結弦くんを北京へと導いたのは... | 君の見ている風景 〜羽生結弦選手応援ブログ〜

君の見ている風景 〜羽生結弦選手応援ブログ〜

魅了されたきっかけは2011年GPFの悲愴&ロミオ。
何年経っても変わらない羽生結弦選手のスケートに対する情熱に今も惹かれ続け、心から応援中。

今日も地道に全日本の結弦くんの言葉の
振り返りを〜


全日本一夜明け編(1)より
書いていきますね


本日は「自分で描いていた4回転半成功への
スケジュールはから、
最後の4回転半は一日何本までと
決めているのかまでを


結弦くんのインタビューの内容については
こちらのスポニチさんの記事を参考に
確認してみて下さいね




「4Aは正直平昌の次のシーズンで
降りられると思っていた」


うん、結弦くんはそう思っているんだなって
私も思ってました


でも結弦くんの様子を
しばらく見ていくにつれて、
思ったよりも完成まで時間がかかる??
と思うようになり


そう思っていたら、
そのうちプログラムの中で
4Aを流れるように入れたいという
結弦くんの想いを聞き...


4S投入の時を考えても
降りてからプログラムに入れて
安定するまで2年はかかっている訳で


なので、正直言うとかなり早い段階で
結弦くんの北京はあるかも...と
思っていた私です


ただ、オリンピックへのモチベーションが
全く見えてこなかったので
どうなんだろうなあ...とは思っていたけど、
こんなドラマのような展開になろうとは
( ;  ; )


で、この展開に私は最初は
オリンピックさんはどれだけ
結弦くんが大好きなん?(*´꒳`*)
とか思ったり


平昌直後には既に4Aが結弦くんを
北京へと導いていたんだ...と
思ったりしていたんです


だけど「次のシーズンで降りられると
思うくらいアクセルには自信があった」


この下りを読んでみて
結弦くんの3Aに対しての自信が
4Aへの挑戦に繋がっているんだよなあ...


この絶対的な自信がなかったら、
結弦くんは4Aを挑戦せずに
平昌で引退していたよね...って


結弦くん本人も4Aの存在がなかったら
引退していたって言ってたから...


それを考えると
結弦くんを北京に導いたのは4Aではなくて
3Aなんじゃないかなって思ったんです


3Aは言わずとも
ずっ友さんとして結弦くんに
いつも寄り添い、支え続けてきた存在


結弦くんを世界へと導いたのも、
ここぞという時に助けてくれたのも、
3Aの存在が本当に大きかった


3Aこそが
結弦くんを3度目のオリンピックへと
連れてきたような気がするんです


だとしたら結弦くんは、
もうずっと前から北京を
運命づけられていたのかな...って


きっと3Aがいつも
結弦くんのスケート人生を導き、
いつも支え続けているんだなって思います


そんなずっ友、
3Aさんが導いてきた道だから、
北京だって結弦くんが幸せになれる道に
違いない


いつだって結弦くんの味方だもん、
絶対に守ってくれる(*´꒳`*)


私はそう思っています



それから4回転半は一日何本までと
決めているのか」の部分を読んで、
やっぱり結弦くんは冷静に自分と4Aに
向き合ってきたんだなっていうことが
しっかり伝わってきました


結弦くんはもう大人のスケーターだし、
そのあたりはもう心配はしていないです


少年の頃の暴れ馬のような結弦くんに
心配ばかりしていたあの頃が懐かしいです...
うふふ(*´꒳`*)


4Aだけでなく体調や状態によって
他のジャンプを跳んだり、
4Aきっかけで他に繋げてみることで
結弦くんは共通点や気づきを得て、
今も上手くなっている


それもまた4Aを通しての
結弦くんのスケーターとしての成長を
ずっ友3Aさんが導いたからだなあと
思いました


3Aさんは結弦くんを導くだけでなく、
成長も促す存在なんですよね...


本当に凄いね


私、結弦くんにこんなに想われている
4Aさんになりたい〜!と思ってたけど...


結弦くんにずっと寄り添い、支え続ける
3Aさんのようになりたい〜‼︎



3Aさん、北京でも結弦くんのこと
どうかお願いね( ;  ; )









最後までご覧下さって
ありがとうございました





ランキングに参加させていただいています!


記事を気に入っていただけましたら、
ポチっと押して下さると嬉しいです