットはロミオの亡骸に寄り添い、短剣で自死する。終わり。

 

 ジュリエットがロミオの後を追って死ぬラストは原作通りだけど、マキューシオ、ティボルト、ロミオの死の形はボーンのオリジナル。特に、ジュリエットがティボルトの死に加担することや、彼女がロミオを(ティボルトと見間違って)刺し殺すというのは、かなりショッキングな展開です。

 自由を奪われ抑圧された若者たちと、彼らを管理・支配する大人たちの対立、という物語構造は現代性がありとても面白い。ただ、後半からその社会的対立という焦点がぼやけるように感じたりも……。悲劇の原因は、基本的構造である「抑圧される者と支配する者」という社会的対立ではなく、ティボルト個人の気質およびジュリエットの心理面の問題になっている印象を受けたんですよね。

 でもまあ、ティボルトは「抑圧者」の象徴であり、若者たちが彼を殺すことは圧政に対する反逆の証であること、ジュリエットがロミオを刺殺する原因となったのは彼女がティボルトの亡霊に錯乱したからで、ティボルトという「権力」がジュリエットに対して行った性暴力のせいで彼女の精神が壊れる寸前にあったことを思えば、やはり個人の問題以上に社会的問題による悲劇として捉えればいいのかな🙄

 その、支配側の代表であるティボルトには暗い過去がありトラウマを抱えているという設定らしいです。時々PTSDに襲われて苦悩したり、酔った勢いでジュリエットに愛を乞うという弱い部分を見せたりするけど、彼のそういう心理は十分には語られていなくて😔(ソロのダンスシーンがあればよかったかも)、そこはちょっと残念です。

 

 ジュリエットはハラスメントに負けない強い女性として描かれていて、踊ったモニーク・ジョナスはそのイメージにぴったり。いつも気を張っている人にありがちな、何かあったとき(ここではティボルト殺害で)精神がポキッとなって心を乱すのも納得できる造形だった。一方、ロミオとのデュエットでは情熱的ではあるけど柔らかさも見え、人を愛することで変わっていく姿もしっかり感じ取れました。

 ロミオはシネマ上映のときと同じパリス・フィッツパトリックで、あのヒョロッとした身体のせいもあり、繊細でナイーヴ、内向的な青年そのものです。入所した日に施設の衣装に着替えるため裸にされ怯える姿は雨に濡れた野良子犬のようだった。その彼がジュリエットに惹かれ愛を知ることで、覆っていた殻を脱ぎ捨て自信を身につけて成長していくところがよかったな。ジュリエットをリフトするところでは力強さが見えました。

 2人は互いの中に自分に無いものを見つけて惹かれ合う。「片割れ」を見つけて一つになろうとするかのようなとても自然な流れを見せます。だから死ぬ時も一緒、1人残されて生きるなど考えられない。そんな2人のPDDは時に甘く時に情熱的。バルコニーシーンは2階の回廊とその両側の階段をうまく使ったダイナミックなダンスで素晴らしかったです🎉

 

 ダンス振付は “ボーン節” 健在という感じ。若者たちの、怒りを発散させるようなステップ、監視下で見せる機械的な、あるいは痙攣するような動き、エネルギーがぶつかり合うダンスなど、群舞やアンサンブルの踊りはパワフルだったりロマンティックだったりで、とても生き生きとしている。終盤での、鎮静薬を投与された彼らがジュリエットの幻想の中でゆらゆらと踊るシーンは、ダークだけど美しくもありました。マキューシオバルサザーのデュエットも光っていて、彼ら2人だけのダンスシーンをもっと見たかったかも。それにしても、ボーンの作品ってダンス作品というよりミュージカル味が濃く、時々無言劇ふうにもなりますよね。そのあたりは好みが分かれるかもねー。私は好きですが。

 

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仁左衛門/玉三郎

 

 はぁ~、至福の境地でした(仁左玉のコレ観た時いつも同じこと言ってるかも😊)。鯔背な仁左さま鳶頭婀娜っぽい玉さま芸者。お二人のラブラブな世界に頬が緩みっぱなし、時々息するの忘れてたかも😆 何十年もご一緒してきて培った二人だけの世界がそこにあり、それは芸のひとつの到達点でした。しかも孝玉として人気をさらい始めた頃から全く変わらぬ、お二人のシュッとした姿形の美しさ、カップルとしてのお似合い度、これって奇跡なのでは? 

