母が遠く日本から海を越えてこちらにやってきてから、

早くも5年が経ちます。

その間、

本人の拒否反応が強く出ていたり、

3男が天へ召されたりと様々なことがありましたが、

なんとかまだ日々を送ってオリます。

良いも悪いも、

我が家には今も昔も

様々な刺激が日常的に起こっているので、

彼女の脳への活性には悪くはないのかとは本気で思っています。

 

こちらに来てからすぐに買い求めたタブレットも

母の大事な生活必需品です。

しょっちゅう「ダメになった」だの「消えちゃった」だのトラブル?はあるのですが、

一人でもツンツンしながらなんとかYOUTUBEを見たりもできるので、

それが彼女には1日の重要な時間となっていて助かります。

 

そんな母が突然何かブツブツ言い始めました。

イヤフォンをしているので、こちらはわからないのですが、

何か歌をうたっているようなのです。

聞けば、偶然のことながら『日本の歌のメドレー』の動画にあたったらしく、

それに合わせて口ずさんでいるようでした。

その昔、宝塚を受験(しようと)した?という母なので、

父が生きている時も一緒に歌うのが大好きでした。

そして何よりも音楽は心の健康には必要なもので、

そういった環境が少しでもできるのには私も嬉しく思いました。

 

私の耳にも懐かしい日本の唱歌が聞こえる(母の声でね(^_-)-☆ )中、

何曲目かに静かな曲になりました。

浜辺の歌でした。

今でもすらすらと歌詞が出てくるほど馴染みのある歌ですが、

擦(かす)れてはいるけれども喉の奥から搾り出しているような母の声を聴いていたら、

なんだか胸が熱くなってしまいました。

 

あした浜辺を さまよえば
昔のことぞ しのばるる
風の音よ 雲のさまよ
寄する波も 貝の色も

ゆうべ浜辺を もとおれば
昔の人ぞ 偲ばるる
寄する波よ 返す波よ
月の色も 星の影も

 

 

1世紀近くを生きてきた母の語る昔

彼女が歩いてきた歴史の証

そんな重みがひしひしと伝わってきた感じでした。

私とは 機能不全親子として複雑な過去がありましたが、

何もかもなくして無一文で90才を目前に異国に渡ってきた母は

様々な葛藤や問題を抱えながら今日まできました。

日々の介護は一筋縄ではいかない部分が多くあるものの、

母の神経経路が繋がっている時には

心が通い合うことも最近はあります。

私にとっては生まれて初めて 母との絆が感じられたりもするのです。

これも 私が恨みを抱えたまま人生を終えることのないようにという、

天の采配だったのかもしれませんね。

 

 

浜辺の歌に関しては

興味があって調べてみたら、

この歌には三番があることがわかりました。

 

 

はやちたちまち 波を吹き
赤裳のすそぞ ぬれひじし
やみし我は すでに癒えて
浜辺の真砂 愛子(まなご)今は

 

 

なんとこの歌は、

会えない子供を想っている歌だったのですね。

生き別れか死別なのか、状況はわかりませんが、

子供の面影を探して海辺を彷徨っているのであろう母親のイメージが見えて、

これまた不思議な縁を思いました。

 

 

私の母もまた、

自分の子供を逆縁で二人も亡くした親です。

いつか天に還るときには、

彼らとの再会が待っていることでしょう。

そしてできれば、前からお願いしておいた私からのメッセージ、

孫である『3男へのハグ』をも忘れないでいてほしいなと

密かに願う私なのです。

 

 

 

  自死遺族・死別       

 

今日の命に感謝