年末の城攻め4城目。
脇城・うだつの町並から吉野川に沿って東進し吉野川市へ。
徳島県吉野川市川島町
阿波・川島城(かわしまじょう)
川島城は元亀3年(1572)に三好氏の家臣であった篠原長房が滅ぼされた後、その功績によりこの地を与えられた川島兵衛之進(川島惟忠)(三好長慶の甥)が築いたとされる。駄菓子菓子!天正7年(1579年)、長曾我部勢が岩倉城に攻めよせ、脇城外の戦いにて三好勢は全滅する。この合戦で川島惟忠も討死する。
天正13年(1585)には蜂須賀家政の家臣である林能勝(木曽義仲の子孫)が城主となる。
駄菓子!一国一城令により寛永15年(1638)に廃城となる。その跡には徳島藩の奉行所が置かれ、明治になるまで存続しました。
現在は川島公園として整備されており、二の丸跡に1981年に観光用に模擬天守(レストハウス川島城)が建設された。
そうなんです。公園として整備され、近隣もかなり改変されたので遺構は何も残らず、ご立派な複合式望楼型3重4階RC造模擬天守(1981築)しか建っていません。
天守台石垣には徳島原産緑色片岩?のようである。
高台に建ち展望が良さそうなので天守内へ入ってみよう。北側に流れる吉野川の日本一大きい中州とやらも見えるやろからに。
摸擬天守正面。どこかの城に似てないでもないが、なかなか畏怖堂々と建っている。
ただ、辺りに静けさが漂う。戦の前の静けさではなさそうだ
扉は永遠に閉ざされていたのであった どうやら耐震基準が満たされてないということで、2019年3月で閉館したようです
しゃーないので模擬天を角度変えて撮る。
裏(北)から。この後方はテニスコートになっており、写真撮ってたらテニス足軽から変な目で見られたのは気のせいか
城の事を調べているうちに知らなかった武将の繋がり情報が出てきたりして勉強になる。前の脇城では御屋形様(武田信玄)の弟。この川島城では木曽義仲の子孫ときた。ただ、あっちこっちの城の情報が頭に詰まりすぎて抜け出てしまうのが難である。
御屋形様なのに札幌らーめんになってるし
めっちゃ歩いたし
オチは1つでええか