 

 浅葱幕が落ち、2人の若衆に挟まれて立つ仁左さまの姿が現れた時、あるいは、花道から玉さまがスッとした色香を纏って歩いて来られた時、そしてお二人が、寄り添ったり見つめあったり頬を寄せたり体を支えあったり髪や着物の乱れを直しあったり……いちいちのジャラジャラ場面で客席から、ため息やら悲鳴にも似た照れ笑いやら、じわが何度も何度も起こります。わずか20分の舞台が私たちをこんなにもハッピーにしてくれるなんて✨

 

 冒頭の仁左さま、背中に掛けている花笠のピンクの花が何故かよく似合う。ほろ酔い加減で若衆をあしらう所作が、柔らかくもすっきりとして、粋な江戸っ子のそれ💓 歩いてくる玉さまを迎える笑顔が優しい。玉さまが思いの限りを尽くして仁左さまを口説くときの色っぽさ、それに無頓着を装う仁左さまが可愛らしい。玉さまが人差し指をクルクルして仁左さまの頬をチョンとつつき、後ろから肩をフワッと抱き、腰を落とした仁左さまを後ろから甘えるように押し戻し、かんざしで仁左さまの髪の乱れをそっと直してあげ……一連の動きで見せる手先の優美さよ😍 お二人の会話が聞こえてくるようです。

 なかでも私が好きなのは「親分さんのお世話にて……」で、仁左さまが玉さまの方を「こいつと……」って感じで指差したあと、テレて頭ポリポリするところ。そのあとの、仁左さまと若衆との立ち回りは華やかで、皆さんのトンボも綺麗に決まります👏 床几に座って持ち上げられた形が美しく、その横に立つ玉さまの身体の柔らかなS字ラインが艶かしくもありました。

 そして、そして、花道でまたタップリと見せてくれるんですよねー。お互いの帯を締め直し、着物の汚れをはらい、互いに見合って惚れ惚れと「綺麗だねえ」って感じで笑みを交わし、肩寄せあってくっついちゃう。そこを皆んなに見られているのに気づいてハッと我に返り「お恥ずかしいところを……」って照れながら、客席の四方八方に向かって頭を下げるお二人。この花道での一連のジャラジャラも本っ当に好きで、それを間近で観たいがために、花道横のお席をとりましたよ。

 

 今回の「於染久松色読販」→「神田祭」という演目立ては、調べてみたら、歌舞伎座での2021年2月、その前の2018年3月と同じなんですね。一方、昨年10月御園座は「東海道四谷怪談」→「神田祭」という流れでした。水を差すようだけど、御園座の、お二人の陰惨極まりない絡み→トロけるようなラブラブワールド、という流れの方が落差が大きいこともあり、舞台としては面白味が強かったかな💦 それにしても、お二人のこの「神田祭」はディスクで持っていたい。気分が落ち込んだ時などに観て心を癒したいです

 

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玉三郎/仁左衛門/錦之助/彦三郎/橘太郎/中村福之助/松三/千次郎

 

 ここんとこ毎年4月の歌舞伎座は仁左玉祭りで(以前は6月だったよね)春にふさわしくて大変よろしいです😊 昨年10月御園座「錦秋特別公演」で、お二人の「神田祭」を、心の中でキャーキャー言いながら観まして、観終わった直後に、ああまた観たい!すぐ観たい!と念じるような気持ちになったのですが、その半年後にこうして歌舞伎座でそれが実現するとは~😭 あのときは最初の演目が「東海道四谷怪談」でしたが、今回は同じ南北作品でも軽めのこちらにしたのは、お二人の体力的なことを配慮したのでしょうか。

 

 この「於染久松色読販」は通しだと、油屋(質屋)の娘お染と丁稚久松との悲恋劇に、お家騒動(盗まれた名刀が油屋に質入され、責任とって家老のお家は断絶……その汚名を晴らすために……)を絡ませた、南北らしい構成のお話なんですよね。通称「お染の七役」と言われるように、1人の役者さんが、お染、久松、芸者小糸、奥女中竹川、お染母貞昌、お光、土手のお六、を早変わりで演じるところが見どころのひとつだけど、今回のように、お六と喜兵衛夫婦のゆすり部分(柳島妙見~小梅莨屋~瓦町油屋という3つの場)を抜き出した見取り上演も多いよね。主筋とは絡まないぶん、気楽に楽しめます。

 

 幕開きの「柳島妙見」は、油屋の番頭善六が質種だった名刀の折紙を盗んで悪巧みをモノローグする、それを聞いた丁稚久太が追い払われる(その後フグを食べて中毒)、折紙は野菜売り久作(橘太郎)の売り物の野菜束内に隠し、その取り合いで久作は手代久助に打たれて額に傷を負い……という展開です。通しだとここでお染の七役早変わりを見せるんだけど、それはありません。そもそも玉さま出ないし。でもそのあとの「小梅莨屋」での仁左さま「瓦町油屋」での玉さまが絶品でございました。

