猿岡城から下山し、お参りしました。

 

和歌山県紀の川市粉河

風猛山 粉河寺(ふうもうざん/かぎらぎさん こかわじ)

 

創建 宝亀元年(770)(奈良時代)

開基 大伴孔子古(おおとものくじこ) (紀伊国那賀郡に住む猟師)

本尊 千手千眼千音観世音菩薩(観音菩薩の変化身)

西国三十三所第三番札所

 

天正13年(1585)、秀吉の紀州征伐に遭い、根来寺や雑賀衆とともに抵抗したものの全山焼失し、猿岡山城も陥落しちゃってます。

まあこれは「小牧長久手の戦い」で家康に協力して岸和田城を急襲し、大坂への侵攻も伺ってたりしてたもんで、秀吉も黙ってはいられられないという訳で。

 

恐るべし秀吉。

 

 

大門(重文) 宝永四年(1706) 粉河寺正面入口になります。

 

 

      

金剛力士像。仏師春日(奈良の優れた仏士)作と云われる。

※ 金剛力士とは仁王さんとも呼ばれ、仏教の守護神です。寺院の表門にいることから、仏敵が入り込むことを防ぐイカツイ守護神です。

 

左下の大門から川沿いに本堂までぶらぶら歩きます。右下の秋葉山が粉河城の山。

駐車場を管理している店屋のおばちゃん良くしゃべる(二回目)

 

不動堂 弘法大師爪彫の不動尊を安置。おーっ!つ、爪で彫ったの! 

※ 弘法大師とは空海のことやね。平安時代の初期に中国から真言密教をもたらせ真言宗の開祖。

 

童男堂 延宝7年(1679)の建立とされ、童男大士が本尊として祀られている。

※ 童男大士とは千手千眼観世音の化身。千手千眼観世音とは千の手と千の目を持つ観音さんやね。

 

格子塀の隙間から見る童男大士が出現したと伝わる池。左に童男大士の像があるが切れてしもてるあせる

 

お釈迦様の足跡である仏足石。文久3年(1863)作。新しいな。 紋様は千福輪相を表している。

※千福輪相とは、仏の備えている三十二相の一。足の裏にある、千の輻 (や) をもつ車輪の形の文様。

※ お釈迦様とは北インドに歴史上に実在した人物で仏陀、仏教の開祖ですわ。

 

念佛堂 阿弥陀如来を安置。江戸時代後期建立。 

※ 阿弥陀如来とは仏教において、修行をして悟りを開き如来になったとされる仏さんです。

※ 如来とは悟りを開いた人のことをさした言葉です。人も悟りを開けば如来になり得ると信じられてるんです。悟りを開く直前の修行中の人を菩薩と呼ぶ。わしのような人はガサツと呼ぶ。

 

太子堂 聖徳太子を祀る。

※ 聖徳太子とは10人の話をいっぺんに聞いたスゴイ人。

 

粉河寺阿弥陀如来座像 文久二年(1862)作。

 

 

中門の前

 

 

中門(重文)前に立つ。写っているのは悟りを開いたわしではない

 

 

天保三年(1832)建立。風猛山の額は紀州十代藩主・徳川治宝の直筆。

 

 

中門を過ぎ本堂前の一段低い場所にある石組みは粉河寺庭園

 

 

枯山水鑑賞式蓬莱庭園と呼ばれるらしい。上田宗箇の作庭と伝わる。

※上田宗箇とは、剃髪前は上田重安といい、丹羽長重の家臣のとき、本能寺の変の際に大坂で織田信澄の首を挙げ、紀州浅野氏家臣の大坂夏の陣では塙団右衛門の首を挙げたりしているなかなか武断派な武将。千利休、古田織部に茶道を学び、茶人、作庭家としても業績を残した。紀州浅野家に仕えてるときにこの庭園を作庭したと云われる。

 

本堂(重文) 享保五年(1720)に再建。

一重目の礼堂正面には千鳥破風に唐破風を、二重目の正堂の屋根には唐破風を備える。

※ 千鳥破風とは、屋根の三角形の破風。唐破風とは、ふにゃっと丸みのある破風。

 

本堂の説明

 

 

本堂を左斜めから。礼堂と正堂が複合している複雑な造り。

 

 

本堂を右後方から。

 

 

本堂の下。

 

 

本堂の下。

 

 

本堂左に建つ千手堂。(重文) 宝暦10年(1760) ご本尊は千手観音立像

 

 

本堂右に建つ六角堂。享保5年(1720)建立。33体の観音像を祀る。

 

 

本堂右に建つ鐘楼

 

 

身代り地蔵 人の辛き思いを身代りになり引き受けてくれる。それも笑顔で 笑い泣きなんとおやさしい~

 

 

箕面名物はモミジの天ぷら。これはモミジのプロペラ。

 

 

 

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本日もご訪問頂きありがとうございました。

 

 

 

 


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