足助から移動しました。

 

松平郷へ来たかったのに、なぜか到着した場所は松平城山城そのまんま公園であった。

 

なんか様子が変やと思いながら散策するも、やっぱり変で、検索し直すとぜんぜん違う場所であった。実はそのまんま城山公園松平城山城という城跡のはずなのに、実際はマップに城山と表示される少し離れた山が城跡であった。紛らわしい。とっとと本当に行きたかった松平郷へ移動してしまったのです。

 

愛知県豊田市松平町

三河・松平城 別名:郷敷城、郷式城、松平氏館

 

ご存じの通り松平郷とは松平氏(徳川氏)発祥の地であります。松平郷へ来たからには松平氏を完膚なきまでにたたきつぶしておこうかと思います。こっちがたたきつぶされるかも知れんけど。

 

松平郷入口広場の駐車場を本陣に、まずは松平城を攻め落しておこうかと。駐車場のすぐ横に松平城址の案内板があります。関係ないけど消火栓もあります。

 

飛び出し坊やもありますこれは坊やじゃないね。先に看板見えてるとこに登城口があります。

 

 

登城口には説明板や杖があって親切です。

 

 

登城口の説明板

 

 

廃城になったのは諸説あり定かではないとある。

 

 

縄張図を拡大。1が主郭で、その西に三段の細長い郭2、3、4が配されてい、西部の他は総て急峻な斜面で、主郭山腹に北から南にかけて空堀が巡らされている。ただ、空堀は藪なために未確認。

 

攻城開始。

 

 

いきなり左右に分かれます。左は主郭、右は曲輪4。まずは右に折れ曲輪4へ。

 

 

通路はそこそこ整備されてます。

 

 

お供えもんがしてあるということは社殿であろうか?右上に上がって行くと郭3ですが、この建物の正面の郭4へ。

 

郭4(標示は曲輪4) 再奥部が高くなってるのは、説明板によると櫓台であると思われると。

 

 

ヤマモモの木がありました。実がなってたら試食しようと思ったが、まだ早いようで。

 

 

櫓台では何かが倒壊していた。

 

 

曲輪4の虎口でしょうか、切り通し道を城の南側へ下って行くと井戸跡があるようなので行ってみます。

 

立派な井戸跡碑がある井戸跡は立派なシダに覆われいた。

 

 

社殿の横を上に上がり、曲輪3 尾根を削平した細長い曲輪です。

 

 

曲輪2へ

 

 

クイッと折れ曲輪2の虎口。

 

 

曲輪2

 

 

クイックイッと主郭へ。

 

 

主郭

 

 

曲輪2から上がって来たクイックイッを見返す。

 

 

俗にいう本丸を日本の中世考古学においては主郭(しゅかく)と呼称される。因みに一文字では郭(くるわ)と読む。

 

三河松平城 撮ったったど~ビックリマークビックリマークビックリマーク

 

 

家康から数えて8代前である松平氏始祖である親氏は、徳阿弥と名乗り諸国を行客、と言えば聞こえがいいが、ただの放浪坊主が松平郷へやってきた。この地の領主である松平太郎左衛門の客人となる。太郎左衛門は徳阿弥の和歌に通じた教養と武勇を評価し婿養子とする。と言えば聞こえはええが、実は太郎左衛門の娘を孕ませてしまったようで、徳阿弥は還俗して松平太郎左衛門尉親氏と名乗ったという。しらんけど

 

主郭を奥から。

 

 

大した特徴もなく簡素な山城でした。

 

後に天下人となった徳川氏の発祥の地というだけで感触深いものがありま・・・すね zzzぐ~

 

 

以上、松平城でした。

 

 

 

 

21/04/10

 

 


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