 

 まず「莨家」。お六(玉さま)喜兵衛(仁左さま)は、それぞれの思惑から、名刀を取り戻すための百両がどおっしても必要なんですね。そこに訪れた野菜売り久作髪結亀吉(中村福之助)の雑談から、久作が油屋の手代に殴られたことと、預かっていた早桶の中の死体(フグに当たって死んだ丁稚=実際には気を失っただけなんだけど)を結びつけ、死体をお六の弟と偽って油屋に運び、油屋をゆすって百両をせしめようと画策する

 キセルでタバコを吸いつつ、タニシの木の芽和え👍を肴にお酒を飲みかわす仁左玉ご両人、夫婦という設定が全く違和感なく自然体です。でもって、久作と亀吉の話を何気なく聞くうちに名案(=ゆすり)を思いついていく2人の演技、セリフは全く発せず、表情が少しずつ変わっていく過程がすごく良い👏 ん……? 何だって……? 待てよ、これは……? もしかしたら……、そうだ……!って感じで、最初のリラックスした表情が最後にはキッと引き締まった顔になっている。久作と亀吉の話が終わる頃には、2人からきっぱりした決意が感じられるわけですよ。

 

 そのあとの仁左さま喜兵衛がもう凄かった~🎊 死体を久作に仕立てるためその前髪を剃り落とそうと剃刀を研ぎながら悪事を算段してるときの、あのドロッとした闇の雰囲気、鋭い目つき、乱れ毛を1本取って剃刀の切れ味を試すときのゾッとさせる仕草、花道まで出て行って周りの様子をうかがうコソッとした動き。セリフは一言もないのに所作と目の動きだけでその場の空気を冷たく変える。舞台にも客席にもシ~ンとしたものすごい緊張感が生まれていました。早桶を逆さにしてその上に座り片脚を組んだ形の良さもね~😆

 

 次の「油屋」では玉さまお六のゆすりのセリフと所作、啖呵を切るところが最っ高にカッコいいんです🎉 店に入ったところでは上品にしてるけど、(自分の弟と偽っている)久作の頭を殴ったのがこの店の手代だと聞いた途端に、態度がガラリッ。お前んとこの使用人のせいで弟が死んだと言いがかりをつける。高く張ってドスを少し利かせた声になり、言葉遣いが荒っぽくなり、態度が大きくなり、アゴを上げ気味にしてキッとした顔で迫る。それがまた粋で、聞いていてスカッとするのですね。仁左さま喜兵衛を呼んで死体を店にゴロンと転がせてからは、煙草スパスパと姉御風。一緒になって凄みを利かせる仁左さまも小悪党ぶりが板についていました。ま、そのあとすぐに、本当の久作が現れ死体の久太が息を吹き返したんで、全て嘘だとバレ、2人はケロッとして帰っちゃうんだけど😅

 

 中村福之助が髪結亀吉で出ていて、玉さまの推薦なのだろうか。セリフもますます上手くなっています。彼はいま26歳。二十代の立役では(橋之助、歌之助ほか)團子、鷹之資、虎之介などがいるけど、良いお役がもっと付くといいなあ(何気に成駒屋3兄弟応援)。そして、山家屋清兵衛の錦之助が落ち着いた知性的な男を見せていてとても良かったです。野菜売り久作の橘太郎番頭善六の千次郎も達者で、お話の展開の肝がよく分かる舞台でした。

 そんなわけで、鬼門の喜兵衛と土手のお六を仁左玉で観られたのは嬉しかったけど、やはり、できれば通しで観たいなと思いました。で、最後に通しで観たのはいつ?と思って調べたら、2018年の歌舞伎座で(お六は壱太郎、喜兵衛は松緑)、そんなに昔じゃないのに、ほとんど覚えてない……🙇‍♀️

 

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脚本/監督 エメラルド・フェネル

バリー・キョーガン/ジェイコブ・エロルディ/ロザムンド・パイク/リチャード E.グラント/アリソン・オリヴァー/アーチー・マデクウィ

 

