美作に侵攻してくる毛利に備えるべく、恐るべし宇喜多直家が家臣・花房職秀により築かれた山城

 

美作・荒神山城 その2

 

 

登城道から西に延びる郭を通り、主郭部の西にあたる西曲輪への枡形虎口から曲輪内へ入りました。

 

曲輪内部ですが、あまり整備されてないんですよね。

 

 

曲輪の周囲には土塁が巡ってます。看板は字が消えちまってます。

 

 

この土塁には折れ(横矢)が付けられており、その折れの部分ですがぁ、反対から写したらよかったかな、分かりにくい?ちょっと失敗。

 

土塁の上には必ず乗る。

 

土塁

 

 

西曲輪から主郭へ向かう。左に行くと(北側)金蔵の段という曲輪があり、それを経由して北曲輪群へ。まずここはは直進して主郭を目指すことに。

 

左上方向が主郭で城塁がチラ見。右は南曲輪

 

 

おおっ!? どっかで見たことあるような光景。しかし石垣ではない。

 

 

主郭の城塁(切岸)はなかなか雄大。文禄3年(1594)宇喜多氏時代に廃城になっており、石組みされた井戸、枡形虎口などを用いてるとこからして織豊系の特徴を出しているが、石造りの城にありがちな帯曲輪に崩壊した石垣のゴロゴロ石がないとこからみて、この城塁には石積みされてなかったものかと。

 

主郭回りには帯曲輪が巡っている。こちらは南面。

 

 

ちょっと窮屈な西面。

 

 

城塁には所々石が顔を覗かせている。部分的には石が積まれていたのかも知れんね。石に問いかけるも石は何も言わない。石の声を聞く人がいるが、わしには聞こえん。どこかで人の声が聞こえると思ったら。南曲輪に城攻め足軽がいた。

 

帯曲輪を反時計回りで一周。これは東側。

 

 

北側。

 

 

一周しても主郭へ上がる明瞭な虎口がなく、南面に真っすぐ上がって、クイッと右に折れる感じの通路らしき道があったので、そこから主郭へ。

 

主郭 草が多い印象。

 

 

主郭 西から。眺望も良くなさそうな印象。手前の木が・・・目 

 

 

主郭 東から。奥に何か・・・目

 

 

こ、荒神山城 たおれるど~あせるあせるあせる っていうか、すでにブチ折れてるしあせる

 

 

主郭には礎石の石であろうかと思しき石と瓦片がボロボロと。往時は瓦葺きの建物があったという証なのですが、実はこの城の後に攻めた城の頂上で出会った地元の人が、津山の歴史に詳しく 少々助け船を出したが、その人の話によると、荒神山城の主郭部には元々寺院が建っていて、その寺院の瓦が散乱してると言うてた。しらんけど。とは言うてない。

 

眺望はこれが限界。

 

石垣の声が聞こえるようなはてなマーク

 

探してみよう。

 

 

その3に続いてしまいます。

 

 

 

 

 


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