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わたしの日々はあなたの書にすべて記されている

きょう、旧約聖書の詩編139編に久々に目を通しました。
あなたは、わたしの内臓を造り
母の胎内にわたしを組み立ててくださった。
わたしはあなたに感謝をささげる。
わたしは恐ろしい力によって驚くべきものに造り上げられている。
御業がどんなに驚くべきものかわたしの魂はよく知っている。
秘められたところでわたしは造られ
深い地の底で織りなされた。
あなたには、わたしの骨も隠されてはいない。
胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。
わたしの日々はあなたの書にすべて記されている
まだその一日も造られないうちから。
あなたの御計らいはわたしにとっていかに貴いことか。
神よ、いかにそれは数多いことか。
数えようとしても、砂の粒より多く
その果てを極めたと思ってもわたしはなお、あなたの中にいる。
(新共同訳聖書 詩編139編13節~18節)
人それぞれにとって、神がいるか、いないのか、その問いに対する答えは違うことでしょう。

しかしこの詩の作者は自分の存在の物語を、神が自分を造ったという意味をこめて歌っています。

自分の肉体や、存在の原因は自然科学的な因果関係によって記述可能なものとぼくは思います。
おそらく複雑にさまざまな要素が絡み合いすぎていて、ほぼ不可能であろうとはいえ、
自分がここに存在するに至る道筋に、時空におけるひとつ、ひとつの粒子の出会いや、遺伝子の情報や、そういったものが数珠つなぎになっていることを想像することはできます。

でも自分の存在の意味をそのような自然科学的な因果関係の結果に「過ぎない」としてしまうと、
人生はおそらく「無意味」になってしまう。
たとえ偶然に左右される自然科学的な因果関係の帰結が現在の自分「であっても」、
未来や過去に向かって意味を与えていかないと、生きることはとても辛い。

* * *

あなたは、わたしの内臓を造り
母の胎内にわたしを組み立ててくださった。
この部分を読んだときにぼくはあまねのことを考えました。

あまねは自分の存在をどのように意味づけるだろう、と。

自分の心臓の房室中隔欠損をさして、
あなたは、わたしの内臓(欠陥のある心臓を含む)を造り
母の胎内にわたしを組み立ててくださった。 
 と歌うでしょうか。
自分の21番目の染色体を3本にしたことについても、
少しばかり非難の調子を込めて。

* * *

退院から1か月以上過ぎ、生後30日以上病院で過ごしたあまねはすっかり家の子です。
最近、声をあげてよく笑うようになりました。
笑顔がとてもかわいいです。

毎日あまねをお風呂にいれます。

大半の世話を妻がしているとはいえ、
ときどき朝早くベートーヴェンの月光ソナタを聴きながらあまねを抱っこすることもあります。

あまねは抱っこされるのが好きで、
腕の中からぼくの顔をじっと見つめ返してきます。

その目には、ぼくをあまねにとっての「純粋な親」にするような光が満ちていて、
時折あまねの中にダウン症の印を探すようなぼくにすら、ただ信頼を寄せるようなのです。

ぼくはあまねを造った神ではないですが、
あんな風に見つめられると、あまねからの「感謝」のようなものを感じて畏怖を念を抱かざるを得ません。
それは「だっこしてくれてありがとう」というだけの小さな感謝かもしれないですが、
詩編の作者が、
わたしはあなたに感謝をささげる。
 と歌ったような感謝かもしれないと思えるのです。

しかしぼくはなにも神から功績を奪うわけではなく、
あまねは抱っこしてくれる誰に対してもにこにこと微笑みを返し、
その顔をじっと見つめるので、
ぼくは想像を膨らませて、あまねの感謝は思っているよりずっと多くの存在に向けられたものと解します。

ぼくが組み立てられたとき、
心臓には手違いがあったけれど、
手術で助けてくれたお医者さんありがとう、
胎児だったとき、エコーで見つめてくれてありがとう、
NICUやGCUにいたとき抱っこしてくれた看護師さんありがとう、

ぼくのことを記録してくれてありがとう。
わたしの日々はあなたの書にすべて記されている

彼の人生が最後までよく意味づけられたものであるようにと祈りつつ。

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