 いや~、なんか凄い映画でした。数々の賞レースで、作品、監督、そして役者たちがノミネートされてる。メジャーなところではゴールデングローブ賞でバリー・キョーガン、ロザムンド・パイクが、BAFTAではイギリス作品賞、バリー・キョーガン、ジェイコブ・エロルディ、ロザムンド・パイクなどがノミネート。ところがアカデミー賞では完全に無視。保守的なアカデミーには刺激が強すぎたのかも脚本&監督のエメラルド・フェネルはマルチな才能の持ち主のようです。映画監督デビュー作はキャリー・マリガン主演の「プロミシング・ヤング・ウーマン」で、アカデミー賞脚本賞とってる。

 

 ネタバレあらすじ(長い🙇‍♀️)→2006年イギリス。オックスフォード大学に入学したオリヴァー(バリー・キョーガン)は上流階級の息子フェリックス(ジェイコブ・エロルディ)と思いがけず親しくなる。オリヴァーは、自分は労働者階級出身の奨学金生で両親は薬物依存症であり、その父が最近亡くなったことを話す。フェリックスはそんな彼に同情と興味を示し、夏休みにオリヴァーを自宅である豪奢な屋敷ソルトバーンに招く。そこにはフェリックスの父ジェームズ卿(リチャード E.グラント)母エルスペス(ロザムンド・パイク)姉ヴェネシア、フェリックスの従兄弟ファーリーがいる。オリヴァーは彼らと打ち解けていき、特にフェリックスへの執着心を募らせる。

 オリヴァーの誕生日パーティーが計画され、フェリックスは偶然知ったオリヴァーの実家を2人で尋ねるというサプライズを決行。そこで、オリヴァーの家庭は品の良い中流階級で両親は優しく、父親は死んでいないし薬物依存でもないことが分かる。フェリックスはオリヴァーへの不信感と嫌悪を抱き、ここから出ていけと告げる。翌日フェリックスの遺体が薬物中毒死状態で発見される。彼に薬物を与えたのはファーリーだとオリヴァーが仄めかしたことでファーリーは一族から追放される。さらに、オリヴァーを怪しみ非難したヴェネシアの遺体が自殺状態で発見される。

 それから6年後、ジェイムズ卿が死去。オリヴァーとエルスペスは偶然に再会し、エルスペスはオリヴァーをソルトバーンに住まわせる。彼女は屋敷を含む全財産をオリヴァーに遺贈する契約書を書き、やがて末期の病に倒れる。昏睡状態の彼女にオリヴァーは自分がしてきたことを告白し、彼女の生命維持装置を外して殺害。全てを手に入れた彼は裸で屋敷の中を踊り回る終わり。

 

 最初にフェリックスに近づいたのも、終盤でエルスペスと再会したのも、すべてオリヴァー自身が偶然を装って仕組んだこと。フェリックスに薬物を混ぜたお酒を飲ませて殺し、ファーリーに罪を着せて一族から追い出し、ヴェネシアを自殺に見せかけて殺したのもオリヴァーがしたことです🥶 でも、ソルトバーンに招かれたことや、ジェイムズ卿やエルスペスの病は計画したものではない。オリヴァーは偶然の出来事をチャンスにして、自分の望むものに徐々に近づき手にしていった感じです。なぜ?

 

 オックスフォードで初めてフェリックスを見た瞬間に一目惚れしたのね、きっと💓 裕福な中流階級出身で成績も優秀なオリヴァー。その自分に無いもの=長身で美貌というキラキラの容姿、気さくで優しく時々ハメを外す愛嬌、いつも男女の友達に囲まれている粋な性格、上流階級特有の罪のない上品さ、それらを持っているフェリックスへの愛憎入り混じった切ない感情、彼のそばにいたい、彼を独占したい、なんなら彼に同化したい、彼の一部になりたいという異常な欲……かな。

 最初はフェリックスに対するそういう願望だけだったのに、ソルトバーンを訪れて彼ら一族を知り、ぬるい世界に甘えて生きている上流階級種族に対して嫉妬と羨望と憎悪がつのり、征服し捕食してやろうという欲が沸いたのか? 確かに彼は、上流階級特有の秩序を内側から崩壊させていくのです。

 

 フェリクスの同情心をくすぐるため貧しくすさんだ家庭の出だと嘘をついたのがバレて、フェリックスに愛想尽かしをされた時オリヴァーは彼に「捨てないで。欲しいものは全部あげただろう……僕が君をどれだけ好きかわかって欲しい……」と懇願します。フェリックスは「医者に見てもらったほうがいい……君はおぞましい」と突き放す。フェリックスがそう言うの当然だし、一方、彼に捨てられるくらいなら殺して自分だけのものにしようと思うの、あのオリヴァーならね……と納得してしまいました😓

 

