(後編)も 近江・大森城で遊んでもらいます。

 

 

南上段に主郭、二の曲輪を置き、北下段に3つに区画された三の曲輪を配し、周囲に土塁を巡らせ、北と西に虎口を設けてます。今編では東側の土塁から三の曲輪へ突入したところからスタートします。

 

三の曲輪(東から) すり鉢状に削平され構築されています。

 

 

前編で見た北虎口を郭内から。直通ですね。

 

 

三の曲輪西部。

 

 

柵がしてなかったら恐怖の井戸。コケコケで見難いが石組みされてそうです。底には水は湛えられてました。

 

蔀池(落とし穴) 蔀(しとみ)とは、外部から見えないように隠すという意味である。池というからには溜池だと思いますが、実際に落とし穴にしてたのかは不明?敵が落ちたら儲けもん。見方が落ちたら笑いもん。わしが落ちたらどざえもん。

 

細尾根土橋終点の堀切道から続いてる西虎口。虎口外側で一折れしてました(撮り逃す)。右は蔀櫓台

 

虎口から見て人形が隠れてるから蔀なんでしょうか?見えてるけど

 

 

蔀櫓台から向こうは前編で歩いた曲輪を巡る土塁。

 

 

西虎口から三の曲輪を見る。そして右奥のスロープ状が珍しき登り土塁

 

 

三の曲輪内にあるという珍しい登り土塁、または竪土塁、または仕切り土塁、または土の坂道ドーン これはなかなかのド迫力。曲輪の仕切りの役目、また上が二の曲輪であることから通路の役目も担ってたようである。

 

登り土塁、上から見れば下り土塁。

 

 

登り土塁を登れば食い違い状になった虎口。

 

 

翳し虎口(かざしこぐち)と呼ぶらしい。なんでも人が腕をかざして相手から顔が見えない構造になってるとか。顔は見えると思う

 

翳し虎口を抜けると二の曲輪。左は主郭との仕切り土塁。奥の人形の所が主郭への食違い虎口。

 

やや右を見て二の郭 に立つ人形。

 

 

二の郭南はウスウス土塁からの切岸。竪堀か竪土塁が落ちてると思いますよ。実はよく見てない。

 

二の郭から主郭への食違い虎口。う~んあせる

 

 

主郭(本丸)

 

 

本丸人形撮ったど~!!

 

 

主郭土塁(西側)

 

 

主郭南側土塁。

 

 

南の物見櫓台に立つ人形。

 

 

わしも南の土塁に乗る。

 

 

これも縄張図には載ってないですが、主郭から三の曲輪へ落ちる竪堀

 

 

竪堀を正面から。

 

 

東端で前編で歩いた三の曲輪を巡る土塁と繋がっていました。

 

珍しい登り土塁といい見所多く、整備状態も良好です。常に木の人形の視線を感じる面白い城跡でした。願わくば最初の細尾根土橋と畝掘を史跡認定していただければ幸いです。遺構ならばね

 

 

我土塁を通って退却せり。

 

 

 

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現地調達の登城記念符

布施氏は本家筋である三河守家、分家である淡路守家の二家があり、淡路守家の布施氏が大森城を居城にしていたようである。布施氏の家紋は不明であるが、この朱印は六角氏の家臣であったことから佐々木六角氏の紋である隅立て四つ目結を採用している。んだもん!

 

 

またあお~ あっ たまお真顔

 

 

 

 

 

 

22/12/28