年末の城攻め第3弾。

岩倉城から東へ移動すること3㌔くらい。

美馬市脇町へとやってまいりました。

 

徳島県美馬市脇町

阿波・脇城(わきじょう) 別名:虎伏城

脇城は戦国時代に脇権守という人物が館を構えたのが始まりであると云われている。天文2年(1533)三好長慶(信長より前の天下人)が改修し、三河守兼則が守護した。三好氏時代には武田信玄(御屋形様)の異母弟とされる武田信顕が城主となったが、長宗我部勢に攻められた際に降伏しています。落城した後は長曾我部親吉が守ったが、天正13年の羽柴秀吉(人たらし)の四国攻めに際して、羽柴秀次(殺生関白)の軍に屈して降伏、開城した。

蜂須賀家政(小六の息子)が阿波国の領主となると、支城群阿波九城の一つと位置づけられた。家政は特に脇城を重要視し、家臣団の筆頭である家老の稲田植元(客分的扱いの蜂須賀家筆頭家老)に1万石を与え、城代として置いた。

寛永15年(1638)一国一城令により廃城となった。

 

※ 武田信顕(たけだのぶあき)―武田信虎(信玄の父)の庶子という伝承あり。幼少期に晴信(信玄)と家臣団により駿河国に追放された信虎の元で養育されたと思われるが、弘治2年(1556)3月に三好長慶の計らいにより、大和国から招かれて脇城主となった。(wikiより)

 

脇城近くまで車道が通っているのですが、道路状況が芳しくないという。マップで調べると山麓にも本陣を敷くような場所がなさそうなので、「道の駅 藍うだつ」に着陣し、ここからテクテクと徒歩にて行軍することにしました。お食事処もあるので戦前に腹ごしらえするつもりであったが、お食事処は休みであったえーん水曜日定休日だってよ~

 

うだつの町並を通過して行きます。

 

 

うだつの説明。美濃・小倉山城の近くにもうだつの町並みがあったな。行ってないけど

 

 

目指すは秋葉公園

 

 

秋葉公園まで来れば秋葉神社への石段を上がります。神社後方やや左が城跡になります。

 

 

秋葉神社。御祭神は火之迦具土神(ヒノカミツチノカミ) 注)ヒノカミカグラとは関係ない。
火除けの神さんやけど戦勝祈願しときました。

 

秋葉神社の前の道を上って行く。道は舗装されてるが道幅セマセマ、石がゴロゴロ、落葉がモサモサ、所々に木の枝も落ちている。鉄馬車で来なくて良かった。

 

道を歩いてると堀切はてなマーク ちょうど車幅ほど削られてるので作業者用の通路かもしれん。

 

 

通れそうなので行ってみた。

 

 

堀切かもはてなマークを通って来るとここに出た。北側から秋葉神社方面の南まで道が通ってい、どちら側からも鉄馬車でここまで来れないこともない。勇気のある武将は来られるがよい。登城口はこの先にある。

 

城跡を示す看板あり。ここが城の入口となります。

 

 

看板のとこから突入すると切通し道になるが、轍跡があるのでこれも拡張されたようですね。

 

 

道の横は削平地がありますが後世の畑跡な感じ。

 

 

少し行くと右は竹藪。土壇状になり虎口跡のようでないようで・・・

 

 

!?

 

 

竹藪を突破すると先が開けた。その向こうに・・・はっおーっ!!?

 

 

これはないないぼけー 一瞬諸手を挙げかけたが、肩がつるので下げた。段上は畑です。

 

 

道へ戻り進むと土塁(南側)

 

 

道の北側にまたもや土壇があり、どうやらこれは東の郭のようです。正面が虎口であるようなないような。ここには突入せず。

 

東の郭を右に見、道を進むと土橋が見えてきた。

 

 

土橋

 

 

土橋が架かる横堀はなかなか大規模である。右が東の郭、左は主郭。

 

 

土橋を見返す。

 

 

土橋を渡ると主郭です。桝形であるようでないような。正面は土塁になっており、左右に行けそうなので、まずは左に行ってみる。

 

土塁には石がゴロゴロ。土塁から崩れ落ちた感じです。

 

 

土塁を回り込むと荒れていたあせるこれ以上進めず。かろうじて土塁は確認できます。

 

 

土橋を渡った所へ戻って右側の虎口

 

 

主郭にある井戸

 

 

しっかり石組みされてます。底には水も湛えられてました。柵がないので落ちないようにしましょう。夏場はもっと草が覆いかぶさってるので山城での井戸には注意しましょう。

 

井戸の先の土塁。

 

 

主郭

 

 

主郭には土塁が巡る。

 

 

主郭から横堀の方を見ると通路らしきものが見える。

 

 

横堀を渡る土橋でした。東の郭へ行けるようですが、青竹が行く手を阻んでそうなので、行かない。

 

主郭の西側はスロープ状になっています。

 

 

スロープ下にこれまた迫力ある土塁に横堀が見える。

 

 

高い土塁ドーンビックリマーク 深い横堀ボーンビックリマーク

 

 

土塁には上る、横堀には下りる。

 

 

横堀から見る主郭方面。右上が井戸があった所。

 

 

因みに、城跡からの眺望はまったく効かず。これは途中の車道から。

 

郭はヤブヤブですが、見所は2本の土橋(1本は細くて青竹豊か)、迫力ある土塁、横堀、あと井戸といった所でしょうか。あまり期待してない城跡でしたが、実際攻めてみるとなかなかやるではないか。願わくば、お城のお手入れお頼み申す。

 

また、よもやよもやの御屋形様の弟君が阿波国にいらしたとは意外でしたね。この城に武田菱が翻ったかどうかは分かりませんが、御屋形様の弟が守備してたことを偲ぶと感触深いものがございます。ほんまかどうか知らんけど

 

帰りもうだつの町並を通ります。

 

 

ボンカレーが食べたくなった。

 

 

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21/12/30

 

 

 


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