 バリー・キョーガンのサイコパス演技がとにかくすごい。決して美しいとは言えない彼が、年齢に関係なく男も女も、性的にあるいは精神的に虜にしていく。不思議な、いや不気味なオーラを放っていました。湖の底を思わせる沈んだブルーの瞳、感情を読み取れない表情、それらが強烈なインパクトを放つ俳優さんです。そんなバリー・キョーガン、いやオリヴァーに惚れ込まれたフィリックス役のジェイコブ・エロルディが、いかにも上流階級のボンボンって風の甘々の美青年。特権階級ならではの自信に満ち、ちょっと傲慢な感じも見せる、まさに適役でした。ソルトバーンのロケ地になったドレイトン・ハウスに観光客が押し寄せていて(一般公開はしていないため)実際の持ち主が困惑しているとか。

 

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監督 ドゥニ・ヴィルヌーヴ

音楽 ハンス・ジマー

ティモシー・シャラメ/ゼンデイヤ/レベッカ・ファーガソン/オースティン・バトラー/ハビエル・バルデム

 

 PART1は Amazon の Prime Video=デスクトップPC画面サイズで観たのですが、PART2は誘われて映画館で観てきました。原作であるフランク・ハーバートの小説「デューン砂の惑星」はずいぶん前に読みましたが、いろいろ忘れてる。

 

 アウトライン→西暦10190年。宇宙帝国の皇帝(クリストファー・ウォーケン)はアトレイデス家に、希少な物質メランジの産地である砂の惑星アラキス(惑星の先住民フレメンの言葉ではデューン)を支配していたハルコネン家に変わってそこを統治するよう命ずる。しかし皇帝と結託していたハルコネン家の襲撃を受けアトレイデス一族は殺される(ここからPart2→)その後継者ポール(ティモシー・シャラメ)はハルコネン家を倒すためフレメンに協力を求める。フレメンにとってもハルコネン家は圧政者だ。母(レベッカ・ファーガソン)の指導により超能力が備わっているポールは、さらに “命の水” を飲んで覚醒。フレメンの信頼を得た彼は救世主として崇められる。ポールたちは巨大なサンドワーム(惑星に生息する全長数百メートルの砂虫=メランジや “命の水” を生成している)を操りながら戦い、ハルコネン家に勝利する。ポールは皇帝を退位させ、その娘(フローレンス・ピュー)を娶ることで新皇帝に即位するが、それを認めない領家の連合が宣戦布告、ポールとフレメンは聖戦に臨む決意をする(Part3に続く)。フレメンの戦士チャニ(ゼンデイヤ)はポールと愛し合っていたが、変わっていくポールに反発し去っていく。終わり。

 

 すごく良かった🎊 中世ヨーロッパ風ともいえる独特な宗教的精神的な世界観で、ポールを神/預言者のように仕立てたり、最後の決戦の戦い方が中世式(乗り物も銃器も火器も使わず主として歩兵たちが剣でチャンバラする)だったりする。アクションシーンもダイナミックなんだけど、何といっても映像がスペクタクルで美しく、アートの域に入った絵面がこれでもかってくらいに広がります

 ストーリーはあるけど、それが物語られるというより、それを「見せられる」、時にそれ(絵で見せられる物語)に「包まれる」という感覚に陥ります。状況や出来事や物事や人の思いなどの説明的セリフがあまりない。観客に分からせるためにセリフで無理やり説明していません。例えばポールの母が “命の水” を飲むシーン、それがどういうもので、それを飲むことはどういう意味なのかなどを誰かが語るわけでもなく、飲んだあと彼女がどうなったかを見て観客が推測・判断するという感じ。原作を読んでいればある程度わかるけど、映像と音楽の力が圧倒的すぎて、細々した疑問が気にならなくなります

 私が好きなのは砂や砂丘の映し方で、砂が生きているように、意志を持って動いているように感じるときもある。サンドワームは全身をクリアに映さないぶん神秘性と不気味性を纏った存在です。そのワームをポールが乗りこなすシーンは大迫力。終盤の、ポール率いるフレメンと宿敵ハルコネン家との戦いシーンは圧巻でした(←語彙力😅)。

 

 アンチヒーローとして変貌していくポール(彼は将来、自分が帝国内戦争の引き金を引き、それで何万人もが死ぬという予知夢を見る)。その彼に懐疑心を募らせるチャニ。2人の対照的な成長と変化が人間ドラマとして浮き彫りになります。危険なカリスマ性(フレメンがポールを救世主と崇めるシーンは狂信的で怖い)や、血筋の呪い(ポールの母の父つまりポールの祖父はハルコネン家の当主、なのでポールはハルコネン家の血も受け継いでいる)や、権力者たちの権謀術数、愛ゆえの行動などで織りなされるSF叙事詩でした。

