こんにちは、えすみんです。
前から行きたかった坂本龍一の展覧会に、先日ようやく行ってきました。とは言え、行ってからすでに2週間が経過してます😁
混むという話だったので、日付指定券を購入して。
それでも行くと、入るまでに40分と表示。当日券を買うのは20分とあり、先に券を買っておいて、良かった〜。
音を視る、時を聴くというタイトル。
タイトルから、音の視覚化という観点で、聴覚障害者(耳の聞こえない)が音を視て、どのように音を感じ、楽しむのか?というようなことを想像していました。
その想像が間違いだったのでしょうね。。。
展覧会は、あれだけ楽しみにして行ったのに、正直なところ、期待外れでした。
格好いい演出が多く、あれで満足する方も数多いだろうと思う。展示方法も近代的だし、映像を駆使しているし、その辺は理解というか、良いと思う。
しかし、これが本当に坂本龍一なんだろうか?
いや、坂本龍一のことを私は詳しく知っているわけではないけど、この展覧会が本当に坂本龍一が思い描いていたものなのだろうか?と。
よく知らないのに批判してるんじゃねーよと言われる覚悟で(^_^;)
先に書いたように、音を視るってどういうことだろうと考え、私が思っていたこととはかけ離れていたように思う。
自分の考えと違ったから、期待外れなんだろ?という批判も甘んじて受けます。
映像と音楽の組み合わせが多かったから、その点で言えば、音を見ているのかもしれない。しかし、ドラマや映画やアニメだって、映像と音楽の組み合わせには違いない。でもそれらは音を視ているわけではない。
2番目の展示作品は、映像に音楽があり、詩的な言葉もあった。言葉に関しては、英語と中国語?がタイプライターのように、映像として現れたが、日本語がなかったのは正直残念だった。日本語は朗読?されているからいいんだろうということなんだと思う。
でも、個人的に音を視るという観点からすると、日本語も字幕を付けるべきだと思う。
そもそもこの展示は、映像に音を当てているのか、音から映像を当てているのか。。。
音を視るなら、後者であって欲しいが、どっちにしろ残念だった。
他の展示、作品も概ね似たようなものだったと思う。
途中、眠っている多くの人の映像をひたすら視る展示があったのだが、今回の作品の中では1番意味不明な気がした。
わかってないのは私だけなのかもしれないが。。。
眠りというものに音をあててるわけでもないし、かと言って、眠っている時間を感じ聴くというのでもない気がした。
一体何を見せられてるんだろうという。
しかもこの上映は、15分おきくらいだったので、見るためには並んで待つ必要があったし、また見るための座席があるわけでもなく、カーペットの上に直に座る必要があった。
膝を痛めている私は、座ることができなかったので、1番奥の壁際に立って見た。それでも1番後ろではなかったので、私の後ろの方は嫌だったかもしれない。
こういった展覧会がバリアフリーでない(しかも入ってからしかわからない)のはつくづく残念に思う。
係の人に言ったら、椅子があったのかもしれないが。。。
カーペットに直に座るのが嫌な人もいるだろうなとも思った。
天井にある水と霧の箱に音とライトをあて、床に映る波紋やら風紋やらを楽しむという展示があった。
確かにキレイだし、いろんな形ができるし、カッコイイ展示ではあるが、1つの部屋で9つの箱があるんだけど、どれも同じっていう。
厳密には違うんだけど、なんというか、1つの部屋で流れてる音は同じ気がしたんだよね。
例えば、この音ならこれ、この音ならこれみたいな違いがあればもっとおもしろいと思う。
音によって波紋が違うのは、周波数の違いもあるし、そこは理解している人も多いはず。でも、実際にその違いを目にする人って少ないんじゃないかな。
そう考えたら、なんとなく9つも箱があるのにもったいないと思うんだよね。
ジャズの箱、演歌の音、クラッシックの音、POPな音、日常の音とか、なんかそういう違う音で波紋や霧の形とかも変わるのかな?っていう方が音を視ている気がするんだけどな。
私の考えの方が浅はかなのかもしれないが。
自分が多少難聴であることも踏まえると、展覧会全体を通しても、音を視るということが乏しかったように思う。
映像にただ音を当ててるだけという印象が強い。
坂本龍一が覗いていたと思われる窓から感じる日常の音というような展示もあったが、ん?という感じ。
コンセプト的にはわからないわけではないが、やっぱり残念な気がしてならない。
最後の最後で、坂本龍一がピアノ演奏をし、そのピアノの音がいろんな図形になって、表示されるというのがあった。
これよ!
これが音を視るだと。
大小の異なる四角や丸、早く流れる矢印、図形が円の描いたりとか。
以前にどこかで催した再演とありました。
映画『陽の当たる教室』を観たことあったらすごく理解できると思う。
音楽教師の息子が先天性難聴で、どうやって音を聞かせるか、音を感じさせるかを試みるコンサートをする。
3色の光を付け、音の強弱やテンポの違いで、光を点滅させたり、スピーカーの上に座って、振動を体で感じたり。
この映画は結構前の映画だから、今の技術ならもっと違う音の魅せ方があると思う。
陽のあたる教室のことは昔にもチラッと書いたことがあります↓
YMOでシンセサイザーを使った坂本龍一なら、と期待が大きすぎちゃったゆえの、がっかりした展覧会でした。
ご存命だったら、もっと違った展覧会になっていたかもしれません。
坂本龍一のメモとかも展示してあり、それを見ると、音を音楽を言語化するのがすごく上手いんだなと思いました。
こういう言語化も、音を視るということなんだなと。
単なるトリビュート展ということなら、この展覧会で良かったのかもしれないな。
音を立体的に展示しましたみたいな文言や、サブタイトルの音を視る、時を聴くがなければ、悪くない展覧会だったと思う。
そう思ったのは私だけかもしれないが。
音を視る、時を聴くというサブタイトルがなかったら、そもそも見に行かなかったと思うので、ただ個人的にただがっかりしたということかもしれません。
以上、展覧会の感想でした。