古代日本の歴史を謎解き

パソコンが故障して、パスワードが分からず
旧ブログから引っ越しです。

弥生時代の大陸の歴史

2021-08-01 16:37:51 | 歴史
ここで、ざっとですが
日本の弥生時代(紀元前500年位から250年ほどまで)の
大陸の歴史をまとめておきます。
秦(紀元前221年~206年)
秦の始皇帝で有名ですが、わずか一代です。
この時代に覚えてほしいのが
始皇帝に滅ぼされた斉国の方士 徐福です。
何と始皇帝に「東方の三神山に長生不老の霊薬がある」と申し出て
2度も日本へ来ているようです。
そして、最後は帰国しませんでした。
3,000人の童男童女(若い男女)と百工(多くの技術者)を従え
財宝と財産、五穀の種を持って東方に船出

日本の各地に徐福伝説があって
各地で弥生文化の国々を立ち上げたのではないでしょうか。
海を東へ渡ると仙人が住む島がある。と云う伝説
これが、大陸が持っている日本の情報でした。
前漢(紀元前206年~9年)
新 (9年~23年)
後漢(23年~220年)
一度滅びますが、前漢、後漢合わせて400年位

57年 後漢の初代皇帝 光武帝が贈った 「漢委奴国王」の金印
実際に博多湾で発見されて、国宝になっています。
107年 倭国の王と名乗る師升等が生口160人を献じた。
この時、東の海のある倭国の正しい情報が伝わったでしょう。
後漢書に紹介される倭国は
「倭は韓の東南、大海の中にある。山島に居住する。
およそ百余国。武帝が(衛氏)朝鮮を滅ぼして以来、漢と交流のあったのは三十国ほどである。
国はみな王を称し、代々受け継いでいる。
その大倭王は邪馬台国に居る。
楽浪郡の境界は其の国を去ること万二千里、
その西北界の狗邪韓国を去ること七千余里。・・・」
この時代には、大陸の役人「一大卒」が伊都国に駐在して恐れられていたようです。

魏蜀呉の三国時代
魏志倭人伝に邪馬台国の女王として卑弥呼が紹介されています。
後漢書も三国志も後に作成されているので
お互いに、全く同じ内容が登場します。
238年 卑弥呼が魏に使者を送り、皇帝から「親魏倭王」に任じられた。
247年 狗奴国との紛争に際し、帯方郡から塞曹掾史張政が派遣
但し、張政らが到着すると卑弥呼は亡くなっていた。
後漢は、西方のクシャーナ朝にも「親魏大月氏王」の金印を贈っています。
遠く離れた西の国と海の先の倭国との交流は大切だと判断したようです。
魏国も265年に滅んで、大陸が乱れます。
朝鮮半島北部の高句麗が力を付けて、大陸との交流が途絶える。
朝鮮半島が百済、新羅、伽耶があり倭国と高句麗との間で争いが絶えなかった。

日本も古墳時代となって、各地の豪族の時代
筑紫、出雲、大和などが出兵しているようです。
時代が流れて聖徳太子の時代(飛鳥時代)
607年に直接大陸 隋の煬帝へ送った手紙
小野妹子らが遣隋使として渡します。
日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙なきや。
で始まります。
相当の怒りをかったことは間違いありません。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