 

 「デューン」は3部作になるそうで、Part3はすでに執筆中だとか。小説「デューン砂の惑星」の続編は、その12年後を描いた「デューン砂漠の救世主」ですが、映画はそれをどう変えてくるのだろう。少なくとも映画版 Part3では、ポールの妹が産まれ(ポールが見た未来ヴィジョンにアニャ・テイラー=ジョイがチラッと映った)、彼女はチャニと並んでキーパーソンになりそう。また、ポールとの決闘で死んだハルコネン家のフェイド=ラウサ(オースティン・バトラー)と、女性の精神&肉体訓練校ベネゲセリットの一員レディ・フェンリング(レア・セドゥ)との子も Part3で産まれるはずなので、ポールと同じ系譜の者として絡んできそうです。

 

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作 ジェイムズ・グレアム

演出 ルパート・グールド

ジョセフ・ファインズ/ジーナ・マッキー/ウィル・クローズ

 

 すっごーく面白かったー🎉 今年のローレンスオリヴィエ賞の、作品、主演男優、助演男優、助演女優、演出、振付、装置デザイン、照明デザイン、音響デザイン、9部門にノミネート(授賞式は4月14日)っていうのがす・べ・て納得❗️の、素晴らしい芝居でした。

 

 ガレス・サウスゲイト監督が率いるサッカー・イングランド男子代表チームの話です。ガレスは1996年のEURO(欧州選手権)準決勝でPKを失敗しイングランド敗退の要因を作ったことで “戦犯” 扱いされた過去を持つ。その彼が、低迷の続くイングランド代表の監督に就任。2018年W杯、EURO2020、2022年W杯という3つのトーナメントを通して、人との信頼関係や自分との戦いなど、代表チームの成長を描いたものです。

 サッカーの知識がなくても全く問題なく、お芝居として純粋に楽しめる。ハッピーエンドではないけど、ラストで爽やかな感動が込み上げきて、不覚にも落涙してしまった🥲 タイトルはEURO2020を前にガレスがファンに宛てた公開書簡の冒頭の言葉から取られています。

 

 脚本のジェイムズ・グレアムは、イギリス労働党政権の闘いを描いた「This House」、イギリス大衆紙の発行部数をめぐる競争を描いた「インク」、アメリカにおける政治的ライバルとメディアの影響を描いた「ベスト・オブ・エネミーズ」などを書いた手堅い戯曲家です。演出のルパート・グールドは「インク」でグレアムと組んでいる。

 

 ネタバレあらすじ→EURO1996準決勝、PK戦でガレスがシュートを外し「イングランドの夢は終わった……」と実況アナウンサー。再現されるその瞬間を今のガレスが眺めている。2016年、その彼がイングランド代表の監督に就任。代表選手たちはライバル心むき出し、出身別に固まる、などチームには亀裂があった。ガレスは選手たちを精神面から変えていこうと、スポーツ心理学者グランジをトレーニング・セッションのアシスタントにする。グランジは互いに信頼し合うこと、失敗したらという不安や恐怖と向き合うことなどを説く。ガレスのリーダーシップとグランジの訓練により選手たちは成長。2018W杯ロシア大会でPK戦を制するなど躍進し、ベスト4入りまで果たす。

 自分の役割は終わったと判断したグランジはアシスタントを退く。しかしイングランドは、その後のユーロ2020は決勝で敗退。そのPK戦で失敗した3人のカラードの選手が一部のサポーターから人種差別的言動を受ける。2022年W杯カタール大会準々決勝ではキャプテンのハリー・ケインがPKを外しイングランドは勝利への糸口を失う。傷心するハリーの周りに選手たちが集まり彼をハグする。地元イングランドの様子をレポーターは「私たちに怒りや絶望はない。今まで無かったこの感覚を敢えて言うなら、希望だ」と報道する。ガレスと選手はEURO2024への意欲を燃やす。終わり。

 

 最後、大事なPKを外したハリー・ケインはかつてのガレスの姿と重なります。そのハリーを真っ先に温かく抱きしめたガレス、いま彼はあの時の自分をようやく受け入れられたのでしょう。

