古代日本の歴史を謎解き

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2世紀から5世紀までの国造り

2021-05-01 20:56:29 | 歴史
6世紀と云えば
・25代継体天皇
・仏教伝来(漢字の普及)
・蘇我氏VS物部氏(飛鳥時代)
・聖徳太子(沢山の寺院)
「古事記」「日本書紀」の内容も信ぴょう性があります。
2世紀(弥生時代)~5世紀(古墳時代)の倭国は???
頼りにしたい「古事記」なども
大和朝廷の正当化
各地伝承の集大成
初代神武天皇の即位を紀元前600年に設定
かなりの矛盾が発生しています。
私なり、こう考えるとスッキリする・・・です。
2~3世紀の倭国
九州王朝と大和王朝の2王朝説がありますが
私ももっと沢山、多王朝だと思います。
「魏志倭人伝」に登場する倭国大乱(2世紀位)
倭国とは九州の事です。
30国がありお互いに争っていた
九州北部の30の集落です。
環濠集落、戦争で亡くなったと思われる遺体
九州北部に集中しています。
鉄製の武器も九州集中です。

武器を信仰した銅矛文化圏も九州です。

九州南部は狗奴国(こちらもいくつかの集落の集合体)
他にも、出雲王朝、大和王朝の他、山陽、四国、北陸にも
沢山の集落が集合体を形成し始めた時代です。

卑弥呼の死後(3世紀後半)護国も滅んでしまい情報が途絶えます。
この時の九州は
北部の筑紫(伊都国。奴国連合)
豊国(大分:台与の国)
肥国(宮崎?熊本?)
南部の熊襲国(狗奴国)
まだ一つにはまとまっていません。
この時代(古墳時代)に鉄製品が山陽から近畿へ広がります。
これが神武東征の伝承
神倭伊波礼毘古命兄弟(兄の名前がイツセなのでもっと簡単な名前があったはず)
一族が日向を出発、宇佐(豊国)、岡田宮(筑紫)に立ち寄ります。
目的は鉄製品と鉄職人を得る事
山陽ルート(安芸、吉備)で長年滞在して鉄製品を普及
この調子で近畿もと思い・・・
ナガスネビコが待ち構えていて敗退
南へ迂回、多分、伊勢方向へ向かうも途中で台風にあい熊野で上陸
奈良盆地で国づくりを始める。
宿敵ナガスネビコを倒して名前をヤマト(邪馬台)とする。
4世紀ぐらいでしょうか。

古事記による天皇家は
日本武尊の熊襲征伐(12代景行天皇の子供)
神功皇后の三韓征伐( 14代仲哀天皇の妻)
4世紀後半とすると、やはり7~8代は
割愛しないと年代が合いません。
そして、この時代
大和朝廷の支配力は九州までは及んでいません。
宗像大社の秘宝を考えても九州王朝は健在の様です。
出雲王朝、越国などもあったでしょう。
百舌鳥古墳群古墳群(5世紀~6世紀)

16代仁徳天皇~25代武烈天皇の時代も
大和朝廷の領域は変わらなかっと思います。
この時代、倭の五王
九州を通らないと行けない朝鮮半島へ出兵
倭の五王は
筑紫王朝、或いは出雲王朝の人達ではないでしょうか。

6世紀は古事記の通り
・26代継体天皇
近畿と越国(北陸が一つにまとまる)
まだ九州は筑紫で大和朝廷には反攻中です。
527年 磐井の乱 でやっと九州が手中に
・仏教伝来、聖徳太子
・蘇我氏VS物部氏
近畿も乱れて権力闘争に明け暮れる。
・大化の改新
京都の大和朝廷が西日本を一つにまとめた時代です。
意外とスムーズに腑に落ちると思うのですが
如何でしょうか。

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