3月15日(土)東京で、

丸の内南口改札外「原首相遭難現場」プレート熱心に読んでいる親子連れや、






八重洲中央口改札内新幹線乗換改札口付近「浜口首相遭難現場」プレート眼を凝らしている若者姿見て


日本も未だ捨てたものではないな或る種救われた想いに。


さて、13時40分発JR東北新幹線・上越新幹線「とき323号」新潟行乗車し、






























14時27分着高崎下車













駅直結ホテル荷を置いて、急いで高崎芸術劇場へ。










目的は、大劇場16時00分から開催の、常任指揮者飯森範親指揮による群響第606回定期演奏会



群響演奏聴いたのは、2021年7月尾高忠明指揮による第570回定期演奏会(ブルックナー/交響曲第5番)以来で、

飯森演奏接したのも、2021年3月神奈川フィル定期演奏会みなとみらいシリーズ第366回鎌倉芸術館公演以来





前半は、ソプラノ独唱小林沙羅を迎えてのワーグナー/楽劇「トリスタンとイゾルデ」~前奏曲と愛の死
「前奏曲」では、冒頭もう少し不健康な艶やかさが欲しい気もしましたが、最初のクライマックス辺りから、に代表される群響充実した響き飯森端正で誠実な造型力及び内面の情熱とが相まって成就されない悩ましい愛の世界現出されていきました。
小林加わって「愛の死」では、飯森&群響豊穣な音楽づくりにのって小林愛の憧憬美しく歌い上げていました。ただイゾルデ役にはもっと突き抜けた強靱さが求められる筈で、その意味では小林の起用には少々疑問を感じなくもなかったですが。

後半は、マーラー不朽の傑作交響曲第9番
2011年3月11日東日本大震災以降数年の間は、あたかも渇えた者が水を求むるが如く貪るように何度となく聴きに行っていたマーラーの「第9」ですが、直近で聴いたのは2022年11月ホクト文化ホール(長野県県民文化会館)に於けるアンドリス・ネルソンス指揮サイトウ・キネン・オーケストラ(SKO)によるセイジ・オザワ松本フェスティバル(OMF)30周年記念特別公演と、

暫く間が空いてしまいました

今回飯森&群響の演奏は・・・・。

第1楽章冒頭導入部はややあっさり感否めなかったものの、提示部最初の頂点に達し改めて第1主題が確保される箇所辺りから、その切実な表現に、聴いていて次第にしばしば涙が滲むように

提示部終盤音楽の高潮から展開部に於ける生への憧れ死への恐怖との相剋体現展開部終盤に於ける冒頭動機の肺腑を抉るような最強奏、そして一層の切実さを伴った第1主題の再現コーダ夕映えのような美しさ・・・・。

第2楽章運動性・諧謔性の表出充分なものがあったと思います。

第3楽章主部の尖鋭性緻密さと痛烈さとを併せ持った表現終楽章を予告する中間部束の間の天上的美しさとの対比の現出一層の凄愴さを伴った主部の回帰コーダ悪魔的な迄の壮絶さ

そして・・・・深々と開始されたアダージョの第4楽章の、心に深く染み通り時に激しく心を揺さぶる真摯な表現コーダの最後のAsの音が静かに消え入った後の長い沈黙素晴らしかったと思います。

先述第1楽章途中からしばしば滲んでいた涙が、第3楽章中間部以降はもう涙腺決壊状態に。

マーラーの「第9」と云うと、これ迄に聴いた数々の実演中では2001年1月のSKO東京公演に於ける小澤征爾2004年5月都響横浜公演に於けるガリー・ベルティーニ2012年12月読売日響第521回定期演奏会及び2019年4月大阪フィル第527回定期演奏会に於ける尾高忠明


そして2010年4月N響第1670回定期公演及び2022年10月N響第1965回定期公演に於けるヘルベルト・ブロムシュテット演奏とりわけ強く印象に残っていますが、


今回飯森&群響の演奏も、貴重なマーラー体験となりました。
少なくとも2003年10月ダニエル・バレンボイム&シカゴ響来日公演に於ける団員の技巧の誇示に終始し内容のまるで伴っていなかった駄演よりは、今回の方がどれだけ感動的だったことか

終演後



高崎駅迄戻って





暫く通路ぶらついていたら
偶然キャリーバッグを曳いてマネージャーらしき方と一緒に歩いてくる飯森サン遭遇
今回マーラー心揺さぶられた旨直接伝えることができました









折角高崎迄来たからにはと、売店あのJR信越本線横川駅名物駅弁「峠の釜めし」をサラダと併せて買い求め(但しホテルの清掃スタッフに配慮し今回は益子焼の釜ではなく初めてパルプモールド素材の容器のものを選んだ)、


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