 イングランド代表が抱える、サッカー発祥の地という自負、そこからくる慢心、PKに弱いという先入観、ファンの過剰な期待、それに応えねば勝たねばという重圧、応えられなかった時の苦悩と葛藤、多様性を受け入れることで生じる人種差別との戦い、それらもろもろの事象がスピーディーに展開していきます。ガレスは、個人あるいはチームの弱点をどう克服すればいいのか、失敗にどう立ち向かえばいいのかを考える。勝つことでしか評価されない世界にあって、負けた時それにどう対処するかでその人の真価がわかると言います。大事なのはその先にある勝利へ向かう姿勢だ、今ピッチに立つのは過去を清算するためではない、これから向き合う未来のためだと。

 シリアスなだけでなくユーモアもたくさん挟まれている。例えば、ほんのちょっとだけ出てくるテリーザ・メイとかボリス・ジョンソンとかリズ・トラスとか歴代の首相をパロディー化しておちょくり大笑いさせる、イギリスのこういうとこホント好き😆

 

 舞台美術が秀逸です。ロッカーのようなボックスと弧を描く照明を巧みに使ったミニマムでスタイリッシュなセット。ボックスを役者が動かすことで一瞬でシーンが変わる。照明の弧の部分には時々選手名やスコアなどが流れ、背景にウェンブリースタジアムが現れたり、実際の試合映像が映されたりする。練習やPKシーンではサッカーボールは出さず、役者の動きとボールを蹴る音と歓声だけで、ものすごい緊張感と臨場感が生み出されます。3人のカラードの選手がPK戦で失敗するシーンは、彼らがシュートするときサポーター(たぶん人種差別者)が選手を背後から壁のように囲みプレッシャーを表すという演出で、選手が感じる痛いほどの緊張が感じられる😰 とても上手い見せ方だった。

 

 ガレス役はジョセフ・ファインズ。懐かしい~。彼を見るのは映画「ベニスの商人」以来です。お兄さんのレイフ・ファインズを舞台や映画で見るたびに、ジョセフはどうしてるんだろうと気になってました。役者として活躍されていたようで良かった良かった。それはともかく、ヒゲのせいもあってか立ち姿やちょっとした仕草など実際のガレスに限りなく近かった。冷静沈着で思慮深そうな演技もよく、過去に自分がPKを外した時の気持ちを語るところでは深い共感を呼びました👏

 ハリー・ケイン役のウィル・クローズが、ハリーを(かなり誇張してると思うけど)口下手ながら一生懸命気持ちを伝えようとする愛すべき和みキャラに造形していました。W杯カタール大会でフランスと対戦する前にキャプテンとしてチームを鼓舞するとき、カッコいいことを言おうと長〜く考え抜いた末に「ワーテルローの戦いのパート2だ!」って言うんだけど、一瞬不安になって「……(ワーテルローでは)俺らフランスに勝ったよな?」って自信なさげに皆んなに確認する、その間(ま)の取り方が絶妙で大笑いでした😅 あー、ほんと良い舞台だったです〜。

 

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作 ウィリアム・シェイクスピア

演出 ショーン・ホームズ

段田安則/浅野和之/玉置玲央/江口のりこ/田畑智子/小池徹平/入野自由/盛隆二/上白石萌歌/高橋克実/前原滉/平田敦子

 

 イギリス人演出家ショーン・ホームズによる日本での演出作品の4本目。私は2020年の「FORTUNE」と2023年の「桜の園」を観ています。「セールスマンの死」はアーサー・ミラー苦手なので未見。古典作品を現代に寄せた(重ねる or リンクさせる)演出は好みなので本作も楽しく観劇しました。展開はほぼ原作戯曲通りですが、同族会社のワンマン社長が勝手し放題で……みたいな。

 

 前半は真っ白な舞台で、天井には何本もの蛍光灯。OA機器や給水機などが置いてあり、企業の一室のような空間です。リア(段田安則)が荒野を彷徨う後半になると後方の白壁(パネル)が取り払われ、剥き出しの舞台が広がります。根っこから引き抜かれた1本の木が宙吊りになっている。実際にはまだ出番ではないコーディリア(上白石萌歌)が後方に登場して右左にゆっくりと行ったり来たりする。

 前半の白い空間は “クリーン” な世界を象徴しているようだけど、リアにとっては綺麗事に囲まれた欺瞞の世界。いい人キャラのケント(高橋克実)エドガー(小池徹平)がその壁をぶち破って外に出ていくのは象徴的です。後半の荒涼とした空間は虚飾を剥ぎ取った真の世界で、そこでのリアは弱々しい一介の老父でした。芝居の最後、死んだ者たちが後方に亡霊のように並び、白壁が再び出てきて彼らを舞台から隠す。生き残った善良な3人=ケント、エドガー、オールバニー(盛隆二)が舞台前方に残り、リアの死を悼みます。

 

