緊急事態宣言解除され、ようやく遠征に出かけれるようになったわけなんですが、

ワタクシ基本鉄馬車での出陣で、どうしても高速道路を使用する率が多いのです。

駄菓子菓子!10月31日まで休日割引の適用除外を延長するという。

解除されて人が動くの分かっとるのに。

今までの分ちょっとでも回収しようって魂胆かいな?セコイやっちゃなほんまに。

ほな、こっちも考えさしてもらいますわ。

夜間割引は継続してるので、夜間に出陣ですわ。眠たいけど

近くまで行って寝よ。

 

どうせ帰りは通常料金やけどな笑い泣き

 

 

どこへ行くか悩んだ挙句、いつもの岡山きび団子県へ。

 

 

岡山県高梁市成羽町

備中・鶴首城(かくしゅじょう) 別名:成羽城(なりわじょう)

 

鶴首城は平安時代末期に河村四郎秀清(源頼朝の奥州征伐で功を上げた相模の御家人)が築城したと伝えられている。

本格的に城郭を整備拡張したのは天文2年(1533)、星田を本拠としていた備中の戦国大名、三村家親で、拠点を鶴首城に移した家親は、勢力を拡大した。

永禄4年(1561)三村家親、元親父子は、本拠を備中松山城に移した。その後は一族の三村親成、親宜父子が城主となった。

永禄9年(1566)恐るべし宇喜田直家によって家親が暗殺されると、備中兵乱が激化した。元親は織田信長に味方し、これに反対した親成父子は三村一族から離反して毛利氏に味方し、鶴首城主には三村親重が城主となった。

天正3年(1575)毛利軍により攻略され鶴首城は落城、城は再び親成、親宣父子に安堵された。しかし元親の毛利氏からの離反を止められなかったため、所領を削減された。

慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの功績により成羽の地で7千石を得た岡家俊(宇喜多氏家臣、宇喜多騒動後に家康の下へ)が入城した。だが慶長19年(1614)大坂の陣で家俊の長男・岡平内が大坂方に味方したため、大坂落城後、家俊は切腹させられた。

元和3年(1617)、成羽に移封された山崎家治(池田氏と縁が深い)が入部したものの鶴首山麓に成羽陣屋を築いて入ったため、鶴首城は廃城となった。

 

鶴首城は成羽陣屋跡地に建てられた成羽美術館後方の鶴首山にあります。これは陣屋大手門跡で美術館入口となっています。

 

陣屋跡隣にたいこまるプラザという複合施設もあり、本陣を構える広い駐車場も完備。この苔っぷりバツグンの陣屋石垣の横を裏の山側へ抜けて行きます。陣屋の石垣は下山してからゆっくり見よう。

 

たいこまるプラザに観光案内所があるんですが朝早くて閉まっていました。なので正面の事務所?に足軽が居たので「鶴首城のパンフかなんかありますか?」と尋ねると、 「 え~と、ありますありますアセアセ」と、ちょっと慌てた感じで何かの冊子を印刷し、束ねたのをいただきました。

 

グラサン 成羽てええとこやの~ビックリマーク

 

 

陣屋の裏へ。

 

 

美術館の裏手の低石垣の横矢が掛かったドンっドンっビックリマークを見ながら少し歩く。

 

 

道案内あり。

 

 

美術館隣の小学校の裏辺りに登城口。

 

 

登城口辺りから町方向の景色。今時の小学校には相撲部があるのかはてなマーク

 

 

登城口に案内板とパンフボックスがあります。横に見えてるのは、古タイヤにつかまって坂の上から宙に浮いてビューンと行く、ちょっとアスレチックな遊具。名前は分からない

 

劣化ぎみの近隣地図。てくてく文化ロードが、この後恐怖のくたくた文化ロードになることを今は知る由も無し。

 

一枚ずつお取り・・・できねービックリマーク 蜘蛛の巣しか入ってね~ビックリマーク

※ 「づつ」か「ずつ」、「ずつ」が正しい。

 

登城道は整備できてね~ビックリマーク

 

 

笑い泣き わいはこんなとこ歩きとうないんじゃ~!? 

 

 

所々で見える景色。

 

 

東屋があります。まだ休む気はないけど、景色は見えるのかなはてなマーク

 

 

うぎゃ~!? は、蜂の巣やんけ~!! スズメバチちゃうんか~ビックリマークビックリマーク景色どころやないわあほがぁビックリマーク

 

刺激しないように大急ぎでその場を立ち去るも、行く手を阻む激草の道あせる

 

 

蜂は追って来る気配はなくて安心、人が通った形跡がないので少々不安あせる

 

 

やっと激草道から林道となる。帰りも激草道を通ることを考えるとやな感じダウン そしてやな感じ的中!

 

 

またもや現れた恐怖の東屋あせる

 

 

東屋には近寄らないで、縄張図だけ撮影。この東屋に太鼓丸休憩所と表示板があるので、ここが太鼓丸のようです。

城は比高250mの鶴首山に築かれ、七つの郭から構成される連格式山城です。北東の二の丸と表記されてる先に出丸があります。

 

こちら事前に画像をお借りして手持ちにした縄張図。左上から登城し太鼓丸を経て、現在は尾根筋に出た所。まずは上方(北東)にある出丸攻略に向かいます。

 

土道で歩きやすい。

 

 

激坂で歩きやすくないえーん

 

 

わしはまだ倒れんぞえーん

 

 

ここまで30分強。稜線に出たようです。

 

 

稜線を右折すると本丸へ。あと500m!? もある。

 

 

左折すると出丸へ。キツそうじゃない?

 

 

やっぱキツいあせる 

 

 

うぎゃぁぁ!? 木の蔓やったイヒほっ

 

 

出丸帯曲輪部に到着。正面は開口してそうな感じで虎口かも?石がゴロゴロしてるのは城塁の石積みが崩れた石のようです。

 

帯曲輪へ上がって来た虎口を上から見たとこ。凹ってます。

 

 

石で囲いがしてある、井戸跡かはてなマーク 

 

 

曲輪部側面に石積み跡。

 

 

イイ感じで残ってる場所もあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

出丸上部。

予想してたが那田蜘蛛山の如く蜘蛛の糸攻めに遭う。糸に引っ絡まって宙吊りにされんか気が気でなかったわ。わしは全集中荒い呼吸しかできんしのう。スンマセン

 

これ以上行ってませんが、北西尾根には小さな段曲輪が続きます。

 

 

出丸北側の切岸

 

 

石の残存率からして主郭部も期待できそうな感じですが、

その2へ続いてしまいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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