 時々、ブ……ンという小さい虫の羽音が聞こえてくる。最初はエドマンド(玉置玲央)が異母兄エドガーを罠にかける策略を傍白してるときです。その飛んできた虫をエドマンドが捕まえ白壁に押し潰して殺すと血のシミが付く。その後も人の災難が暗示されるたびに羽音がする。これは、後に盲目になったグロスター(浅野和之)が言う「人間は虫ケラ同然だ」というセリフからですね。「神々の手にある我々は、いたずら小僧の手にある虫と同じだ。ほんの気晴らしに殺される」😖 天井の蛍光灯が接触が悪くなったみたいに時々チカチカと点滅するのは、その度にリアの心の糸が切れていく、心が壊れていく意味だと解釈しました。時折どこからか微かに聞こえるゴォー……という嵐のような音はリアの心象を表しているのだろうか?

 

 段田さんのリア王、生身の人間の姿を曝け出していてすごく良かったです🎊 どちらかというと “陽” の気質のお騒がせ老人、前半の強引な我儘には呆れるけど、後半、失ったものの大きさを知って自分の愚かさにようやく気づいてからの、心を乱しヨレヨレになった段田リアの姿が愛おしい。娘たちに蔑ろにされても振るっていた権力と威厳を剥ぎ取られた姿は、本当にただの老人だった。気が触れ、かつて「王」であったことを微かに記憶していた彼がファーストフードの紙袋を王冠にして被ってくる姿が哀れ😢 コーディリアと再開するシーンで車椅子に乗って現れときは本当に縮こまっていて、理性を少しずつ取り戻しコーディリアを次第に認識していくところで、私はもう落涙でした😭 前半、2人の姉に怒りをぶつける時は強い口調だけど、後半の嵐のシーンでもセリフを絶叫調で喋ることはなく、静かに淡々と、時につぶやくように、弱々しく、やがて悲しみを押し殺すようにするセリフ回しがとても良かった。

 

 悪党たちが魅力的なんですよね👍 玉置玲央のエドマンド。彼は出番じゃないシーンでも後方にひっそりと居て、ことの成り行きをじっと観察していることが多く、その姿が少し不気味。無表情でスパスパと悪事を重ねていくところはむしろ痛快です。自分が私生児であることに対しての屈辱、その反動としての「なんでもできる、やってみせる」感が、クリアなセリフ回しの中にはっきりと見える。その彼が爬虫類的だとしたら、前原滉のオズワルドはなにか両生類っぽくて気味悪かった(褒めてます😅)。この2人はメガネをかけているんだけど、ものごとを二重の目で見ていて、誰にどう振る舞えば自分に有利かを探る人間ということ? それとも、素顔を隠しているということだろうか。

 

 姉2人は、この父親にしてこの娘ありというか、リア、ゴネリル、リーガンは似たもの同士に見えました。それでも2人の気質が微妙に違う、その見せ方が上手い。江口のりこのゴネリルは頭脳犯的で常に冷静に判断し、父に対して辛抱に辛抱を重ねつつも、裏で着々と奸計をお膳立てしていく性質に見えた。リアとの丁々発止のやりとりが痛快です。田畑智子のリーガンは感情が先に立つ激しい女で、勘が鋭く速攻で行動するタイプかな。遺産分けが終わった後さっさとハイヒールを脱いでスニーカーに履き替えるところがおもしろかったです。

 

 浅野和之のグロスターはリアと対極を成したりシンクロしたりする、リアとはパラレルの存在で、とても存在感があった。自分に惨劇が待ってるのに口笛吹きながらご機嫌で登場する、あの感じを出せるの、やっぱり浅野さんですね😆 息子エドガーとは知らずに死への道案内を頼むところは見ていて辛い。リアとの再会シーンはとても示唆的で、浅野さんと段田さんの役者としての味わい深さが滲み出る見せ場でした。

 

 演出意図が分からないところもあって、例えば、基本的にみんな現代服なんだけど、リアの3人の娘が同じデザインのピンクの衣装なんですね。老齢のリアが愛する末っ娘コーディリアと間違えて姉の方をハグしちゃうとか?……なんて思ったらそういうのはないし。3人同じ衣装というのは何を示唆しているのだろう。

 いちばん分からなかったのは、横に話す相手がいるのにその人に向き合わず、客席に向かってセリフを言う会話が結構あったこと。観客側に伝えるそのセリフに何か特別な意味があるから? 同行した友だちは、相手に伝えようとは思っていないことや真実ではないことを喋ってるんじゃないかと言ってたけど、そうだったのかなあ🤔

 

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